ストーブ

朝=お雑煮/夜=ストーブで焼いたパン、チーズ、リンゴとセロリのサラダ、タコとトマトのパスタ

川内倫子を見に行こうと思っていたのだが、外は雨、冷えてきたので和室にこもってストーブをつけた。そして堀コタツでアニメ映画「命短し歩けよ乙女」を見てしまったら、もう外に出る気がまったく起きなくなった。そのままずっと同じ格好で夜まで1日過ごした。ひさしぶりに生産性0の日。PCを一度も開かなかった。

 

<2021年10月25日の日記から>

数日前、60センチ幅でプリントできる大型プリンターエプソン PX7500を使おうとして、パワークリーニングをかけたらインクが一本なくなってしまった。今日インクが届いたので再度クリーニングを続行したら他のインクがなくなった。「プリンターあるある」に見事にはまってしまった。仕方がないのでまた注文。いつになったらプリントできるやら。過去日記にあるように、2005年に購入しているからもう16年も使っているのに、全く問題なく使える。業務用機恐るべし。初期投資は少々高額でも十分元がとれる。僕のデジタル製品で一番長持ちしている。このプリンターと同時期に買ったのがキヤノンEOS5の初代。カメラは激変したが、プリンターはさほど性能が変わっていない気がする。11月24日からのルデコでは3、4、5、6階の他に地下フロアも展示予定。しかし地下では何をするかいまだに未定。なんとなく、プロジェクターで映像を投影しよは思っているのだが、コンテンツは揃っていない。以前、日記に書いたエプソンの短焦点レンズ搭載のモデルは大きくて価格も35万円なので諦めて、軽くて価格も手頃なLG製の短焦点モデルを買ってしまった。10万円を切る価格で購入できる。もっとも今10万円出せば間違いなく60インチクラスのテレビが買えてしまうけど。ちなみにLGのプロジェクターは壁面から25センチのところに機器を設置すると100インチで投影できる。解像度はフルHDで照度は1000ルーメンなので、部屋がある程度暗ければ鮮明な画像が得られる。これでルデコ地下の壁面を思う存分使うことができるな。地下なので昼でも遮光の心配はない。期間中、僕は地下に詰めて、古いモノクロ映画でも上映しようかな。

<2005年10月25日の日記から>

来年度一年間の「日本カメラ」カラープリント部の審査をまかされた。今日始めて編集部に行って審査を行った。小さな会議室に通されて「これが応募作です」と2000枚を軽く超す量の写真を差し出された。予想はしていたが、その圧倒的な量に笑ってしまった。2時間もあれば済むとたかをくくっていたが、審査が終わるのに4時間以上かかってしまった。審査は、「渡部さとるギャラリー」のギャラリストのつもりでセレクションした。だから上手下手より「その人の世界観があるかどうか」に重きを置いた。これから入選作の講評を書かなければならない。毎月のことだと思うと…。佃島の倉庫へエプソンの大型プリンターPX7500を引きとりに行く。買ってしまったのだ。「出力オタク」の面目躍如である。9500と悩みに悩んだが、ハンドリングを考えて7500にした。現物を見てそれが正解だったと感じた。7500でも十分大きいのだ。大きさと重さに事務所の前でどうしようか困ってしまった。アシTとふたりでは到底2階の事務所まで運べない。そこで御近所2名を急遽呼び出して運んでもらった。組み立てたらぴったり部屋の隅に収まった。まるであつらえたかのようだ。試運転が楽しみである。

 

 

 

あんことお餅

朝=山かけ肉そば/夜=玄米キムチ炒飯、唐揚げ

日曜日は夜の配信があるので、遠出はしないことにしている。川内倫子と野口理佳は見に行きたいのだが。散歩がてら駅前の商店街を回る。買ったばかりの革ジャンを着てみた。Tシャツに革ジャン、鼻先に革の匂いが漂う。

阿佐ヶ谷には「うさぎ屋」という和菓子の名店があるのだが、「あんこ」だけでも買える。僕は絶対的な粒あん派。自宅では普段甘いものはあまり口にしないが、粒あんとバニラのアイスクリームだけは大好きだ。この組み合わせがたまらなく美味い。西友に寄ったあと、商店街のほうの甘味屋さんでお餅も仕入れる。そろそろ石油ストーブの季節。灯油価格は一時の1.5倍くらい。一缶1700円だったのが今では2300円になった。家にもどったら写真雑誌『IMA』が届いていた。「ファッション写真が進化する」の特集が面白い。

