暗室のあとの定食

朝=おろしへぎ蕎麦/夜=高円寺「フジ」の定食、ポテトサラダ

前回現像した8x10のネガをプリントするために暗室へ。20x25センチもある大きなフィルムなのでベタ焼きを作る。なんの印画紙で焼こうかと悩んでいたら10年前に期限が切れているフォードのバラ板印画紙が15枚くらい箱の中に残っていたので、それを使うことに。ちゃんと焼けたように思えたのだが、水洗が済んで明るいところでチェックすると、かなり印画紙が劣化していて白いところが薄いグレーになっていた。それも味のような感じだし、本番プリントではないので問題はない。手持ちの8x10にストロボの組み合わせはバッチリだった。もう少し撮り溜めてみよう。13時に暗室に入って17時に終了。いま僕が暗室で集中できるのは4時間くらい。

家に戻るとすぐに銭湯へ。そして洋食「フジ」で定食にビール。ハンバーグと串カツがついていてラッキー。家に戻ると眠くてたまらない。夜9時にはベッドに倒れ込んで、結局そのまま寝てしまった。

 

<2004年6月22日の日記から>

先週の「デイズフォトギャラリー」のワークショップ第2回目の講師は、ハービー山口だった。写真集や著作も持っているファンのため、とても楽しみにしていた。第一印象は「エッ、この人がハービー山口なの?」ハービーという名前や写真から、なんとなく細身で言葉数少なく、神経質そうな人を想像していたのだ。本人はとにかくよく喋る。世間話からはじまって、病弱な少年時代、ハービーの名前の由来、ロンドン時代の体験から写真を撮り続ける理由まで。僕の好きな「それがパンクなんだ!」の話しもあった。あまりの語り口の面白さにメモを取ることさえ忘れてしまう。そして極めつけはスライドショー。山崎まさよしのCDに合わせて「代官山17番地」が流れる。写真集で知っているくせにジーンときた。感動した。スライドショーいいかも、と思ってしまう。パソコンのスライドシューではなくてガチャガチャとアナログなスライドショー。ハービーさんに見てもらった講評での写真は、元アシWの結婚式を撮ったもの。とても喜んでもらえた。このワークショップはゲスト講師が受講者の写真を講評してくれる。毎回新作を作るのは大変だが、こんなチャンスはめったにない。会が終わってからも話しはとまらない。外に出て彼がバイクにまたがるまで続いた。とってもエキサイティングな一夜だったのだ。

クリスティーネ

朝=ネギ肉ソーメン/夜=豚の角煮丼、ポテトサラダ

週末が過ぎて月曜日の午前中が一番のんびりできる。でもゴロゴロしていてもなんだか落ち着かないので、2B Channnelの動画を1本収録。フォーマットを決めて話すだけなので、割と簡単に作ることができる。1時間で原稿を書いて、リハーサルを1回、そこから本番収録。すぐに編集してアップ。3時間くらいで全て終えることができるようになった。内容は「カメラマンと写真家」というオーソドックスな物だけど、こういうものは意外と見てもらえる。たまにコメントで説教されることもあるけど、それもちょっと面白い。

午後から、東銀座の銀一cocoギャラリーに野口智弘さんの写真展「川風」を見にいく。写真集も出ていて触り心地がいいなあと思っていたら、ヴァンヌーボーだった。写真集好きにはたまらない紙なのだ。即購入。多摩川のほとりにテーブル出しておじさんが集まって飲んでいる写真があって心から「いいなあ」と思ってしまった。

銀座から中野坂上に出て写真大ギャラリーへ。古屋誠一写真展「第一章 妻 1978.2-1981.11」。工芸大が今年364枚のオリジナルプリントをコレクションし、それを展示していた。これは大変なものを見てしまった。ちょどギャラリーに誰もいなかったので、椅子を写真の前まで引っ張ってきてずっと見ていた。1枚目、1978年のクリスティーネは少女だった。くったくのない笑顔を古谷さんに見せている。そして最後は1980年、彼女は妊娠してお腹が大きくなっている。表情が固い。もしかしたらそういうカットを古谷さんが選んでいるのかもしれない。それはわからない。今回は第一章で続きがある。見るのが怖い。けれど見てしまうだろう。結末を知っているから、そこへカウントダウンされていく過程。何度も見ているのに目が離せない。https://sfumart.com/exhibition/5610/

 

