等伯「松林図屏風」

朝=海苔巻きお餅/昼=卵サンド/夜=牛肉弁当

上野の東京国立博物館で15日まで長谷川等伯の「松林図屏風」を公開しているというので見に行ってみた。先史古代から始まるのは先週行った国立歴史民俗博物館と同じ。でも上野の東博の方が、ちょっといいもの置いてある感じがする。飛鳥時代の仏教美術館から平安、鎌倉、室町と続き、安土桃山のハイライトが「松林図屏風」。思ったよりも大きかった。ガラスがあるものの、近くまで寄れるので細かいディティールが確認できる。実際に見に行くって大事だね。「松林図屏風」は明治政府になって、一番最初にコレクションしたものだそうだ。水墨画の中の水墨画だというが、なるほどね。今まで画像でしか見ていなかったので実物を見られて良かった。どうやら毎年正月企画として「博物館に初もうで」見れるようだ。

上野からお茶の水のギャラリーバウハウスへ。写真展「LIFE 写真のある生活Ⅲ」が2月25日(土)までやっている。これがすごい。まず最初に目に飛び込んで来たのが杉本博司「劇場」。それも4枚。「フェロがけ」してあるプリントだから、かなり初期もの。そのほかにもザンダー、スデク、フランクと目がまわる。田原桂一の「窓」とか森永純の「河」まである。しかも買える。決して高くない。オーナーの小瀧さんにいろいろと話を伺う。最近「写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン」を読み返していたので、石原さんのことを聞いてみた。僕が大学に入学した頃は面白い時代だったみたいだ。そこに気がつけないなんてなんだか損した気分だ。

<2022年1月14日の日記から>

写真集印刷2日目。とてもスムーズに進行した。印刷は謎のムラだったり、色転びなど一度問題が出たりすると、解決に時間がかかり、現場が徐々にピリピリし始めて控室での口数が少なくなるものだ。でも今回は終始和やか。2月上旬の配本が楽しみだ。写真集を1冊作るのには、撮影だけではなく編集、デザイン、印刷、製本と手間と時間が膨大にかかる。かといって大きな利益が出ることはない。それでも作りたいのだ。「2BChannnel」では、これまで作家の話は色々と聞いてきたが、今年は写真集を取り巻く人たちのインタビューをしていきたいと思っている。印刷所からは、車で中野駅にまで送ってもらった。数ヶ月かかった仕事がひと段落して、気持ちが晴れやか。そのまま駅裏にある「フジヤカメラ」に寄ってみた。ここ最近、僕の周りではソニーのα7Ⅳの話題で盛り上がっていて、友人も数人購入している。30万円と普及機並の価格で、7Ⅲよりも動画性能が飛躍的に上がっている。触らせてもらったら確かにいい感じ。でも欲しくても物がない。今予約しても早くて4月。中古品が新品より高いところもあるみたいだが、都内の目ぼしいお店で検索してもどこにもない。そのことは事前に知っていたので冷やかしに「ソニーα7SⅢの中古はありますか」と店員に聞いてみたが「新品も中古もございません」。でしょうね。ついでに「まさか7Ⅳはないですよね」と聞いてみたら「少々お待ちください」と店員は奥に消えていった。続く。

<2014年1月14日の日記から>

娘が成人式を迎えた。20年はあっという間。生物学的な責任を終えたような気になっている。もっとも何にもしてこなかったけれど。もう父親は頼られる存在ではなくなった。娘ができることのほうが多いのだ。ちょっと寂しいが、その分嬉しい。成人式で着る着物で写真を撮ることになった。小さい頃から写真を撮りすぎたせいか、娘は写真を撮られのが嫌いになった。小学校5年生くらいからかなあ。今回も「お父さんとお父さんの知り合いには撮られたくない!」と断固拒否の姿勢だった。まあしかたあるまい。着物はレンタルだったので、セットでスタジオ撮影がついているからそれでいいということなのだ。で、前撮りに行ってきたのだが憮然としている。出来上がった写真を見たら十分よく写っている。ライティングもいいし、プリントもきれいだ。いいじゃないか、と言ってもこんなの嫌だと言う。なんでだめなの?と聞いたら「こんなポーズありえない」と言うのだ。確かに傘を持っているポーズは如何なものかとは思ったが。それでようやく父親登場になった。再度着付けをして自宅で撮ることにした。ガレージの物干し竿に大きな布をかけて即席スタジオを作った。α7にコンタックスのプラナー85mmF1.4をつけて撮ることにした。この組み合わせは肌の色ノリがいい。レタッチしなくても十分きれいだ。幸い薄曇りでちょうどいい光になっていた。ガレージから始めて玄関、彼女の部屋と場所を変えて思う存分撮った(笑)。アップはもちろんだが、ちょっと引いて家の様子がわかるようにした。彼女の娘が成人した頃に楽しめるようにだ。プロカメラマン30年の仕事だ、結果は悪かろうはずがない。以来、娘の父親に対する評価はちょっと変わったようだ。

 

 

 

 

 

 

プリントの納品完了

朝=キーウイのヨーグルトスムージー/昼=味噌一の味噌ラーメン/夜=豚野菜鍋

今年から冬青社は高橋さんから野口さんに代表が変わり新体制になった。その1回目の写真展が公文健太郎さんの『耕す人』。幕開けにふさわしい写真展だ。会場にいた公文さんから「お年始」ということでカレンダーをいただいたのだが、これがすごい。来週のライブ配信で紹介するけど、こんなの作ってみたいね。

冬青には4月の写真展の納品。今年は『da,gasita』の再販に合わせて展示をすることになった。もう残っているプリントがほとんどない。かといって、今ある印画紙ではしっくりこない。アドックスというヨーロッパのメーカーのものを使っていたのだが、現在は流通していない。展示分のものは揃ったが、ほぼ1点ものになってしまった。

プリントの納品を済ませ、同時に海外のギャラリーに預けてあった僕のプリントを受け取った。新体制になったこともあって戻してもらっていたのだ。オランダ、ベルギー、ミュンヘン、ベルリンの4箇所のギャラリーのうち、まずは2箇所戻ってきた。10年前はいくらでもプリントできると思っていたけど、状況が随分と変わってしまった。

<2022年1月13日の日記から>

今週の水曜日と木曜日は、写真集の印刷立ち合いで足立区にある印刷所へ。複数枚印刷された写真の刷り出しを一旦止めて、最終的にインクの量の微調整をかける。冬青社の高橋さんが印刷所のオペレーターに指示を出して再度印刷すると別物になって上がってくる。何度もみていることだが、これはマジックとしか言いようがない。今回は印刷所と意思の疎通が取れているせいで、和やかだ。僕は一応責任者なんだけど、ここまでくると口を挟む余地もなく、ただうなづいているだけ。帰宅後、夜からの「2B Channelライブ」の準備をしていたら、写真学生から「この間撮ったファッション写真が数枚焼けたので持っていきます」と連絡があった。せっかくなので、そのままライブに出てもらうことに。彼の焼いた写真はバッドに入れた状態で持ち込まれ、まだ水に濡れていた。それがリアルで面白い。ライブでは数枚のプリントとベタ焼きを見せながら撮影について話してもらう。その後は写真学生が影響を受けた熊谷聖司、中平卓馬、牛腸茂雄、斎藤亮一の写真集を見ながら解説してもらう。彼は写真だけではなく、作家が書き残した言葉に強く惹かれている。いつもは1時間を僕ひとりで喋り続けるのに、大変な思いをしているが、相手がいるとあっという間だった。

<2003年1月13日の日記から>

朝からプリント。撮影している日より焼いている日のほうが多い。どうりでもうかんないわけだ。昨年越しの某銀行の会社案内のプリントの本番。なかなかOKカットが決まらず入稿日ぎりぎりになる。午前中はモノクロ6枚。人物なのだがスーツの色によって露光時間がコロコロ変わる。12時を過ぎたところで中野サンプラザに向かう。今日は成人式、去年から撮っている「東京」シリーズの一つにするつもり。会場のサンプラザ前には予想通り晴れ着姿の「成人」があふれていた。日本人には当たり前だが写真にすると不思議な光景に写るだろう。シノゴを使うが最初の7枚ぐらいを絞りの設定ミスでダメにする。晴れ着姿がいなくなる前に何とか撮影終了。アシTの運転で現像所まで。Tに運転してもらう時、横に載っている僕の足はずっと床に突っ張っている。頼むからはやく慣れてくれ。江古田「プアハウス」で遅めの昼食を食べる。二人とも「粗食セット」。このおいしさを説明できる筆力を僕は持たない。要するに満足。暗室に帰ってカラープリント4枚。現像機の調子が悪く筋ムラがでる。ローラーを洗い、乾燥ラックを使わずに処理することで急場をしのぐ。やっぱりオーバーホールだな。

 


                                                                                                                                                    

ライブ配信100回目

朝=焼きベーグル、トマトスープ/夜=アヒルカレー、林檎とセロリとチーズのサラダ

「2BChannel」のライブ配信が100回目になった。毎週、水曜日20時から配信を続けている。Youtrubeを始めたときに、1人でカメラに向かって話すことが、こんなに大変なことなんだと思い知った。そして1年経った頃に、ライブ配信というものにも挑戦してみようと思いたってスタートさせたのだが、そこからは本当に大変だった。毎回のネタもそうだが、単純に配信設定の問題で、音ズレや音量には悩まされた。結局PCを新しくして、配信用のハードウエアを揃え、満足できるようになったのはつい最近。100回もやっていれば慣れてくるわけだ。