 

<2021年10月24日>

シグマの桑山さんのインタビュー動画を編集したり、ルデコの相談を受けたり。実を言うと3階の学生のフロアはあまりうまく進んでいない。それまでの2BやHの延長と考えていたら見当が外れた。今までもワークショップで学生を相手にしていたが、それは社会人に混じってやろうとしていたので、特に「学生だから」と言うことを考えずに接してきた。そしてそれが良い方向に働いていたと思う。でも今回は学生相手ということをもう少し考えるべきだったかと悩んでいる。「好きな時にいつでも相談に乗る」という今までのやり方は明らかに失敗だったようだ。毎週末は常にZOOMと対面のために時間を空けているのだが。残り1ヶ月になっても、僕に連絡をしてくるのは二人だけ。あとはオンライングループ内で呼びかけても全く反応がない。これにはかなりまいってしまった。ルデコでやる意義を伝えきれていなかったのが原因なのか、それともそもそも何かがずれてしまっていたのか。勝手の違いに僕も戸惑っているが、学生たちも同じ気持ちなのかもしれない。11月22日の搬入まで、少しはそこを埋めることができるのか。

<2018年10月24日の日記から>

お店にかけられた看板には「Coffee Curry Wine」とある

19歳のときに東京に出てきて2年以上アパートに電話がなかった。もっとも自分だけじゃなくてアパート暮らしの学生はみんなそうだったからそんなに困ったりはしない。大家さんにとりついでもらえたし、そもそも電話が必要なことってなかった。ただ風邪をひいて倒れたりすると大変。若いけど慢性的な栄養失調だから抵抗力が弱い。毎年のようにインフルエンザで倒れていた。そうなると3日間ほぼ絶食状態になる。すると誰かが様子を見にやってきて、慌てて食料を買ってきてくれた。とはいえカップうどんくらいだが。それとポカリ神話のようなものがあって、風邪をひいたらポカリだった。アパートには何もない、テレビもない、パソコンなんて影も形もない時代だ。レコードとラジオがあるくらい。だから学校には授業に出なくても毎日行っていた。誰にも会えない日曜日は嫌いだった。

当時、江古田は喫茶店の密集率が日本一、と雑誌に書いてあった。それぞれに「行きつけの店」のようなものがあったものだ。僕は「プアハウス」というお店に行っていた。同じ学年で演劇学科だった三谷幸喜も来ていた。癖になる辛いカレーと粗食という謎のメニューがある。トマトのスパゲティと鰯のトースト。ワインやウィスキーもあったしチーズの盛り合わせもある。深夜、閉店の11時近くになると常連客がやってきて、そのまま1時くらいまで遊んで帰る。ホッケーゲームだったりダーツだったり。そのときそのときのブームがあった。夜中に光線銃を持って二子多摩川でサバイバルゲームをやっていたこともある。かと思えば、そのままオフロードバイクで奥多摩まで走りに行っていたこともある。そんなことができるのは、サラリーマンじゃなくてフリーランスだけ。ライターやカメラマンやミュージシャンや役者や何をやっているのかわからないものばかりがお店に集まっていた。僕が新聞社をやめたのも、彼らを見ていて「なんとかなるだろ」と思ったから。ご飯の食べ方もお酒の飲み方も音楽も遊びもプアハウスで教えてもらった。

19歳で通い始めたお店は、今年で幕を閉じることになった。40年続いたというのに、店主も内装もメニューも味もまったくといっていいほど変わらなかった。カウンターに座って見える景色は19歳の時と同じ。娘ができたときに「この子が大きくなったらプアでバイトできたらいいな」と思っていた。その夢は今年かなった。日曜日のバイトが足りず2カ月ほど手伝うことになって、僕は一度だけお店に見に行った。プアハウスは昨年、店主の体調の問題で閉じて、今年つかのま再オープンしたがまた閉じて、ついに今年いっぱいで引き払うことになってしまった。2Bのあったスタービルは取り壊しが始まり、去年まで江古田のランドマーク的存在だった「おしどり」もすでにあとかたもなく、どんどん江古田が遠くなってくる。後片付けを手伝いにいったときにお店で使っていた食器をわけてもらった。ちょっと重めの黒塗りがきれいなカレーとスパゲティと粗食の器とコーヒーカップだ。