<2016年6月21日の日記から>

フランスに無事荷物が到着。写真は無事事務局に届いた。やれやれ。これで一安心。

先週金曜日に『日本カメラ』、月曜日は『写ガール』のコンテストの審査だった。『日本カメラ』は8年ぶり3度目の年間審査、『写ガール』は3年ほど続けてやっている。『日本カメラ』は全て一人で見なくてはならず、編集者もいない小部屋で黙々と1000枚近い写真を見ていく。見るのはいくらでも見るが、その後の講評がまた大変。8年前の同誌の審査で「良い写真とは何か?」と結構深刻に悩んでしまった。これが金賞でこれは銀賞という判断基準がわからなくなったのだ。なので『写ガール』では話をもらった時に、毎回ゲストを呼んでもらうことを編集部にお願いした。前号は飯沢耕太郎さん、今月号は「Blitz」ギャラリーの福川芳郎さんがお相手だった。毎回自分の選んだものと、ゲストが選んだものを前に「なぜこれを選んだか」を説明しあう。写真家の大橋愛さんとやった時は お互い10枚づつ選んで見事に1枚もかぶらなかった。そうなると、どれを入賞にするかプレゼンしあうことになる。毎回暫定的に順位を決めて話をしていくのだが、順位はどんどん変わっていく。たくさん話ができた写真は上位に、良い写真だとは思うが、お互い話が弾まない写真は下位になる。良い写真の定義のひとつとして「論争がおきるもの」と考えている。話す要素が多ければ多いほど面白いということになる。反対に美しい写真は、美しいことしか話す要素がないので面白さにかけることになる。「美しい写真だよね」と言ったきり次の言葉が出てこないのだ。これではつまらない。審査を続ける中で、美しいということには注意が必要なんだと理解できた。今回は福川さんが押すポイントが鋭くて、最初は自分は選ばなかった写真がどんどん面白く見えてきた。福川さんはギャラリストというのは「見立て」をする人だと言っていた。提示があることで写真の見え方は変わる。誰が見立てるかはもちろん重要だ。審査は「良い写真とはなにか」の考えをアップデートするきっかけになっている。

センチメンタルなアーバス

朝=鮭とキャベツの玄米フィットチーネ/夜=玄米トマトリゾット/夜食=フルーツサラダ、ゴルゴンゾーラのピザ

日曜の「H+」のワークショップは、鈴木麻弓さんが急遽特別参加で、東京都写真美術館へ。20年前に僕のアシスタントしていた彼女は、現在は日大芸術学部の准教授だ。今回の「メメントモリ」の展示は、かなりお得感があると参加者全員が言っている。とても良いコレクション展だ。死と写真という切り口もいい。こういうのをもっと見たい。

ずっと写真の枠の拡張の話をしているけど、個人的に20歳の頃に触れた写真が刷り込みのようになっているのは間違いない。音楽もそうだ。40年経ってもあの頃聴いていた音楽を、今でもかけている。ただ「あの頃が最高だよね」とは言いたくないだけ。写真で生きているのだから、新しいことも知りたいし、知る必要もある。

今回の展示で一番響いたのは、荒木経惟の「センチメンタルな旅」とダイアン・アーバスだった。意外だったのは古谷誠一の「メモワール」がなかったこと。でもそれは工芸大の写大ギャラリーで、ちょうど今始まったところだから、そっちも見に行かないと。

 

<2011年6月20日の日記から>

土曜日、ギャラリーから電話があった。「ワークショップ中にすみません。渡部さん、25枚目が売れました。おめでとうございます。写真集作りましょう」高橋社長からだった。25枚目は「地獄池」だった。この写真は八甲田山登山口近くで撮った、おそらく会場でもっとも印象が強いプリントだ。ワークショップが終わってから、5時に会場に入るとたくさんのお客さんがいた。大阪からわざわざ来て来てくれた方が26枚目を買ってくれた。岩場に波が流れ込んでいるものだ。最後まで会場にいてくれた10人と中野の居酒屋へ。社長とスタッフの宮崎さんも交えて祝杯をあげた。写真集はまだ具体的なことは何も決まっていない。冬青社は現在5冊の写真集を平行して制作していて、年末から大きなイベントに関わることになっている。僕の写真集は来年から制作を始めて、10月の完成を目指す。そして11月に同名の写真展を冬青で開く。今回はパブリシティを含め、全てのことを抜かりなく行う。これが高橋社長の考えだった。1年以上の先の話だが、今まで2冊の写真集は、出すことにいっぱいいっぱいで、先のことはなにも考えられなかった。だからじっくり作るのもいいかもしれないと思えた。とにかく次の話に繋がった。今回プリントを買ってくれた方々には、次回写真集を贈呈する。それには何か特別感を持たせようと社長と相談している。