これは「Youtubeあるある」なんだけど、ライブ配信するとなぜか登録者数が減る。減ったところで実害はないのだが、気持ち的にはへこむ。100回を節目に毎週配信はやめようかと思ったのだけど、これも仕事だと思って続けることにした。

100回目は『da.gasita』再販や『da.da in monochrome』写真展の話から沢木耕太郎『天路の旅人』や川内倫子『M/E』の話をしながらコメントに答えていった。ライブ配信がうまくいくかどうかはコメントしだいだと思う。僕は毎回自分のライブを聞き返している。反省するわけじゃないけど、どういうふうに映っていて、どういうふうに聞こえているのかチェックしている。最初は火が出るくらい恥ずかしかったけど、最近は人ごとだと思って聞けるようになった(笑)

<2022年1月12日の日記から>

セブンで買った「食べやすい玄米」は本当に食べやすかった。お昼に食べた「あんかけ焼きそば」は、もはや定番化している。映画はひと段落して今日はYoutubeで「1990年のF1」をずっと見ていた。当時は毎週の楽しみで、僕にとって1990年とF1はイコールで結ばれてる。セナとプロストにマンセル、若きアレジにハッキネンとか名前を聞くだけで懐かしい。30年も前だもんな。セナがレース中に事故死してから急速にF1熱は冷えていった。今週はしばらく忙しいので、その前に撮影機材のチェック。パナソニックS5にXLRマイクアダプターを付けて使っているのだが、片方のチャンネルが調子悪い。最近本当に機械ものがよく壊れる。新品で買っても初期不良というものを引き当ててしまうし。不安定なマイクアダプターはやめにしてZOOMのPCMレコーダーを使うことに。せっかく買ったショルダーレールだが、持ち運びが大変なので出番なし。マイクアダプターが使えるのでパナソニックだったわけだから、いっそシグマfplにKOMICAのワイヤレスマイクでもいいんじゃないかと思えてくる。パナソニックとシグマ、どちらも帯に短し襷に長し。と言っても今じゃ通じないか。今すごくSONYが気になってなってしょうがない。でも手に入らない。手に入らないと言われると欲しくなる。とはいえ、しばらくはパナソニックとシグマに頑張ってもらわないと。

<2003年1月12日の日記から>

2本で500円のワインってあるのね。昨日の卓球のせいか身体がギシギシする。やらなくてはいけないプリントがまだ残っているけど今日はお休み。朝起きてまずやったことは晩御飯のカレー作り。極めてシンプルなチキンカレー。男の料理のようなスパイスがどうのという代物ではなく、市販のルーを使った家庭の味。玉ねぎ炒めて、チキン炒めて、ルー入れて、それだけ。それなのに出来るまで1時間半もかかる。朝、昼兼用のご飯を食べて江古田の「プアハウス」というお店でお茶。この店にはもう20年以上通っている。知り合いのMac使いが来ていて当然Macブックの話になる。12か15か17インチかが問題だ。15インチの安定性は捨てがたいという結論に落ち着くも、やっぱり12インチは気になる。雑誌「ラピタ」のライカ特集は面白い。写真雑誌よりお金のあるぶん贅沢に作ってある。マニアックにならず、総花的にならず、いい塩梅。友人の漫画原作者がライカユーザーとしてインタビューに出ていた。彼にはライカを持った女の子が主人公の「ニナライカ」という作品がある。夕方、まだ身体がバリバリするので「中国気功整体」というあやしげな看板のところに入ってみる。中国人の先生のマッサージは上手だった。「どんな仕事だ」と聞かれたから「カメラマンだ。中国の女優コン・リーも撮ったことがある」といったら「あんたはエライひとか!」と驚いていた。毎度、中国人に仕事を説明するのに「コン・リー」は非常に有効だ。45分4千円也。

『da.gasita』が届いた

朝=焼き餅/昼=新年会

午前中に『da.gasita』が自宅に届いた。初版は2012年9月発行だから10年以上経っての増刷再販となる。レイアウトも内容も初版と全く同じ。唯一違っているとすれば、裏表紙にISBNコードが入っていないこと。ISBNとは書店流通のためのもので、バーコードを印刷する必要がある。それがブックデザインを著しく損なう。そこで今回は冬青社経由で販売する300部以外はコードを入れないことにした。だから裏表紙がすっきりしている。その代わり書店流通させないので、僕の分の700冊は全部手売りで捌く必要がある。

家に運び込まれた写真集はリビングを圧迫している。届いたのは250冊に過ぎないが、玄関から運ぶだけでかなりの重労働だった。一箱開けて中から1冊取り出してみた。初版と印象が違う。すっきりとした深い黒。初版の黒とは違う。今回思い切って重版して良かった。10年間の時間が感じられるものになった。

<2022年1月10日の日記から>

快晴。午前中に買い出し。昨日の雪が凍っていた。10年以上履いているダナーライトはビブラムのソールなのでツルツル滑る。「コメダ」で朝ご飯。いつ行っても満席。妻はナポリタンを頼んでいた。コーヒーが美味しい。けど、まあまあの値段。帰りに、非常食的なものをセブンで買い込む。「あんかけ焼きそば」は外せない。「食べやすい玄米」というレトルトパックもあったのでそれも買ってみた。これはレトルトカレー用に使う。家に戻って和室用に買った新しい石油ストーブを点火してみる。本当に欲しいやつは3万円もするので、あきらめた妻が選んだのが「トヨトミ」というメーカーのもの。「小型で使いやすそう」という彼女の意見で購入。僕はいま食堂で使っている「コロナ」がいいと主張したのだが、基本的に僕の意見は通らないことになっている。でも結果的にいい感じではある。コタツで編集ソフトの設定をYoutubeを見ながらやっていたら、2件ほど即対応しなければならないことができて、2階の事務所部屋へ。ここには知り合いからいただいた「アラジン」の石油ストーブが置いてある。うちは隙間風が通る古い一軒家なので、エアコンとかファンヒーターよりも、石油ストーブのほうが威力を発揮するのだ。そういえば、昔マンションに住んでいた時は暖房器具って置いてなかったなぁ。あの頃はエアコンだけで十分暖かくて、寒くて目がさめるようなこともなかったし。でも、寒いけど石油ストーブのある今の生活の方が気に入っている。お湯が沸かせてお餅焼ける。いつも言っているけど「寒いのは嫌いだけど、石油ストーブは好き」なのだ。

<2007年1月10日の日記から>

築地仁写真展「垂直状の、(領域)・06」を青山のDAZZLEを見に行く。ずっと続いている築地さんのシリーズでタイトルには深い意味が隠されている。築地さんのプリントを見ては毎回驚くが、近頃はあきれてきた。どう考えても、こういうプリントはできない。目を近づけて見ると確かに35ミリの情報量だし、そんなにシャープではない。なのにプリントから20センチ離れると、とたんに立体感を持ちクリアに見える。輪郭のエッジが立っているのだ。何度か築地さんにプリントの話を聞いているのだが一度詳しく体系的に聞いてみたいものだ。それにしてもプリントから受ける印象はドライだ。乾いている。でもカサカサじゃない。真夏の乾いた地面に打ち水がしてある感じ。写真の中に情緒はない。対象物に向けられた愛もない。ただただ1枚のプリントのためにすべての情熱がそそがれている。

初めての「歴博」

昼=喜多方ラーメン、小マグロ丼/夜=鍋やき蕎麦

千葉の佐倉にある川村美術館には年に一度は行っている。東京駅から美術館直通のバスが出ているのでアクセスがいい。毎回そのバスに乗っていくのだが、終点が「歴史民俗博物館」となっていて、ずっと気になっていた。

今回の川村美術館は「マンレイ」(1月15日まで)。オブジェを中心にした企画で、戦前から戦後にかけての仕事を見ることができた。マンレイは写真を使った表現が多いから昔から見ているが、本人は写真家と呼ばれることを嫌っていたそうで、自らをアーティストと名乗っていた。写真も使うけどオブジェもインスタレーションもやるというのは、今の写真を取り巻く状況と似ていて面白い。川村美術館がいいのが「ロスコーの部屋」を含めた常設展の充実ぶり。毎回行くたびにちょっとづつ展示内容が変わっっている。妻と友人と3人で出かけたのだが、2時間たっぷり楽しめた。

いつもなら庭園に出てお弁当を食べるところだが、今回は友人が車できたので、ついに「歴史民俗博物館」まで行くことができた。佐倉駅からわりと近い場所にあるようだけど、川村美術館からはやっぱり車がないと行かれない。そして驚いたのがここが国立なのだ。なぜ千葉の佐倉にできたのかはわからないが、東京ではありえない広大なスペースを持った博物館。古代、先史時代から始まって中世、近世、近代、現代まで必要十分に網羅していて驚いた。早足で回っても2時間はかかる規模。なのに入場料600円。これは単独で来ないともったいないかもしれない。