 

 

 

 

2本撮り

昼=鹿肉の玄米カレー、菊のおひたし、タコとカリフラワーとブロッコリーのスパイス炒め/夜=キノコと野菜のラーメン鍋

昨日は午前中からずっとバタバタしていたので日記を書かなかった。ただの日課みたいなものだから、別に書かなければならない理由はないのだけど。

石井さんに来てもらって「2B Channel」の写真集紹介動画を2本収録。彼の持っている写真集で気になるものを僕が解説していくシリーズを作っている。今までクーデルカ、ブレッソンとやってきて、今回はソール・ライターとロバート・フランク。時代背景を考えながら説明してみた。写真集は小説なんかと違ってわかりづらい面がある。名作写真集というのは、即ち時代性を写し込んでいるので名作と呼ばれるので、その時代がどのように映り込んでいるのかを見ると面白いのだ。

石井さんは先月買ったバルナックライカに夢中なようだ。露出計がついていないので、4パターンだけ露出を教えたのだが、ネガカラーだからまったく問題なく写っている。そうなると気になるのがM型ライカなのは間違いないところ。復刻のM6は75万円だそうだ。

 

<2021年10月23日の日記から>

雨。肌寒いんじゃなくて、芯から寒い日に、千葉の佐倉にある「川村美術館」へ。ここは年に一度は来る。一番好きな美術館かもしれない。東京駅八重洲側近くから直通のバスが出ていて、遠いけど意外と便利。朝10時ちょっと前に出て11時には美術館につける。晴れたら広い庭の中でお弁当を食べるつもりだったが、この天気では無理なので、まずは館内のレストランで昼食。さて、美術館では現在、「ミニマル/コンセプチュアル」の企画展をやっている。1960年代からアメリカを中心に、美術はミニマルとコンセプチュアルの時代になっていくのだけど、川村美術館の今回の展示は、ドイツデュッセルドルフにあったフィッシャーギャラリーで扱われた作品を中心としたもの。工業製品や既製品を使い、作者の感情を廃した「じゃない美術」だ。当時いち早くその存在に目をつけデュッセルドルフで、ギャラリーを開いていたフィッシャー夫妻の膨大なコレクションと資料が展示されている。その中には写真だとベッヒャー夫妻のものもあるし、ゲルハルト・リヒターのフォトペインティングもあった。かなり大きなスペースを使っての企画展で、じっくり見ていたらかなり時間がかかった。常設展も昨年とは違った作品が掛けられていて、あっという間に3時半の帰りのバスの時間になってしまった。できればあと1時間バスが遅ければといつも思ってしまう。

<2007年10月23日の日記から>

写真の審査を終えたら、次はコンテストの講評を書かなければならない。見るのはこれほど楽しいことはないが、それにコメントをつけるのは毎回苦労する。基本は、なぜこの写真を選んだのか、ということをコメントとして書く。金賞を選ぶ基準はといえば、上手い下手より「すげなあ、こんなの撮れない」につきる。

半日かけて書き上げたところで新宿へ。今日は竹下太郎写真展の初日。コニカミノルタフォトプラザが若手写真家を発掘するためのアワード、フォトプレミオ受賞展だ。彼はフィリピンの島を舞台に作品を作っている。僕が南の島のシリーズで撮ったカオハガン島も入っている。タイトルは「望郷」20歳の年齢で感じる望郷の意味は作者コメントにある。正方形の画面のモノクロ写真。新しさはないが、いつまでたっても古くはならない写真だと思う。今回のコニカミノルタプラザは3ブースともモノクロ。ギャラリーAの平松伸吾もよかった。どこか醒めた熱さを感じる写真だ。ギャラリーCは長野重一。あきれるくらい凄いプリントだ。AとBが「まだまだ子供だね」と思えてしまうほど。閉館後、10人ほどで竹下太郎の祝賀会。僕が竹下太郎くらいのプリントを作れるようになったのは35歳くらいだったなと飲みながら思う。

40年ぶりの革ジャン

朝=山かけうどん/夜=阿佐ヶ谷にできた「もんじゃや」

午前中に「2B Channel」の動画を1本収録。3回撮り直してようやく録画できた。21日金曜日の18時に公開予定。「オリジナリティってなんだ?」。ちょっと固い話かな。11月はいろいろと収録する予定。