ふたたび東京都写真美術館へ

朝=焼き鮭、ナスと長ネギの生姜焼き、納豆、白米、味噌汁/夜=鯖寿司、巻き寿司

ワークショップ「H +」3回目の講座で東京都写真美術館へ。「アバンガルドの勃興」「メメントモリ」を観た後、お茶を飲みながら展示の話をする。2B Channnelで話をしている写真の枠の話と繋げながら戦前と戦後で何が変わったのかを説明していく。「メメントモリ」の展示にある写真はマスターピースそのもので、知っていると興奮するはず。翌日も日曜クラスの参加者と見にいくけど、何度見ても大丈夫。回数を重ねると違う面が見えてきそうだ。

写真家のうつゆみこさんと会場内でばったり会う。彼女のファンで、写真集を買ったばかりだったので話をしたかったのだが、あまりに突然過ぎて、あわあわして挨拶だけで終わってしまった。うーん、もったいないことした。

 


<2013年6月19日の日記から>

レビュワーへのサンキューメールも送ってサンタフェ関係もほぼひと段落した。なので今日は一日中どこにも行かず、ずっと家の中。ソファーの上でウトウトしていた。寝ても寝ても眠い。今もあくびを連発している。娘も珍しく家にいる。就活で忙しいから近頃一緒に晩御飯を食べることも少ない。中々大変なようだ。そういえばレビューって集団就職説明会に似ているとアルルの時に感じた。履歴書代りのポートフォリオ。人事の人がレビュワー。ただ、アルルは職探しという感じが色濃かったが、サンタフェはミーティングというのがしっくりきた。写真家とレビュワーだけでなく、写真家同士が情報を共有する場所として機能していた。「ミーティングプレイス」という言葉があるそうで、アメリカの東と西の写真家が意見や情報を交換できるというのはうらやましかった。写真家同士でなければわからないことというのはたくさんある。写真のことを一番考えているのはやはり写真家だからだ。東京一極集中の日本では、なかなかおこりずらい気がする。でもニューヨークとロスは飛行機で5時間。ということは東京を中心とすればアジアがほとんど入る計算になる。そんなアジアフォトグラファーズミーティングプレースが定期的にできたらどんなに楽しいだろう。しかしその場合、東京ではなく、ソウルか上海か、シンガポールということになるんだろうな。今回ほんの少しだが、日本と欧米のアートに対する前提の違いが理解できた気がする。いや、日本でも一線の人は同じ意識を前提としていることも分かった。気がついたことで、ここからスタートなんだと思うとちょっと呆然とした。この感覚は大学を卒業して10年以上たったある日、突然「プリントが分かった」と思った感覚に似ている。この分かったはというのは本質じゃなくて前提のこと。つまりここからスタートなんだと気がついて、がっかりしたのだった。だって同級生はこの感覚を学生時代に持っていたのだ。今回も同じ。他の参加者が始めた時から持っている前提を、52歳にして気がついてしまった。ああ、、、分かってしまえばなーんだ、というのはプリントの時と一緒だった。

アバンガルドとアヤ子

朝=山かけうどん、お稲荷さん/夜=豆腐とオクラの和物、温野菜いろいろ、豚とトウモロコシとズッキーニのバルサミコ炒め、ご飯

ワークショップのカリキュラムの中に美術館巡りがある。今回は東京都写真美術館なので、その下見に行ってみた。3階は「アバンガルド」2階は「メメントモリ」。最近の東写美は日本の写真史的なものと、コレクション展を中心にしている。前回は明治時代の写真黎明期のもので、今回の「アバンガルド」は、戦前の新興写真と呼ばれたものを集めている。これまた、いま2B Channnelでやっている写真の枠の話に付合していて、ちょうど見たかった内容だった。全然写真じゃない。シュールレアリスムの影響を受けていて、イメージを語ろうとしていない。この流れがそのまま戦後も続けば日本の写真は随分と変わったものになっただろうな。

恵比寿を出た後は藤岡亜弥 写真展 「アヤ子 江古田気分」へ。OGUMAG+はオープンなギャラリーでカフェもある。最寄駅はJR田端だった。山手線で今まで降りた記憶のない駅だ。藤岡さんと最初に会ったのは20年前の江古田。「プアハウス」という喫茶店だった。あの頃とキュートさが全然変わってない(笑)本人も「ずっと学生の感じのままで」と言っていた。だから 「アヤ子 江古田気分」なのか。江古田は彼女が通っていた日大芸術学部のあるところ。そこに住んでいた時代、つまり学生の頃の写真を展示している。藤岡さんは「さよならを教えて」でビジュアルアーツのグランプリを撮ってデビューし、次作の「私は眠らない」で写真協会の新人賞、最新作の「川は行く」では木村伊兵衛賞、林忠彦省、伊奈信男賞を同時受賞している。まさに日本を代表する写真家なわけだが、そんな素振りは一切見せない。いつ会ってもキュートだ。そんな人珍しい。