<2022年1月9日の日記から>

2021年、アート界に最も影響を与えたキーワードとして選ばれたのは「NFT」だった。ビープルというアーティストの作品が75億円で落札されたことで火がついた。今日はTIP主催の「NFTとアート」のトークイベントにゲストで呼ばれた。2021年は突然のようにNFTが注目されたが 、「2B Channnel」では、2019年にインフォバーンCEOの小林弘人さんに来ていただき、ブロックチェーンとアートの関係性を教えてもらっていた。その後の動向についてはずっと注目していた。NFTとはデジタルデータをブロックチェーンと紐付けてそのデータの所有を明確にするもの。コピーガードと誤解している人がいるが、その機能はない。マーケットに出品されたものを右クリックで簡単にコピーできてしまう。なぜ今NFTアートが注目されているのかは、メタバース(仮想世界)の世界の到来と関係している。簡単にコピーできるものになぜみんなお金を払って所有しようとするのかということについては、今回のトークイベントがいずれ配信されるので、ぜひ視聴して下さい。今のNFTはtwitterが始まった頃の状態と似ていて、好き嫌いは別にしてNFTもいずれインフラの一部となるはず。それをどのように使うかは個人の価値観になる。ただ食わず嫌いは勿体無いということを話して会は終わった。

<2007年1月9日の日記から>

日曜日に元アシWから電話が入った。「今八丈島にいるんですけど低気圧の強風のため2日間便が欠航になってしまって。すいません、月曜日の撮影代わってもらえませんか」。ということで、仕事始めは元アシからいただくことになった。食品メーカーパンフレットの表紙撮影。岩崎宏美だった。火曜日は撮影の後、フォトテクニック誌の審査。日本カメラの時は5時間くらいかかったが、1時間で済んだ。やっぱり1位の作品は面白い。予想外に早く終わったので「ギャラリールーニィ」へ。浜田共美写真展「夜を往く」を見に行く。タイトルがいい。彼女は、僕のワークショップ参加者で、なんと札幌から2ヶ月、毎週江古田に通ってきてくれた人だ。その後グループ展を重ね、ついに始めての個展にこぎつけた。彼女は夜にこだわる。しかし闇ではなく光を撮っているように見える。面白いのはピントがハイライトに合っていなくて、シャドーに合っているのだ。通常ピントはハイライトに合わせるものだ。そこをあえてシャドーに合わせることでハイライトが柔らかく滲む。それが写真の魅力になっている。それと、全ての写真の露出の設定はひとつだけだ。ローライ2.8Fに感度400のポジフィルムを使い、絞り開放2.8でシャッタースピードは8分の1秒。増感とかまったくしていない。たったひとつの設定で撮られているから暗い所は暗く、明るい所は明るく写っている。それゆえ闇の中の光が見えてくるのだ。その潔さが彼女らしいといえる。お向かいのニエプスでは村上仁一写真展「続・雲隠れ温泉行き」をやっている。これもタイトルがそそる。何度か彼の写真展を見ているが、段々凄くなっていく。是非広い会場でまとめて見てみたい。

自動翻訳

昼=ポテトサラダ、温野菜、ヨーグルトカルボナーラのペンネ/夜=持ち帰り寿司、豆腐の味噌汁

案の定、昨日大学に提出したシラバスに問題が出た。英語表記も合わせてしてくれという。送られてきた要項には「できれば英語も」という感じだったので書かないで送ったら「できれば英語も」と返ってきた。

誰か英語ができる知り合いに頼むしかないなと思ってのだが、とりあえず自動翻訳をかけて、手直しで済むならそれでいいやと思ってやってみたら、ざっと見たかぎり完璧な英語になっている。その翻訳された英文を、逆に日本語に変換してみたら、ほぼ原文のまま出てきた。これにはちょっと驚いた。最近の自動翻訳の精度が高くなっているのは知っていたけど、ここまですごいとは。

僕は48歳の時に、一念発起して英語の勉強を数年間続けたのだが、その時の自動翻訳はどれもひどいものだった。日本語を英語にして再翻訳をかけると、それはすでに日本語と呼べるものではなかった。だからこそ英語を勉強するモチベーションになったわけだが、今ならメールでのやり取りは自動翻訳で問題なくできる。今はまだ音声同時翻訳は難しいのかもしれないが、数年後には当たり前になっているのは間違いない。

そうなるとYoutubeも様相が変わってくるかもしれない。言語の壁を越えることができれば、視聴者は倍増どころの話ではない。良質のコンテンツさえあれば、とんでもないことが起きる可能性が出てきた。

<2022年1月7日の日記から>

この日記に「納豆もち」について書いたら、コメントが結構きた(笑)。山形県以外にも栃木でも食べられているようだが、全国的には少数派なんだろうな。朝、寒くて目が醒めた。リビングに降りてヒーターを付けたら室内温度4度と出た。毎年のことだけど、今朝は寒さが違うと思っていたら雪が降ってきた。幸いにも、仕事の打ち合わせは我が家。やってきた人たちと昼ごはんを食べながら雑談のような、それでいて大事な話を数時間。終わった後にすぐに企画書をまとめる。夕方5時をすぎてもまだ雪が止まない。我が家は暖房をつけている部屋以外は寒くて、「風呂場は危険だ」と妻が言うので、雪道を散歩しながら歩いて3分ほどの銭湯へ。湯上がりの感じが家のお風呂と全然違って気持ちがいい。家に帰ってからも体が温まっているような気がする。というか、雪は降ってしまえば意外に寒くない。心配なのは、雪にすっぽり埋まってしまった金魚鉢の中にいるはずの金魚たちだ。

<2013年1月7日の日記から>

元旦からずっとコタツ。仕事で使っているパソコンがそろそろ老朽化してきた。DELLのタワー型のOSはVista、レッツノートにいたってはXPのまま。とりあえず問題なく使えているものの、早めに手を打たないと昨年から気になっていた。一時期Macだったが頻繁に落ちるOSに嫌気がさして、WindowsXPのOSが出たときからWindows派に転向した。次に買うのもDELLのタワーと考えたが、自宅と事務所の両方で使えた方がいいのでノート型のハイスペックモデルにしようと考えた。実機を見に何度かヨドバシに行ったのだが、どれもこれもパッとしない。VaioにAdobeRGB対応のモニターがついているモデルがあったはずなのだが、見当たらない。係員に聞いたらすでに生産終了していて、13インチなら特別注文で受け付けるということだった。写真を扱うなら15インチはほしい。パナソニックはモニターがいまひとつだし、他のメーカーも似たり寄ったりで決め手にかける。となるとMacか。周りに聞くと声をそろえてMacbookPROのレチナディスプレイがいいという。確かに良さそうだが使い方が全然わからない、この年で新しいシステムに慣れるのは正直しんどい。ソフトの問題もあるし。ヨドバシのサイトを見ていたら、MacbookPROがなんだかよさげに見えてきた。ハードディスクじゃなくてすべてSSDというのにも惹かれる。ソフトはどうせ新しくしないといけないタイミングだし。「カートに入れる」をクリックして、暗証番号を入力して、後一押しで注文が確定というとこころまできたら、ちょっと不安になって一旦ストップ。Facebookにその件をあげたりしていろいろやっているうちに、何かの拍子で注文確定のボタンを押してしまったようだ。画面には「明日2日のお届けになります」とアナウンスが出てきた。正月早々やってしまった。EOS6D買うつもりだったのに。深夜2時に注文して、その日の午前中に届いた。ヨドバシすごいぜ。箱を開けると予想より大ぶりな本体が現れた。初期設定は驚くほど簡単。iphone、ipadを使っているからiCrowdをつなげたらすべての情報が共有できた。iPhone5を買ったときも感じたが、これはかなり便利だ。事務所にMacの達人を呼んでいろいろと教えてもらう。Officeを入れて、ATOKを入れて、ウィルスソフトも入れて、他にも必要なもの全部。驚いたことにWindowsのハードディスクがそのまま認識するのだ。昔はできなかったはず。肝心のPhoto ShopはCrowd版にしてみた。月々2200円。2年間で52800円か。いろいろ案が出たが、更新を考えるとこのほうがいいという結論になった。ちょっとだけ触れるようになると、なぜMacを使う人があんなに熱心に人に勧めるのかわかるような気がしてきた。単純なのに楽しい。キーボードのタッチ感もいい。iPadのような感覚のトラックパッドも面白い。ディプレイの美しさときたら、もう今までのノートには戻れない。iPhone3から始まってiPhone4と5、iPadがやってきて、そしてMacbookPRO。妻も娘もiPhoneだし、おそらく次に買うパソコンはMacになる。いつのまにかAppleの製品に囲まれている。

『天路の旅人』

昼=ヨーグルトのカルボナーラ/夜=餅入り野菜鍋ラーメン

正月はゆっくりというわけでもなかったのだが、1冊だけ本を読んだ。沢木耕太郎『天路の旅人』。正確にはまだ物語の半分、チベットのラサに着いたくだりまで。一気に読むのはもったいないというか、自分も旅をしているような気になってきて、主人公が宿営地に着くたびに一旦読むのをやめている。

僕らの世代で海外に憧れたものは、たいていが沢木耕太郎か藤原新也を読んでいる。特に沢木耕太郎の『深夜特急』の一巻二巻に胸を熱くして、アジアに飛び出していった若者は数え切れないはず。その流れは小林紀晴『アジアンジャパニーズ』に受けつがれて、「旅文学」を産んできたわけだが、最近は旅ものを目にすることはなかった。そんな時に『天路の旅人』を教えてもらって読んだわけだが、やっぱり沢木耕太郎の文章はいい。テンポが早歩きくらいで、少し前のめりになる感じがページを捲る速度と合っている。今回の物語は中国からチベットに向かう戦時中の密偵の旅なのだが、モンゴルやネパールに何度も行っているので旅の感じがよくわかる。行っておいて良かった。最近は海外に出ることは無くなってしまったが、本を読んでいるとムズムズしてくる。