午後は年一度の服のまとめ買い物で吉祥寺へ。人に会う仕事だし、配信もあるので、ちょっと清潔感がある服を選ばないといけない。まあ大体パーカーだけどね。NASA開発の繊維でできた薄くて軽くて保温性や保冷性があると謳っているパーカーが肌触りが良くてまずそれを買かう。その他にちょっと羽織るためのカーディガン、セーター、メリルの靴を一足買ってヘトヘトになる。いつもながらカメラ以外でお金を使うのは慣れない。ショップを数軒回って、最後の最後に革ジャンを見つける。40年前、バイクに乗っていた頃に着ていたものと同じ形だった。触ってみるとラム革の感じが柔らかくていい。値段もそんなに高くない。ルデコで写真集を売ったお金が残っているから買えないことはない。欲しいけど自分では買う踏ん切りがつかないので、妻に「これをプレセントということで買ってくれ」とお願いして購入。もう一度革ジャンを着ることができるのはかなり嬉しい。

 

<2021年10月21日の日記から>

今日は日中、美術史講座の資料づくり。最終回を音楽・建築・映像の歴史に変更することにしたので、一から作っている。夕方、名古屋の写真家大野雅人さんと「シグマ」プロサポートの桑山さんが来てくれて「桑山さんに聞くシグマの話」を収録した。シグマの会社設立が1961年なので、僕と同じ60歳。僕が若い頃はお世辞にも高性能なレンズを作っていたわけではなく、安いことが売りの製品だった。「プロはシグマのレンズは使わない」というのが当たり前だった。ところが現在は「シグマのレンズは性能がいい、プロがわざわざカメラメーカーの純正品ではなくてシグマを選ぶ」と一変してしまった。転換点はなんだったかを聞きたかった。それは2003年に出したフォヴィオンセンサー搭載のデジタルカメラ「SD4」がきっかけだったんだそうだ。カメラを作ったことでデジタルカメラ対応のレンズというものが何かがわかった。そのための投資としてもカメラ事業は必要だったんだそうだ。収録で聞いた話もすごく面白いのだが、その後ご飯を食べながらの話しの方もすごく面白かった。だいたいいつもそう(笑)  夕方4時から始めてあっという間に10時。カメラの話をしていると時間が経つのが早い。

<2014年10月21日の日記から>

高円寺「KYOYA」で200グラムのリブロースステーキ。300グラムにすればよかった。急に冷え込んできた。液温20度でフィルム現像にちょうどいいと思っていたらあっというまに17度に下がった。事務所の冷え方は半端ではないので冬支度としてカーテン代わりに窓にトレペを貼りこみホットカーペットとコタツを出した。その和みかたはとてもカメラマンの事務所とは思えない。ついついゴロンと横になってしまう。写真集「prane」表紙のテスト印刷があがってきた。冬青の高橋社長のブログにもあるが、表面をマット加工にするか、光沢にするか悩ましいところだ。  

http://tosei-sha.jugem.jp/?eid=1461

第一印象はマットだったが、見ているうちに光沢の方が深みが出てくる気がしてきた。高橋社長と2時間近く打ち合わせをしたが結局まとまらず最後は「社長が決めてください」とまかせることにした。前回もそうだったが、なんでも自分で決めるより写真集作りのプロにまかせるほうがいい部分が多い。プロと一緒に仕事をするとはそういうことだと思っている。いずれにせよ美しい印刷だ。「da.gasita」と二冊並べるとより際立つ。マットになっても光沢になっても納得がいく。「da.gasita」を買ってくれた人は「prana」も欲しくなるようになっているし、今「prana」を買った人は「da.gasita」が気になるようにできている(笑)

毎日書いてる

朝=ホットサンド、野菜スープ/夜=ドライカレー、キャベツと胡瓜の塩昆布あえ

僕はいま、毎日の日記だけじゃなく、何かしら書いている。今日も依頼原稿の下書きをして、「2B Chennel」収録のための原稿も書いた。お題がはっきりしていれば1000字ぐらいならすぐに書ける。2500字となるとハードルがグッと上がって、1万字は労働になる(笑)。こうやって日記を書いているのも、書くことが億劫にならないようにするため。暗室がなくなってから、プリントする機会がめっきり減ってしまい、今では感覚を忘れてしまっていないか心配になる。手順を忘れるわけはないけど、些細なことでプリントの出来を左右することってある。

水曜日の夜は毎週一度のライブ配信。原稿は用意しないが、資料を作って何の話をするかあらかじめ組み立てている。もう90回目になるがうまく話せたと思う時もあるけど、そうでないと思うことの方が多いかな。音に関しては問題をクリアできた感じだ。

 

<2021年10月20日の日記から>

ドキュメンタリーとモノクロ。いきなり寒くなった。ついこの間まで半袖だったのに。物置からストーブ類を引っ張り出す。石油ストーブと電気ストーブがふたつづつ。その他に石油ファンヒーターやオイルヒーターもある。計7個。寒いのは嫌いだけど石油ストーブの上でつくる煮物の季節到来。これは好きだ(笑)。今日もルデコ相談がふたり。70歳と20歳の相談に60歳が答える。Apple Podcast に藤原新也「写真のリアル、モノクロ写真と芸術と絵画、マグナムフォト」という会があると教えてもらったので聞いてみた。映画「MINAMATA」をどうのように藤原新也が観たかったというお題なのだが、そこから「なぜマグナムの写真家はモノクロでドキュメンタリーを撮るのか」ということに話しは進む。ありのままを撮るのには、カラーのほうが圧倒的に情報量が多いはずなのに、あえてモノクロで現場を撮っていることに対しての違和感を語っていた。ユージン・スミスが活動していた1970年までは、印刷メディアの多くはモノクロ印刷だったし「伝送」と呼ばれる、写真を信号化して送る装置もモノクロだけだった。1984年のロサンゼルスオリンピックの時に僕は新聞社に勤めていて、APとかUPIといった海外通信社が送ってくる「カラー写真」はY版M版C版のモノクロ画像3枚で受け取っていた。日本の新聞が一部カラー化したのも1980年代中盤。何かを伝えるには、モノクロの方が適していた時期が意外と最近まであった。しかし1990年代になってもサルガドはモノクロだけで撮影していた。そこにはどういった意図があったんだろう。藤原新也の話はさらに続き、モノクロで写真を撮る理由について「写真は出発点においてモノクロだったということもあるが、モノクロにすることで絵画的にする意味合いがある」と言っている。そしてドキュメンタリーにおける「コンストラクティブ」な写真、つまり「写真を作る」ことについても言及している。藤原新也は「自分がドキュメンタリー写真を撮る場合は、カラーで、自然のままに撮る」と言っている。このPodcastは結構考えさせられるところがあって面白い。いいとか悪いとかじゃなくて、聞いた人の時代性が出てくる。同意する人もいるだろうし、反対意見を持つ人もいるだろう。そういう発言をするところが藤原新也っぽくて好きだ。

<2005年10月20日の日記から>

データが飛んでしまってから1台のデジカメに頼るのは不安になってしまった。で、とうとう今日「銀一」でEOS5Dを購入した。「Lレンズを一緒に買うと1ギガのCFカードが2枚ついてくる」というキャンペーンをやっていて24-105ズームが頭をちらついたが、店頭に在庫はなかった。口では残念そうなことを言ったが内心ほっとした。CFカードはとりあえずお店お勧めのサンディスク1ギガを購入。今日は使うつもりはなかったのだが、触っていたら気になって午後からの撮影で実践投入してみた。インターフェイスは20Dとまったく同じなのでとまどうことはない。645のネガがメインだが20Dと5Dを併用する。使ってみて分かるのは、5Dのピントの良さだ。20Dはちょくちょくピントが外れるが5Dはまったく外れない。モニターが大きくて確認もしやすい。買ってよかった、と自分を納得させる。事務所に戻りカードをパソコンに落とす。どきどきしながらファイルをあけると、よかったちゃんとデータが入っている。まだ色のことまでは分からないが感触としては十分いける手ごたえがあった。D60、20D、5Dと3年間に3台。30万円、18万円、35万円だから付属品をふくめると90万円。その他にパソコン、スキャナー、プリンターで100万円。これで十分かと言うと、これからもどんどん新しくしなければならない。永遠に幸せになれそうにはない。