<2022年1月6日の日記から>

「お餅には納豆」というと、東京の人はいやーな顔をする。「お米と同じだろ」って言っても納得してもらえない。お雑煮のお汁で柔らかくなったお餅を納豆にからめて食べるのが最高。5日から仕事始めということで、年末に上がってきた松本の写真集の初稿を冬青の高橋さんに見てもらう。全体的な発色は問題ない。そこからかなり注意深く見ないと気がつかないような白点だったり、ハイライトの筋を赤丸で囲んでもらう。高橋さんに見てもらったことで一安心。これでもう一度再校を取って本番。いや、その前に来週、最後の撮影があるな。家に戻ってから夜のライブ配信の準備。紹介する写真集を見返したり、インタビューを読んだり下調べに数時間かかる。他のライブ配信を見ているとコメントを読んでそれに答えるというのが多いけど、「2B Channnel」は写真展や写真集の紹介という場合がほとんど。今回は熊谷直子さんと熊谷聖司さんの写真集。仕事始めとは書いたが、何が仕事なのか最近かなり曖昧。昼間に撮影依頼の電話があったけど、かなりひさしぶりな気がする。有名企業の社長のポートレートを撮るもので、毎月一度4ヶ月間。そこで気がついたのだが、キヤノンを売り払ったので中望遠レンズがない。ハッセルに標準レンズでもいけるかな。

<2003年1月6日の日記から>

「新京風ラーメン」を食べる。くどくて苦手。今日から仕事始め。とはいっても撮影自体は10日くらいから。先月撮影した現像上がりの配達が今朝届く。3口分あるはずなのに2口しか届かない。現像所へ電話して確認したら昨年に届けているはずとの答え。あわてて探すも見つからない。冷静に思い出してみると確かに受け取ったような気がしてきた。引き出しの奥に、きっちり封をしてまとめて置いてあるフィルムを発見。ほっと一安心。現像所に「おさわがせしました、ごめんなさい」の電話。午前中、昨年分の請求書を書く。午後2社に仕上がりの納品。うち1社は「東京人」。昨年末に撮っていた建築特集はこれで一区切り。今回は表紙の写真もすんなり決まりそう。編集者といろいろなカメラマンの撮影スタイルの話しになる。他のカメラマンがどうやって撮っているか知らないことが多い。大御所写真家の意外な一面を聞いて驚く。ある撮影でアングルに悩みに悩みまくって1カット撮るのに1時間半。しかもそれが料理の撮影だったものだから、アングルが決まってさて本番という頃には料理はすっかり冷めてしまってレンジで温めなおしてもらったらしい。そのほか、今まで僕が抱いていたイメージとはかけ離れた話しがたくさん出た。大御所とはいえ、やっていることは僕らとあんまり変わりはなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

膝が痛いってこういうことか

朝=玄米パスタ/夜=鴨肉とアボガドと生野菜のサラダ、ミートボールのチーズ焼き、ドライカレー、

あっという間に正月が過ぎた。年々正月らしさというものが薄れていくな。休み慣れてないから、3日からはもう働きはじめてしまった。正月休みの石井さんに来てもらって「2BChannel」の収録を2本。その日のうちに1本編集。4日は残りの1本の編集と、1月31日から始まる個展のプリント、マットの手配、告知文の確認。

そして今年9月に講義を予定している大学へ提出する授業のシラバスづくり。16単位分のカリキュラムを作らなくてはならないのだが、何を書けばいいのかさっぱりわからない。今までは単発だったから良かったが、今年は連続ものだし、一般大学なので勝手がつかめない。とりあえず提出したが却下されないかちょっと心配。

座り仕事をずっと続けていたら、膝が痛くなってきた。はじめてのことで、階段とか坂道の下りが辛い。そういえば「みうらじゅん」が言ってたな、60過ぎると「老いるショック」が来るって。まあガタがくるのはしょうがない。ジタバタせずに受け入れよう。だからみんなグルコサミンとか飲むんだろうな。あれ効くのかな。

<2022年1月5日の日記から>

過去日記を見たら思い出した。そういえば新年会ってやってたんだな。事務所の隣が地域集会所で、そこでは飲食もOKだったから飲み物や食べ物を持ち寄りで大宴会してた。元々はお店でやっていたのだが、人が多くて収拾がつかなくなった。50人も入れるお店なんてそうそうない。2Bの事務所をしめる前まで、毎年の恒例だったなあ。今日は午前中にご近所さんが家にやってきて新年らしく「ライカM9とズミルクスについて」の話し(笑)。ライカってなんとなくおめでたい。「ライカを買うとすればばレンジファインダーか、一眼か、どっちがいい?」と言われたので「MAPカメラの男気セール」を教える。さっき見たらもう売り出しが終わっていたが「ライカM10とSL2とレンズがたくさん」のセットが1800万円で売りに出ていた。他にもキヤノンセットとか、フェーズワンセットが同じくらいの価格で売りに出されていて、ネタかと思ったら実際に売れたみたいだ。たしかに普通に買うよりもかなりお得な値段にはなっていたけど。一度に買ってしまったら楽しみが少なくなるよねえ。ちなみに「男気ってジェンダー論的にはどうなのか」って声もあったけど、たしかに数年後にはなくなりそうな言葉だ。昨年から写真集を見る楽しみを覚えた彼に、昨日買った熊谷直子の写真集『すべて光』を見せたらうなっていた。それに対して彼が持ってきた熊谷聖司の写真集『HOME』と『REFORM』を見せられて、今度は僕がうなってしまった。これも水曜日のライブ配信で紹介しようと想う。どちらもネガカラーで撮られていて、その点では「写真学生」と同じだが、いったい何が違うのか、その差はなんだろうかを考えてみたい。『写真学生が撮るファッション写真』の再生回数が普段よりも多くて嬉しい。だれかを取材させてもらう時だけ再生回数が気になる。出ていただいたからには多くの方に見てもらいたいから。あの動画はシグマfplに35ミリをつけて撮影しているのだが、路上で手持ちで撮影するのはかなり難しかった。昨年映画の現場で見た肩でカメラを保持する3万円以上するレールを年末セールで1万円で売り出していたので買ってみた。届いたものを組み立てて実際に部屋の中で撮影してみる。なるほど安定はするけど、レール分だけ重くなってずっしりくる。外付けモニターにバッテリーをつけたら完全にアウト。僕には無理な重さだ。動画のカメラマンって巨大なジンバルをあやつったりするし、写真の人よりも体力がある気がする。

<2017年1月4日の日記から>

体が重い。食べ過ぎた。増えたな。確実に。ワークショップ始めは新年会だ。毎年50人くらいが集まる。飲み物食べ物は持ち寄りで、写真やカメラの話をつまみに盛り上がる。そして恒例のクイズ。メインはiPhone7plus vs ライカM9。ちょっと写真に詳しいと思っている人なら間違うはずがないと思っているだろう。そりゃそうだ、携帯のカメラと天下のライカなのだから。レンズを含めたライカの価格は150万円超。iPhone7plus と15倍の価格差があるのだから。でもこれが分かんないんだよなあ。差は認められるがどっちがライカですか? と問われると悩む。皆が悩む姿を見るのが新年会の一番の楽しみだ。今年は見事10問全問正解がひとり出た。これは結構すごいことだ。過去10回くらいやって2人目の全問正解者。ライカを使うに値する人物ということだ(笑)。反対に1問のみ正解者がふたりも。これはこれですごいな(笑)。ほとんどが6問から5問正解。2択だから当てずっぽうでも5問は当たるはずなんだけどね。正月早々参加者全員がおのれの見る目の無さとiPhone7plusの性能の高さに驚くこととなったわけだ。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。2023年の3月で僕は62歳になります。体の変化を感じることも多くなってきたけれど、大晦日の紅白に出ていた佐野元春を見て、年齢とかっこよさは関係ないと思ってしまいました。

今年はすでに1月に『da.gasita』の再販、2月に新宿北村写真機店で「da.da in monchrome」の個展、3月は書き下ろしの書籍出版、4月には新ギャラリー冬青で個展が予定されています。

もちろん「2BChannel」も続けていきます。

最近では活動の中心がYoutubeで、そこにさまざまなものがくっついている感じです。「2BChannel」はただの一度もバズることなく、淡々と登録者を伸ばし、2万人の目処が立ってきました。続けていく難しさと同時にメディアを持つ面白さを感じています。

昨年は京都、秋田、青森、瀬戸内、名古屋、屋久島、箱根と国内を回ってきたけれど、今年はなんとしても海外に行きたいと思っています。何かきっかけがあればすぐにでも飛んでいきたい気持ちです。もう一度アジアの安宿に泊まりたいし、ベルギーやオランダにも再訪したい。そのためにも今年も健康で、たくさん仕事をして、カメラを買って、旅に出て。ということで、皆さま今年もどうぞよろしくお願いします。

 

2022-01-01
20年分の「あけましておめでとうございます」
2022年1月1日。あけましておめでとうございます。

大晦日も動画の編集。午後4時にMacの電源を落として銭湯へ。風呂上がりに日本酒とコーヒー豆を買って帰る。あとはコタツでゴロゴロ。テレビ見るのもすごく久しぶり。

2002年からずっと元旦に日記を書いている。40歳から60歳までの新年の抱負だ。思いもよらぬことがあって、思いがけないことも起きた20年。いつも今年はいい年になると信じていたし、2022年もそう。写真の世界は20年前とは信じられないほど変わっていて、タイムマシン使ってあのころの自分に「お前は60歳のときにYoutubeなるものを始めていて、大晦日も動画編集することになる」って教えたらどんな顔するだろう。たぶん「なにやってんだよ」って怒るはず。そんな自分に「60歳になるまでいろいろあるけど、まあなんとかなるから心配しなくていい」と伝えておきたい。大晦日まで働いていたので、三が日は何もしない。でも多分やっちゃいそうだ。今年は1月の冬青での展示がないので仕事始めは6日から。『2BChannne』のライブ配信は5日の水曜日。2022年もコツコツアップしますのでよろしくお願いします。