ふたつの写真展とふたつのお茶碗

朝=シラスとタコの玄米フィットイーネ/夜=高円寺「フジ」のチキンソテー

ひさしぶりに銭湯に行って体重を測ったら60キロちょうどだった。山下恒夫写真展を「田園都市 GARDEN CITY」を見るために銀座ソニーギャラリーに。展示は10月20日(木)まで。彼は今年1年で2日回目の個展を開いている。しかも今回の「田園都市」は今年撮った新作。フジの5000万画素のカメラで撮るのにふさわしいシリーズだった。ホンマタカシ「東京郊外」や北島敬三の「UNTITLED RECORDS」に通じるものがあるけど、彼の写真はちょっと違うというか、明るさがある。ソニーのギャラリーは6階にる。4階と5階はショールームになっていて新製品を触ることができる。FX 30を買ったばかりだが、コンパクトなV log機「ZV-1F」が出たので触ってみる。今回のモデルは前機種の「ZV-1」の機能を削除してスリムにしたものになっている。ズームじゃなくて20ミリ相当の単焦点がついている。ジンバルに乗せるのにちょうど良さそうだ。

銀座から小伝馬町に出てルーニー247へ。小池貴之「浜さ」を見る。こちらは10月23日(日)まで。鶏卵紙プリントの作品。エイトバイテンやハッセルで撮ったものからデジタルネガを作ってプリントしている。金調色されていて深い色が出ている。偶然が作るトーンであり、予想外のものが生まれるのはやっていて楽しいだろうな。稲垣さん直伝の技だそうだ。「2B Channnel」ライブ用に写真集購入。隣でやっていた焼き物の展示が良くて、こぶりの茶碗をふたつ購入。

 

<2021年10月19日の日記から>

月曜日は映画の日のはずだが、雑用が多くて抜けられない。午後は「2BChannnel」の収録。毎週水曜日にライブをしているけど、今週はその時間にインタビューをしているので予め収録。前回は3回失敗して諦めたが、今回は失敗なし。内容はこの日記に書いてあることを話しているだけ(笑)。文字で書くか、言葉で話すかの違い。ようやく自粛も明けたのでこれからはインタビューをしやすくなる。ここまで書いて、一体自分は何の職業なんだと思ってしまった。すでに職業カメラマンとは呼べないし写真家というのは恥ずかしい、Youtuberでは食べていけない。初対面の人に何をやって生きているのかいるのか説明がつかない。目指すは仙人だな。

 <2004年10月19日へ>

ミュージカル音楽の大御所アンドリュー・ロイド・ウェバーの撮影。自身が製作総指揮の映画「オペラ座の怪人」のプロモーションでの来日だった。今日はプレスディになっていてマスコミが入れ替わりインタビューする。ホテルのスィートルームが用意されていた。我々の前の組は「アエラ」だった。坂田栄一郎が来ていたわけだ。ところがアンドリュー・ロイド・ウェバーの体調が悪いとかで、ほとんど撮影にならなかったらしい。聞けば途中で退席したという。撮影時間5分。関係者が手で×印を作りながら「今日は撮影はちょっと…」と言い出す。そんなこと言ったて撮らずに帰るわけにはいかない。2カットの予定を1カットに変更し時間を短くすることで折り合いをつけた。インタビュー前に撮影ということになり、彼に椅子に座ってもらう。ライトは立てず窓の自然光を使う。ペンタックス645Nに標準レンズをつけ一本だけ撮った。フィルムが回りきると「もういいだろう」と彼は席を立った。いらだっている。こちらもそのつもりでの撮影だったから「問題はない」と終わりにした。インタビューが始まり彼の映画の話に当然なる。が、その話になると機嫌が悪くなる。「もううんざりだ」という表情だ。まったくなんのためにわざわざ日本に来ているんだか。結局インタビューも途中で打ち切るように席を立っていった。帰り道現像所にフィルムを1本だけ預ける。なんともすっきりしない撮影だった。

ピコンピコン

朝=ホット卵サンド、野菜スープ、鯖寿司/夜=枝豆オイル蒸し、ネギさつま揚げ、タコとナスとカリフラワーのクミン炒め、粗食

朝は依頼があった写真雑誌に寄稿するテキストを1500字書いて、8枚の写真をセレクトしてちょっと調整してプロフィール写真と細かいデータなどを半日でまとめて編集者に送る。我ながら素早い。編集者が驚いていた。依頼原稿の締め切りには遅れたことがない。なぜなら大体の依頼内容のことは日記に書いていたり、2B Channnelのネタにしているから。あとは字数調整するだけなのだ。