 

◉20年分の「あけましておめでとう」

<2002年1月1日>
年明け早々からこのコラムを見てもらえたこと、とても感謝しています。昨年6月から始めて半年、いろいろな人に「見てるよ」と声を掛けてもらいました。作った当初は更新を重ねる自信はありませんでした。しかし書いていくうちにペースがつかめ、コラムは50近くにまで増えました。肝心の写真はまだ少ないのですが。100のコラムと100のギャラリーを目指して今年も続けて行きます。「よくそんなに写真のことだけで書けるね」と感心されますが、町工場のオヤジが「ネジ」について一晩しゃべり続けられるのと一緒です。365日、朝から晩まで布団に入ってからまでも写真のことを考え続けています。写真のことが頭から離れるのは、体を動かしているときか、おいしいものを食べているときぐらいなものです。別に「そうあらねばならぬ」と思っているわけではなく、ただ写真が好きなだけなのです。好きなことを一年中考えていられて、好きなことをやって皆に喜んでもらえるのは幸せ以外の何ものでもありません。 いいことばかりでもありませんでした。昨年は始めて「不況なんだな」と実感しました。雑誌が好きで表紙を含めてグラビアで仕事をしています。今までは世の中が不況だ不況だと言っていても、こと雑誌に関してはいい写真を撮ってさえいれば全てが許されるところがありました。しかし昨年からは「コスト」というものを意識せざるを得ません。写真集の版元であった「モール」の倒産、2年間表紙を担当していた「モバイルアイ」の休刊。三國連太郎、美輪明宏、喜多郎などシブイ人を撮らせてくれた「おとなぴあ」も一時休刊。出版不況はまだ今年も続きそうです。だからといって今までの手間を掛けた仕事のやりかたを変える気にはなれません。自分を必要としてくれる人のために今年も頑張っていきます。また必要としてくれる人が一人でも多く増えればこんなに嬉しいことはありません。今年41歳。厄年です。 10歳の夏休み、盆踊りのスピーカーからは「あと、さんじゅうね~んで、にじゅういっせいき~」と流れていました。三波春夫が歌っていた「21世紀音頭」です。「30年後、21世紀になる頃40歳か」。子ども心に40歳という年齢には圧倒的な絶望感を抱いていました。イメージは「腹が出た生活に疲れたおじさん」です。想像していた21世紀は「空中都市」に、「銀色のテカテカの服」「錠剤になったゴハン」です。その生活におじさんは似つかわしくはありません。21世紀になっても「空中都市」は実現しませんでした。けれども、僕自身は少々腹は出てきたもの生活には疲れていません。10歳のときに考えていた40歳の自分よりも全然OKです。40歳になったら気持ちは30歳台よりもずいぶんと楽になってきました。仕事も経験を裏打ちにできるし、まわりもちょっとは見えるようになってきました。つまらない見得を張る必要もありません。そんな今、積極的に撮っているのは「東京」です。モノクロのスナップではなく、シノゴを三脚に据えてカラーで撮っています。「こんな東京知らないでしょ」とか「なつかしい東京」と言った類ものではなく、「皆が常に見ている東京」。雑誌「東京人」で撮っていたものがベースになっています。このサイトの中の「プロフィール」・「東京人」・「東京大観光」で一部見ることができます。撮り始めて、あらためて東京の面白さ、美しさを再認識しています。ここ数年でパリやロンドン、NYを見て回りました。そして他の都市に比べ圧倒的に東京が大きいのを実感しました。 東京は「メガロポリス」です。東京の大きさは、内包しているものの多様性を表しています。雑多で猥雑で新と旧が交じり合い、奇妙なバランスを保っている。自分が住んでいる東京がこんなに面白いとは40歳で初めて気がつきました。今なら東京が撮れそうです。夏までには撮影を終え出版を目指します。東京に住む人はもとより、海外のいろんな人々に見てもらいたい。これが今年の目標です。世界中が日本に注目し始めています。音楽やアート、ファッション。群発的に起こっているジャパンムーブメントが、サッカーワールドカップをきっかけに大きくなることでしょう。でも日本の情報はまだまだ世界に伝わっていません。特に東京のことは、興味を持つ人の多さに比べて情報がないに等しい。いまだに侍の国と思っています。僕の撮っている東京が、リアルな東京の一端を伝えられる一助になればいいと思っています。
今年は、この撮影のことでたくさんの人に協力をお願いすることになるでしょう。みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。 

 

2003-01-01

今年の雑煮は東京風

娘が一足先に田舎に行っているため、なんとものんびりとした正月を迎えています。地元米沢では、「お年とり」といって大晦日の晩に盛大にご馳走を食べる習慣があります。「おせち」の中に入っているような数の子やら、黒豆やら、なますなどもその日に食べてしまいます。したがってお重に入った「おせち料理」はありません。もちろん蕎麦も食べません。夕方から飲みながら食べながら大晦日を過ごします。一年中で一番大事な日です。東京生まれ東京育ちの妻と結婚した最初の年、大晦日の晩に彼女が冷蔵庫の残り物のようなもので軽く済ませようとしたため、思わず喧嘩になりかけました。妻は「大晦日は軽く蕎麦を食べるくらい」の認識しかなく「盛大に」を当たり前と考えていた僕とに大きくずれがあったのです。正月用に作っていたものを全部テーブルに出すことでようやく納得したのを覚えています。ちなみに米沢のお雑煮は鳥だしの醤油味で、大根、高野豆腐、鳥肉、せり、ごぼうなど結構具沢山。東京のあっさりとしたお雑煮を始めて食べた時はショックでした。今年の大晦日は江古田の蕎麦や「甲子(きのえね)」で酒の肴と天ぷら蕎麦を食べ、軽く飲み、家に帰ってからはスパークリングワインの甘いのを1本空けたくらいで、まるで老夫妻のような大晦日でした。何もないことがいいことなら、昨年は幸せな一年だったと思います。今年もずっと「写真生活」を続けていけたらと思っています。

 

2004-01-01

大晦日は毛蟹。一ぱい1800円。目の調子も安定してきて、楽しいお正月を迎えることが出来ました。ただし、残念ながらお酒は抜きですが。日付が変わった頃、家の前の小さな神社におまいりに行きました。毎年お願いするのは、「お金持ちなりますように」でも「いいことがありますように」でもなく、「また来年笑ってお正月を迎えられますように」ということだけです。一年の内にはいいことも悪いことも様々あるでしょうが、区切りとなる新年には「去年もいろいろあったけれど、いい年だったな」と振り返りたいのです。本当に昨年はいろいろありました。目が悪くなったのは11月の17日。それまでは順調すぎるほどの毎日でした。本は出版するは、やりたい仕事が切れ目なしに入ってくるは、お金のやりくりでなやむこともなく、まさにわが世の春でした。ピークともいえる状況から急転直下、カメラマン人生をおびやかす目の悪化に1週間は胸がつぶれる思いでした。相次ぐ検査に急な手術、そして12日間の入院。テレビも本も見ることができない状態でいろんなことを考えました。カメラマンができなくなったら、写真が続けられなくなったら… 今まで考えもしなかったことばかりです。幸い手術は成功し、復帰の目処がたってきました、一つ失うものがあれば一つ見えてくるものがあると信じています。いったい新しくなった目には何が写るのでしょうか。今年も昨年以上に新しいことに取り組みたいと思っています。2004年1月1日、東京はきれいに晴れています。

 

2005-01-01

おめでたいので「越の寒梅」をいただく。WEBで新年の挨拶をするのはこれで4回目。10年後、20年後にデータが残っていたら、この時代のことを「若かったな」と思うんだろうな。年末は「米沢」に一泊だけして写真を撮り、福島県南会津の台鞍山スキー場へ。大晦日に東京に戻ろうと思ったら東北自動車道で大雪に遭遇。スタッドレスタイヤを履いていたから何の問題もなかったが、渋滞に巻き込まれ家に帰れたのは夜になってしまった。一昨年から写真を発表できる機会が多くなった。今年こそなんとか「TOKYO LANDSCAPE」を形にしたい。米沢も春夏秋冬と撮影し、もう一年続けるつもりだ。今年も撮影とプリントを繰り返す一年になるだろうな。それと、昨年はどこへもいけなかったから今年は海外へ出たい。シチリア?ベトナム?モンゴル?さて、どこから行きますか。

 

2006-01-01

大晦日まで、2月のギャラリー冬青での写真展準備のため暗室に入っていました。2年かけて撮影した「米沢」が形になるのはとても楽しみです。昨年は5回もグループ展を主催したり参加しましたが、今年も個展を含め、多くの展示機会を作りたいと思っています。また昨年はモンゴル、重慶、ミャンマーと心に残る旅ができました。久しぶりに旅のスイッチが入ったようです。年末に「写真に命かける」酔っぱらい達と飲んだことで、モチベーションはかなり上がっています。今年もよろしくお願いします。

 