最近またメディアの仕事をするようになった。やっぱり面白い。しばらくなんでもひとりでやってきたので、誰かとやりとりするのは気持ちが上がる。ただ、いまは連絡手段が多岐に渡りすぎていて混乱することがある。以前はメールだけだったのに、メッセンジャー、Twitter、Instagram、LINEから連絡がくる。誰がなんの用件だったか忘れてしまって慌てることも。それぞれ微妙な感じで使われていて、同じ人からの依頼でもメールの時はビジネス文で、LINEだとくだけている。依頼金額によっても使うツールが違ってきたり。さっきからメッセンジャーがピコンピコンいっている。

 

<2021年10月18日の日記から>

さらば「キヤノン新世紀」。30年続いた「キヤノン新世紀」が今年で幕を閉じる。過去には熊谷聖司,HIROMIX、野口理佳などを輩出し、新人作家の登竜門的コンペだった。最後にどんな作品が選ばれたのか、東京都写真美術館に見に行ってきた。昨年受賞したのは樋口誠也の動画作品だった。今年の優秀賞は動画作品は2作品、平面作品が5作品。グランプリは11月12日の公開プレゼンテーションの後に決まる。僕が予想するには光岡幸一か千賀健史。千賀さんは完成度が高い、というか高すぎる。「この人頭いいんだろうなあ」と唸ってしまうくらい。人だかりも一番多かった。その点、光岡さんは得体が知れない。何か隠している部分がある気がする。とはいえ、昨年は全く予想外の樋口さんだったけど。今回の受賞特別展での樋口誠也「super smooth」の動画作品は抜群によかった。よく現代を表すときに「ツルツルとした手触り感のない」と言う表現をするが、それをスケートリンクで表している。スケート初心者が、手足をバタつかせてリンクを歩む様子がそのまま現代の人々のようだ。馬鹿馬鹿しいけど、アイロニー(皮肉)がたっぷり込められていて、きちんと批評性がある。動画は面白いけど笑えない仕組みになっている。1991年にスタートした「キヤノン新世紀」は、「写真で何ができるだろうか? 写真でしかできないことは何だろうか?」をテーマに30年続けてきた結果、どんどん写真から離れていった。今年で終わりを迎えるわけだが、確かにこういった審査というのは限界に来ているのが今回の展示でよくわかる。

<2009年10月18日の日記から>

近頃急に海外からのメールが多くなってきた。出掛けにボストンのギャラリーからのメールを発見した。ざっと飛ばし読みしたが、いまひとつ内容がわからず。翻訳機にかけたらもっと難解になった。しかたがないので事務所でプリントアウトしてひとつひとつ確かめた。どうやらギリシャの写真雑誌からの掲載依頼のようだ。次号のテーマが『trasportation(輸送)』なので声がかかったみたいだ。ワークショップ30期が昨日から始まった。午後の部にはドイツ人の女性がいて、講座が終わってから彼女にこんどは英語でヨーロッパ写真事情をレクチャーしてもらった。今週はドイツ編。彼女はドイツとロンドンで写真の専門教育を受けている。ドイツの東と西では写真教育に大きな差があるとか、ベッヒャーのクラスに入れるのは一年でたった10人だとか、かなり面白い内容だった。バックグラウンドが共通しているのでほとんど理解できる。しかし最初にゆっくりと簡単な言葉で話すからと言っていたのにどんどんスピードが速くなってくる。2時間通しで聞くのは集中力が限界。それにしてもヨーロッパというのは勉強好きだ。専門的な教育は23歳を超えないとできないというし、日本でいう修士課程なのだろうが、彼女は哲学や文学を勉強していて、それからアートに進んでいる。そして今度は日本で写真の勉強をしている。お金はいくらかかるの? と聞いたら大学は全てタダ。奨学金ももらえるからできると言っていた。「ドイツ人とフランス人はWHYという言葉が大好きなの」と時折日本の写真について質問される。「野口里佳の展示をどう思うか、なぜ川内倫子はヨーロッパでの評価が高いと思うか」など日本語で答えるのもやっかいな問題だ。次回はフランス編、そしてロンドン編と続く。

来年もルデコで会いましょう

<ルデコ期間中の昼ごはん>  ラーメン、カツ丼、ラーメン、親子丼、ラーメン、カツサンドと卵サンド

ルデコグループ展の期間中は、昼ごはんを好きなものを食べることにしている。渋谷はラーメン屋が多いから誘惑に負けがち。

日曜日の展示終了直前、最後の最後のお客さんがハービー・山口さんだった。ハービーさんが登場すると一瞬で場の雰囲気がパッと明るくなった。ああ、こういう人をスターって言うんだろうな。まとっているものが違う。

来年のルデコは10月9日の週を予約。しかし既に3階に予約が入っていて、今年と同じく4階、5階、6階の3フロア。なので再来年の4フロアも同時に予約してしまった。

ルデコが終わるとなんだか気分は年末なのだが、FX30も買っちゃたので動画を頑張らないと。月末に名古屋と京都、来月は屋久島に行くことになっている。

 

<2021年10月17日の日記から>

空を飛ぶ夢を見た。寝ている時に「あ、これって夢の中だな」って思った。「明晰夢」と呼ばれるものだ。夢だと分かっているから、高いビルの屋上から自分で踏み出してみたら飛べた。体が上昇気流に乗ってブワッと持ち上がり、青空の中を気持ちよく飛んで、ビル下の広場にストンと着地した。「起きて」という妻の声で目が覚めると朝。最近見た夢の中で一番気持ちがよかった。いつもいい夢ばかりじゃなくて、一昨日とか刃物でぶすりと刺される夢を見たばかり。これはこの頃はまっているアニメ「ゴールデンカムイ」のせいに違いない。あれは面白いんだけど人を殺しすぎ。ルデコでのグループ展の相談に来る人が増えてきた。今日は3人。それぞれの方向性がバラバラで、話をしていて面白い。雑談の中で「よく世界で評価されるって言いますが、どういうことを指すんですか?」ということを聞かれた。「そういう場合、多くは有名美術館の評価であったり、影響力のある評論家が大きなメディで取り上げたり、有名ギャラリーが作品を扱ったりという場合にそういうのだと思う。これは評価する方が上っていう感じだからベクトルは垂直。一方で、現在はSNSで世界中に100万人のフォロワーがいてもそう言ったりする。この場合のベクトルは広がりがあるので水平的。垂直と水平二つの方向性から『世界が評価した』っていうことになるんだと思う」と答えた。最近、物事を考えるときに垂直と水平という軸を自分の中に作ることがあって、この場合もそれが当てはまる気がしている。雑談の中で思わぬことを発見したりすることが多い。対面で話すって大事なんだなと思う。

<2005年10月17日の日記から>

今日の撮影は雑誌の対談ものだった。せっかくいい場所をセッティングしてもらったのに、あいにくの雨で外での撮影は無理になってしまった。ブローニーのネガを予定していたが、条件が厳しそうなので全てをデジタルで撮影することにした。EOS20DとファインピックスS9000を用意したが20Dのモニターで確認したところ、きちんと写っていたのでS9000では撮らなかった。アシTが「押さえはどうしますか?」と聞いてきたが「大丈夫だろう」とそのまま終了してしまった。645ネガとS9000の併用は調子よかったが、20DとS9000の併用はどういうわけか難しい。ノートパソコンを現場に持って行かなかったので、事務所に戻ってから処理をした。ところが2枚目のCFカードをパソコンに読み込もうとしたらカードのデータの中身ががまったく空っぽだった。ファイルはあるが内容が0バイト。レキサーのカードだったので復旧ソフトを入れてみる。頭は真っ白。久々の冷や汗。「ある。絶対あるはずだ」と自分に言い聞かせてパソコンを睨んでいた。数分後復旧は終了。おそるおそるカードを開けてみると二つのファイルのうち一つにデータが戻っていた。しかし最後の2カットが入っていると思われるファイルには、やはり何も入っていない。幸い最後の2カットは商品の撮影だったので撮り直しがきくものだった。確認が済んで被害が最小限だったことにほっと胸をなでおろした。やっぱりデータは恐い。今までデータが飛んだ経験がなかったため甘くみていた。やはりもう一台デジカメが必要か。