2007-01-01

久しぶりに米沢の友人と会った。彼は船乗りだ。飲みながら彼は「最近どこへ行った?」と聞いてきた。モンゴルやミャンマーの話をすると「それならいい。『若くして旅をせざるものは老いて何を語るや』だ」と言った。その言葉は孔子だったか孟子だったかショーペンハウエルだったかは忘れたが、高校時代の彼の口癖だった。僕はその言葉が大好きだった。すっかり忘れていたはずの言葉が自分の中に帰ってきた。そしてなぜ僕が旅を続けるのかを思い出した。いろんな経験を重ね、老いて何かを語れるような大人になりたいとあの頃思っていたのだ。新聞社を辞め、フリーになった。それまでの報道写真から一転、雑誌や広告の仕事をし、写真展をやり写真集を作り、書籍を出し、ワークショップを開き、講演会や講評の依頼を受ける。写真に関する多くのことを経験してきた。それもすべて旅だと思えば合点がいく。近頃は自分が進む道のあやふやさに戸惑いを覚えることが多かったが、全ては高校時代自分が望んでいたことなのだ。友人と別れた後つぶやきながら家路についた。「若くして旅をせざるものは老いて何を語るや」

 

2008-01-01

米沢の雑煮は鳥だしの具たくさん。新年あけましておめでとうございます。米沢では2日間ずっと雪が降り続き見事なくらいの銀世界です。今年2008年は、平成で言うと20年にあたります。20年前、昭和64年のお正月は辛いことがあって、おめでとうとお祝いができない年でした。年が明けようやく「おめでとう」と笑っていえるようになりました。それからというもの、初詣でお願いすることは「来年も笑ってお正月が迎えられますように」と決めました。今でもそれは変わりません。一年間いろいろあっても年のはじめは笑って過ごせるように。2007年はいろんなところに行きました。台湾から始まって上海、アルル、インド、シンガポール、内モンゴル、オランダ、パリ。その間を縫って毎月一度は米沢に帰りました。7月には写真集『traverse』と『旅するカメラ3』が。それに合わせて1ヶ月間ギャラリー冬青で写真展を開き、アルルの写真フェスティバルに行ってきました。それがきっかけで11月にはパリの写真ビエンナーレに参加することができました。まさに「traverse」。ジグザグにウロウロしていました。今年はおとなしくしているつもりでした。でもやっぱりウズウズします(笑)「traverse」の次になにをしようかと思ったとき、いろいろコンセプチュアルなことを考えたのですが、自分には格好いい写真は似合わないと気がつきました。スタンスは変わらず、そのままです。行きたい場所は日本海を隔て接している外国です。船で行けるロシア、韓国、中国、台湾。近くて遠い国を覗いてみたい。今年もまたウロウロします。皆様よろしくお願いいたします。

 

2010-01-01

笑ってお正月。ネットに新年の挨拶を書き始めて8年目。あらためて今まで元旦に書いたものを読み直してみました。その時々の心境が書かれています。共通しているのは1年間色々あるだろうけれど新年は「笑ってお正月」を迎えられたらいいなということでした。昨年の元旦の日記には「冬の時代」のことを書きました。世間一般の景気のことではなくて、個人的なサイクルとして冬の時代に突入しているのを実感しているということです。日記には「冬には何もするな」と書いていました。それに従うように自分から動くことは一切なく、海外へも仕事でモルジブとオランダに行っただけでした。ギャラリー冬青で写真展をやったり、グリフィン美術館のサイトで写真がピックアップされたり、美術館が作品を収蔵してくれるという喜びもありました。仕事以外では10年ぶりに家を引っ越しました。でもこれは自ら動いて探しだしたというより不思議な縁で動いたものでした。基本的には自発的に何もしていない1年でした。声をかけてもらったことだけを頼りに行動していました。秋口には原因不明の体調不良などがあり益々行動を自粛していた感があります。ところが11月くらいから体に妙な力が湧いてくるのを意識するようになりました。指先まで血が通っているのが分かるほどです。肩こりもほとんどなくなり体調が良くなっているのが分かります。どうやらちょっとづつ動いても大丈夫な季節になってきたようです。今年はまた自らの考えで行動し始めます。海外へも行くでしょうし、新しいことも始まる気がします。ただしまだ暖機運転中。ギアをローに入れてまずはソロソロ動き出します。今年もよろしくお願いいたします。 twitterはフォローしてもらっているのに計26回しかつぶやいていません。苦手なようです。見るのは好きなんですが。今年の最初のつぶやきは「ニューヨークなう」にしようと決めています(笑)

 

2011-01-01

今年は東京での年越しです。昨年を振り返ると「待ちの1年」につきるわけで。6月までは何も動かないだろうということは、これまでの人生サイクルから何となく分かってはいたけれど、分かってはいても、どこかで何かを求める気持ちはどこかで出てくるし。欲しがらないようにするのが大変だった。文化庁の海外留学制度には、実は昨年の1月に応募を決めていた。そこから家族を説得し、5月に日記を通じて宣言して、7月に募集が正式にアナウンスされると受け入れ先や国内の推薦人を探しに奔走し、9月に書類を提出すると、2次面接の通知を首を長くして待ち続けていた。1月からは自宅のポストを日に2回のぞいてはため息をつく毎日だった。それがようやく本当にようやく先週、2次の通知が届いた。長かったあ。まだ何も決まってはいないんだけどね。でも「なんだか行けそうな気がする」のだ。試しに1961年3月26日生まれの運勢をネットで見てみた。鏡リュウジのやつだ。そしたら…「あなたはまだ見ぬ世界につながる扉を大きく開け放つのです! あなたにとってこの2011年が、人生の分岐点だったと思えるような記念すべき1年になるはずです」とあった。ね、そういうことになっているわけです(笑)というわけで今年もよろしくお願いいたします。

 

2012-01-01

お餅のために火鉢登場 。今年で51歳。「ちょっと前の話」が25年前のことだったりする。気がついたらこの日記は今年で10年目。ワークショップも10年目。もうこうなると今年の抱負とか意気込みとか言わなくてもいいような気がしてきた。こういうの年の功って言うんだろうかね。今年決まっていることは年末に写真集を出して写真展をやるということくらい。数年来撮っている米沢や青森をベースに、新たに撮影したもので構成する予定だ。さっそく来週から撮影に出かける。ネパールの写真も展示するつもりだ。企画展やグループ展にも参加する。海外にも行きたい。ネパールも再訪するつもりだし南の島にも行きたい。今年も写真を撮って生きていけたらそれだけで幸せ。2012年もボチボチとゆっくりと焦らず写真の周りをぐるぐるします。どうぞよろしくお願いします。

 

2013-01-01

静かに2013年が開けました。今年は東京での新年です。毎年大晦日に自分の日記を見返すのが恒例となっています。過去10年分の新年の挨拶を見ていると、その年その年の抱負が書かれていてその変化が面白いものです。10年一昔前といいますが、日記を始めた頃からは想像もつかない時代です。「もう日本はお終いだ、早く日本を脱出したほうがいい」と言う人もいます。でも僕は楽観的過ぎると笑われるかもしれませんが、段々良くなる方向に進んでいると信じています。東京の大晦日のスーパーや新年の神社には、ここ数年とは違った空気が流れていました。東北はどうなんでしょう。個人的には昨年出した写真集『da.gasita』をたくさんの人に見てもらうために動いていきます。手始めにサンタフェのレビューに申しこみました。6倍の競争率なので、もし洩れたら別の場所を探します。今のところサンタフェ以外に海外に行く予定はありませんが、国内は東北以外も考えています。今年もたくさんフィルムを使って、たくさんプリントします。ワークショップは6月でいよいよ10周年です。3月と9月はワークショップのグループ展。個展の予定はありませんが、どこかで展示をしようと思います。今年が皆様にとって良い年でありますように。僕も明日に向けて頑張ります。

 

2014-01-01

2014年になりました。あけましておめでとうございます。今年で53歳。昨年は初めて歳をとったなと感じてしまった。ヨロヨロ、ヨタヨタ、階段の上り下りにゼイゼイ。鏡を見れば知らない人がそこにいる。はああ。体力戻すまではいかないまでも現状維持をなんとかしないと始めたスクワットは意外と効果があった。ような気がしないでもない。でもまだ夜行バス13時間は平気だし、山道も歩けるから写真を撮るには問題ないからいいか。今年は12月に2年ぶりに個展をやる。でも何をやるかはまだ決まっていない。モノクロなのだけは決まっているけど。たくさん撮ってたくさん焼いてから決める。ずっと「どこかの誰かが自分の才能を見つけてくれて、いいようにしてくれないかなあ」と思っていたけど、この歳でようやくそんなこたあないと分かってしまった。物事は突然生まれない、全てのものは繋がっている。それを唱えて生きてみます。皆様よろしくお願いします。今年は何か局面が変わる気がするんだよな。

 

2015-01-01

あけましておめでとうございます。お雑煮は米沢と東京が混じった味。昨年は屋久島へ行った。車を手放して自転車を新しくした。カメラはdp2とdp1。そして2回も入院。最悪かといえば年末に写真集が出せたのでプラスマイナスゼロ。人生思い通りにならないし、いいも悪いも想像もしないことがおきる。そういうもんだ。ああ、人生いろいろ。今年は『prana』を海外に持っていく。『traverse』の時は、ヨーロッパへ、『da.gasita』はアメリカへ持っていった。そして想像もしないことがおきた。まずは今年3月、香港のブックフェアに行くことが決まった。ヨーロッパにも持っていきたい。写真集はいつも別の世界に僕を連れて行ってくれる。そして新作も作っていかないと。もう2016年の展示も決まっている。ワークショップは今年で50期を迎える。49期は現在募集中ですよ。ジタバタしないで続けていきます。香港行きにむけて英語の勉強を続けて、鈍りきった体も鍛えないと。まずは1月9日より、中野ギャラリー冬青でお待ちしております。

 

2016-01-01

「おお田」のおせち。妻の実家の黒豆。土鍋でお雑煮。大晦日は大掃除というか、模様替え。何をしたかというと、ついに自宅に暗室を作ってしまった。29日に元アシスタントのWが、彼の使っていなかった引き伸ばし機ラッキー45Mを自宅に運んでくれた。そこから大改造が始まった。一階に小さな流しのあるスペースがあって、以前から暗室ができるんじゃないかと狙っていたが、妻には一蹴されていた。当然だ2Bには暗室がすでにあるのだから。もちろん大事なプリントはそこでやるのだが、なんというか、わざわざプリントしにいくのではなく、いつでもやれる環境にしたかったのだ。せいぜい六つ切くらいしか焼けないだろうし、もしかしたらほとんど使わないかもしれないが、常にやれる環境にいたいのだ。と、妻を刺激せず、穏やか~に説得したのだった。今年で55歳になる。写真を始めたのが16歳だから40年もやっていることになる。次第に慣れが出てくる。ああしたら、こうなる、だから撮っても無駄だと考え始めるようになる。そして段々と撮れなくなってくる。今年は「写真小僧」に戻りたい。分かったふりをしないで、今以上にヒタヒタにどっぷり漬かりたい。昨年は変わり目の年だった。目には見えないものの大きく流れが変わってきたのを実感した。今年はそれを受ける年だと思う。「やりませんか」ということに関してはできるだけ「はい」と答えていきたい。まずは1月は8日から30日まで新中野ギャラリー冬青で写真展Demain(デュマン)」が始まる。 毎年口開けをまかせてもらえるのはとても光栄だ。鏡を見ると年をとったなあと感じる。でも体力気力はまだいけるとも思える。今年もたくさん写真を撮ってプリントして、写真を見て、そして見せてという年にしたいと思っています。皆様よろしくお願いいたします。

 

2017-01-01

あけましておめでとうございます。とても良い天気。昨年は写真展「Demain」に始まり写真集『demain』に終わった一年。ずっと長い間やってみたかったことが形になりました。次は何をやるのかというと、さっぱり決まってないわけです。いつもそう。『da.gasita』のときも『prana』のときも、次はどうしようかと思ってました。残念ながらこぼれ落ちるように作品ができる、といった天才ではないようです。ということでまたしても今年はモヤモヤ期。どうなるか自分でも分かりません。頼んでいないのに今年で56歳。55歳までと、その後では感じ方や考え方がまったく違ってきて驚いています。この歳で次の展開がまったく読めないのもどうかと思うのですが(笑)。流れから見て、どうやら今年は変わり目の年のようです。 1年いろいろあるでしょうが、最終的に良い年になることを期待しています。また来年も「笑ってお正月」が迎えられますように。『demain デュマン』はフランス語で「明日」

 

2018-01-01

紅白はエレファントカシマシがよかった。2000年から始めたこの日記はもう18年目。その時々の出来事を綴っていたらなんとなく流れというものがあるのに気がついた。美術でいうならコンテクストだな。昨年のお正月の日記を見ると「流れから見て、どうやら今年は変わり目の年のようです。1年いろいろあるでしょうが、最終的に良い年になることを期待しています」と書いていた。ばっちり当たっていた。昨年はまさに変化の年そのものだった。24年間借りていた事務所ビルの建て壊しにともない、今年3月をもって2Bは終わることになった。大家さんに聞かされた時はさすがに驚いた。でもそういう時期なんだなとあっさり納得。ワークショップは続けていくけれど、2Bという名前はもう使わないで、新しいことを新しい場所で始めることになる。半年間の東大での講座も、変わり目の年を象徴するものだった。2013年から考え続けてきた「現代アートってなんだ?」に自分なりの答えを出すことができた。だからといって、自分の写真が変わるわけじゃないんですけどね(笑)「流れから見て」今年は必ず良い年になる。ただの直感ですけどね。でも僕の直感はよく当たるんです。新年5日からはギャラリー冬青で写真展「2Bとマンデリン」。できるだけ会場にいます。小さなモノクロプリント30枚の展示です。3月は アートブックフェア香港 。3回目の参加。アートバーゼル香港を見に行くのも目的のひとつ。5月は 屋久島ワークショップ。4日間合宿式のワークショップ。朝から晩まで写真漬け。屋久島には毎年縁がある。今回で6回目だ。7月は アルルフォトフェスティバル。4回目のアルル。知り合いも増えて懐かしい場所になりつつある。今年もよろしくお願いします。

 

2019-01-01

いい天気。穏やかなお正月。元旦から銭湯に行ってきました。今年で58歳になります。18歳で東京に出てきて40年もたつんだな。もう実質的に職業カメラマンとしての仕事は終わったと言ってもいい頃です。つまり23歳から35年間「役にたつ写真」を撮って生きてきたわけだけど、これからは「役に立たない写真」で生きていこうと思っています。4日から始まる冬青での写真展案内文が今の気持ちそのものです。今年もよろしくお願いいたします。あ、今年やりたいことがひとつあって、それはウクレレ旅をすること。小さな忘年会でラオスがいいんじゃないかということになりました。

「IN and OUT」1月4日からギャラリー冬青

右があれば左もある。
晴れている日もあれば、雨が降っている日もある。
うまくいくこともあれば、途方にくれることもある。
出会う人もいれば、別れる人もいる。
外に出たい日もあれば、家でじっとしていたい日もある。
何かが撮りたくて撮るんじゃなくて、
撮るために何かを探すことだってある。
何かを伝えるためじゃなく、
自分でもよくわからないけど撮ったもの。
何かを写したものじゃなくて、何かが写っているもの。
役割を持たされた写真じゃなくて、写真が写真である写真。

そんな写真を撮ってみたい。

 

2020-01-01

年末は疲れからダウン。結局最後の2日間は寝込んでましたが、元旦はすっきり。良い年を迎えることができました。未編集の『2BChannel』インタビューが2本溜まっているけれど、それは明日以降にして、今日は家で一日ウクレレ 弾くことにします。「グアバジャム」というハワイアンを練習中。昨年はちょっと忙しくしすぎました。あちこちに種を撒いた感じ。今年はアルルに行くことになっているし、地方にも積極的に行きます。正月明けから全開です。1月8日の水曜日からは、ギャラリー冬青で写真展がスタートします。冬青では11回目になります。毎週水曜日は21時まで開いていますので、仕事帰りにお越しください。今年も「渡部さん、いったい何がやりたいんですか?」と言われるくらい、いろいろなことをやっていきます。

 

2021-01-19

2021年になりました。気がつけば3ヶ月ぶりの投稿です。あけましておめでとうございます。というのもはばかられる時期になってしまった。現在は個展開催中のため、毎日「ギャラリー冬青」に通っている。非常事態宣言が出るかどうかで大騒ぎしていた1月8日からスタートして、1月30日まで。タイトルは「銀の粒」これ以上ないっていうくらい、曖昧なタイトルだ。「ギャラリー冬青」が始まったのは2005年。僕が初めて展示をしたのが翌年の2006年。以来、毎年1月に個展をさせてもらっている。実は、冬青は2021年12月で終わってしまう。だから僕がここで展示できるのもこれが最後。初の展示が終了した日、冬青の社長から「これからは毎年やってください。いい時もあるでしょうし、悪い時もあるかもしれない」「でもずっと続けていくことを覚悟してください」と言われたのを覚えている。今まで、ここでいろいろなことをやってこられたも、この言葉があったから。「よく分からないけどやってみよう」という年があり、それをまとめる年もあり。モヤモヤ期とスッキリ期が交互にやってきた感じ。結果的に15年間で12回の展示と4冊の写真集にまとまった。我ながら恵まれているといつも思う。今回は、最後にふさわしく「まったくまとまりのない」展示になっている(笑)。でも、やりたいと思ったことをやっているので、会場にいてもすごくスッキリしている。毎年、必ず在廊しているけど、落ち着かないことがほとんど。でも今回は本当に楽。ちょっと心苦しいのだけど、自粛期間にもかかわらず、たくさんの方が来てくれている。その中で「いつも2BChannelを見ています」という方が本当に多くて驚いている。もうすぐ登録者数9000人で、ありがたくも1万人目前になってきた。始めたときに目標にしていたのは登録者数1万5000人。これは、カメラ雑誌の実売数がそのぐらいなので、そこをかなり意識してのこと。1万5000人の登録者がいるということはメディアになれることだと思ったのだ。昨年はYouTubeに注力したため、この「写真日記」はずいぶんおろそかになってしまった。僕はあることをし始めると、そればかりに集中してしまうところがあって。ブログのことはずっと気になってはいたんだけどね。今年はちゃんと更新しようと思っている。どうぞよろしくお願いします。

 

 

仕事納め

朝=燻製鯖とキノコの玄米パスタ/おやつ=長月のガトーショコラとコーヒー/夜=カツ丼、味噌汁

本日仕事納め。と言っても仕事なのかプライベートなのか区別つかないけど。とりあえず年末最後のライブ配信をやったし、来年2月の写真展のプリントも概ね仕上げた。これは初のデジタルモノクロームだけでの展示になる。毎日せっせとエプソン  1Vを使ってプリント。A4とA3ノビを使い分けている。印画紙で焼いたものとは違うけど、これはこれでやっていて面白い。

「2BChannel」のライブ配信は99回目になった。来年最初の配信で100回目。ライブを初めて2年ちょっとだが、ほぼ毎週欠かさずやってきた。音問題もようやく落ち着いてきた。99回もやっていれば当然か。100回目は何やろうかな。

3年前に始めた「2BChannel」は一度もバズることなく、淡々と続けていて登録者数もうちょっとで2万人になる。大変なことに手を出してしまったけど、しばらくは続けていけそうだ。10年後にはYoutubeとか存在しているんだろうか? メタバースの中で配信してたりするのかな。アバターとか使っているかも。

その時写真はどうなっているんだろう? 撮影という行為はどうなっているのだろう? 意外と面白い時代に立ち会えているのかもしれないね。

<2021年12月29日の日記から>

朝ご飯を食べていたところに松本の写真集の校正刷りが届く。まずは表紙を含む人物と風景が8点。シート状に印刷されたものを広げて朝の光で確認。いい感じだ。顔色もいい。マット系の紙を選んでいるので、シャドーの階調がどう出るか心配だったが大丈夫そうだ。ここでダメだと最後までダメ。だから校正刷りを見るのは緊張する。午後にZOOMで担当者と打ち合わせ。お互い安堵の表情。最後の詰めとしてテキストサイズやフォントの確認。ここにはまだ改善の余地がある。そして最後の撮影は1月上旬。寒いだろうなあ。午後に渡邊浩行さんがやってきて「2B Channnel」の収録。渡邊さんには定期的に来てもらって写真の話をしている。毎回、特に打ち合わせもなく、90分くらい話をして、それを力技で編集しなんとかする(笑)。年末年始に聞いてもらえるようにするために即作業。とはいえ2日はたっぷりかかりそう。今年もギリギリまで編集が続きそうだ。夜にNETFLI Xで『浅草キッド』を見た。クリスマスにやってきた新人映画監督が面白いというので気になっていた。この映画の監督は劇団ひとり。過去にも自分の小説を元に映画を撮っていた気がする。『浅草キッド』は師匠と弟子の話。売れていく弟子に落ちていく師匠。でも弟子はずっと弟子で、師匠はずっと師匠。弟子の活躍は悔しくて嬉しくて。ドラマの中で師匠が妻に「新しいコント考えたんだよ」って言うシーンがある。なんだか自分も同じこと言いてる気がする。

<2010年12月29日の日記から>

昨日は暗室と事務所の大掃除。アシIと元アシFが手伝ってくれて7時間びっちり。1年間何かと溜まった不要なものがゴミ袋にして10袋以上。基本的に2年使わなかったものは全て処分。その対象にフィルムカメラのペンタックス645Nも含まれる。長年働いてくれた645Nもすっかり出番をなくしていた。次の働き場所をもとめて新年会の景品になることに決定。交換レンズは下取りに出すか。しかしこの部屋中の荷物の山はどうだ。昔は一部屋で収まっていたのが場所が広がるにつれ、その分荷物も凄いことになってくる。すでに来年9月から留学でアメリカに住む気になっているので、片付けながらIとFとがこの場所はどうするんですかと聞いてくる。どうしたらいいのか自分でも決めかねている。①全てを処分して何も残さない。②暗室だけは残す。③暗室と2Bの両方を残す。今のところ3つの案が考えられるが、①案の場合、帰国後プリントすることも、ワークショップをもう一度開くことも難しくなる。②案はコストは年間60万円くらい。帰国後プリント制作は今と変わらず行える。③案になると、帰国後再びワークショップを開くことも可能だが、維持費が180万円くらいかかる。いずれにしても問題がある。コストのことを考えれば①案だが、②案も捨てがたい。でも暗室だけ残してもしょうがないし、帰ってきたときのことを考えると。いやここはやっぱり全てを捨てて・・・・堂々巡りの考えがグルグル。まあ決まるもんが決まらないと仕方がないのだが。大掃除が終わり、夕ご飯を彼らと食べているときに、IとFに留学についてのレクチャーを受ける。Iは中国に2年間、Fはアメリカに6年間住んでいた。海外に一人で住むってどんな気持ちなんだろう。ココロは夢見る50男になっている。

冬青との17年

2022年末をもって、冬青社及びギャラリー冬青は高橋国博さんが正式に代表を降りることになった。来年度からは野口奈央さんのもと新体制となる。

僕自身は、ギャラリー冬青が立ち上がった2005年からお世話になり、翌年2006年からは毎年のように個展を、そして海外のギャラリーの窓口になってもらった。写真集も4冊、冬青社から出してもらっている。いまさら言うまでもなく、僕がこうして写真で生きて行けているのは冬青社、つまり高橋さんのおかげだ。もしあの時、声をかけてもらわなかったら。人生は思い通りにいかないことばかりだけど、時たま思ってもいない幸運に恵まれる。

2005年、僕は「da.gasita」の写真展をやるために、当時新宿にあったコニカミノルタが運営するギャラリーの審査に応募した。自信があったにも関わらず、結果は落選。応募作品を引き取りに新宿に行った。たぶん人生の終わりのような顔をしていたはずだ。そこへ高橋さんから、「コニカミノルタに落選したことをブログで知りました。その作品を見せてもらえませんか」と電話があった。僕はすぐさま電車でギャラリー冬青のある中野まで行き、高橋さんにプリントを見てもらった。それから僕の人生は一変してしまった。実は高橋さんが僕のブログを見ていたわけではなく、スタッフの方がこの「写真生活」を見てくれていて、落選を高橋さんに伝えていたのだと後で知った。

最初に高橋さんに会ったのは、僕が44歳、高橋さんが60歳の時。あれから僕はずっと目の前を走っていた高橋さんの背中を見てきた。冬青から離れても引退というわけではなく、来年からも写真集制作や海外でもプロモーションは続けると言っている。そして僕は2023年4月、新冬青で写真展「da.gasita」をやることになった。あの落選プリントを展示します(笑)。最後に、高橋さんお疲れ様でした。そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。僕をこの世界に引っ張り込んだのだから、責任とってこれからも仕事してください(笑)。

発売日は2月末予定

朝=鯖の燻製玄米パスタ/夜=新高円寺のいい感じのお店

書籍出版に向けて年内最後の打ち合わせ。書き過ぎた分はページ数増量やらなんやらで書いた分は全て載せることになった。『じゃない写真』よりもページ数が多くなったので、かなり厚みがありそうだ。定価は2400円プラス税になりそう。発売日も2月末に決定。発行部数も決まった。丸1ヶ月分働いた甲斐があったなぁ。

来年は4月に冬青の写真展なので、プリントを準備するために保管ボックスからいろいろと出してみたのだが、良い状態のプリントがかなり少なくなっている。そこで、以前プリントを預けていた海外のギャラリー3カ所に連絡して、全部引き上がることにした。一度手元に戻して、プリントを管理する必要がある。やっぱり撮影当時にプリントしたもののほうがいい。

銭湯であったまって、夜は元アシスタントの鈴木麻弓と妻とご飯。謎すぎるおしゃれな店が家の近くにある。よく「弟子は師匠を越えられない」とか言うけど、みんなえらい勢いで越していってる(笑)。越されっぱなしというわけにもいかにので、師匠もちょっとは頑張らないと。

 

<2021年12月21日の日記から>

妻が出かけたので食べたい物を夜に作った。作ったというほどではないな。ストーブでお餅を3個焼いてインスタントラーメンというのは、学生時代を思い出すな。思う存分食べた。お腹いっぱい。木曜日に母校の日大芸術学部写真学科で特別講座を受け持つので、そのための資料作り。学生時代に母校で授業を担当できるとは想像もしていなかった。久しぶりに江古田に行けるのも楽しみだ。午前中の授業なので昼ごはんも久しぶりに江古田。何にしようか。大学からのリクエストは『じゃない写真』について。本をそのまま紹介するのもつまらないので、写真のHOWとWHATとWHYについてに話すことにした。ちょうど2B Channnelでは「写真学生」の第4弾「酷評された写真」をアップした。なぜ「写真学生」の写真は酷評されたのか? https://youtu.be/5_mJmYHdmWY  このシリーズは、思いがけず広がりを見せている。彼は学生とはいえ、写真についての考察はかなり鋭い。年末には全く別の切り口で「写真学生」を収録する予定。

<2018年12月21日の日記から>

43年続いた江古田の喫茶店が昨日で終わった。何度もこの日記に出てきた「POOR HOUSE」というお店だ。東京に出てきてから38年間、週一度は通っていたから生活の一部のようなものだった。ここがなくなったときが江古田を離れるときだなと思っていたら、ほぼ同時に事務所にしていたビルの建て替えで、「2B」もなくなってしまった。がらんとなったプアハウスの店内を、不動産屋に鍵を返しにきた店主とながめる。こんな日が来るなんて。椅子や小物や食器は関わりが長かった人が引き取っていった。僕は大テーブルを、娘は看板を引き継いだ。駅前を散歩すると、2Bが終わってから半年ちょっとなのに、いろいろ変わっていた。ランドマーク的存在だった「おしどり」も更地になっていたし、お好み焼きの「あんず」もなくなっていた。僕が30年前に住んでいたマンションの大家さんでもある文房具屋さんで買物をしたら、僕のことを覚えていてくれて驚いた。もう江古田に来ることはないだろうなあ。