僕の事務所には藤岡さんの作品が飾ってある。赤々舎のギャラリーが清澄白河にあったときに購入したものだ。実はそれが藤岡さんが販売した最初のプリントなんだそうだ。額の中には販売証明書とその時添えられていた手描きの手紙が入れてある。彼女の写真の魅力を言葉で伝えるのは難しいというか、無駄。なので観に行ってみてください。19日(日)まで彼女が在廊するそうです。

 

<2012年6月18日の日記から>

近頃ずっと、iPhoneやipadにメモを残して手帳を使っていなかった。実用的にはそれでなんの問題もないが、必要事項ばかり短的に書いてあるだけで見返してもつまらないことに気がついた。尾仲浩二「あの頃東京で」を読むと実に詳細に当時の様子が書かれている。尾仲さんに「なぜこんなに覚えているの?」と尋ねたら「手帳の隅っこに書いてあった走り書きから、いろいろなことを思い出す」と言っていた。僕は2002年あたりから、ずっとスケジュール管理をあるwebサービスで行っていた。簡単に書き込めてどこからでも見れるのは便利で10年近くずっと使っていた。ところが一昨年からiPhoneを使い始めて徐々に書き込みが減っていき、iPad導入と同時に使わなくなってしまった。久しぶりにに先日開いて見たら、なんと、サービスがなくなっていた。事前に打ち切りのアナウンスが流れていたんだろうが気がつかなかった。10年分の記録がパー。ちょっとショックだった。この日記も以前は「さるさる日記」というサービスだったが打ち切りになってここに移行している。その時、2年間英語でつけていた日記を移し忘れてしまいデータをなくしてしまった。クラウド、クラウドと言われているが結構脆いものだということを実感してしまった。そこで手帳の復活を考えた。紙に走り書きをして、それをiPhoneで撮影しておく。これはいけそうな感じだ。

今日の分を写し書きするとーーーー6月18日月曜日 11時冬青社打ち合わせ 印刷テスト刷り 。印刷紙はニューエイジに決定 。ちょっとクリームがかかってきれい。サイズ 用紙 259x253 写真230x229。表紙デザイン決定。社長のアイディア。かなりいい。次回は7月2日13時 東高円寺プール1時間。血圧116ー72帰りに盛りそば大 650円。三平で買い物。カツオとイナダ。家に帰って黒ビールで乾杯。

 

カラーフィールド

朝=素うどん/昼=駅弁「牛肉ど真ん中」/夜=へぎ蕎麦、「まめた」のお稲荷さん

千葉県佐倉市にある川村美術館へ。年に一度くらいの割合で行っている現代美術館だ。広大な庭園があるので散策もできる。午前9時55分の東京駅発の直通バスが出ている。1時間くらいで着いてしまうので、都内からだとこれがいちばん便利だ。

現在は「カラーフィールド 色の海を泳ぐ」という企画展をやっている。1950年後半から60年にかけてのアメリカを中心にした抽象絵画の流れ。昨年見たのは「ミニマリスムとコンセプチュアルアート」」だったので時代はひとつ遡ることになる。絵画が枠を超えることで絵画というものを確かめようとしている時代で、ある作家の試みに刺激を受けてその手法を取り入れて、さらに高次の物を作り出すことによって、また次の作家を刺激していった時代だそうだ。ちょうど2B Channnelで写真の枠のことを話していたからタイムリーだった。広大な庭園の芝生で、持参したお弁当を食べて、展示を見て、途中でおやつタイムを挟んで、14時からのギャラリーツアーに参加して解説してもらった。なんと偶然にも案内人は2Bに参加してくれていた方だった。

川村美術館は常設展もすごい。よくまあ、こんなに現代アートを集めたものだ。あれもこれも一流作家の一流品が並んでいる。帰りのバスが3時半というのが残念なのだが、結果、通勤帰宅ラッシュにも巻き込まれずに家に着くことができた。次回の企画展はマン・レイだそうだ。彼の写真作品が15億円で落札されたばかり。今度は美術史講座のツアーとかで行ったら楽しそうだ。

 


<2013年6月17日の日記から>

帰国後に時差ぼけになるかと思ったら、夜11時に眠くなって、朝6時半に目がぱっちり覚める。極めて健康的な体になってしまった。おかげでやらなければならないことがはかどるはかどる。翌日から仕事をしたり、ギャラリー冬青に報告にいったり、土日のワークショップの後に連日餃子屋で報告会をしたりと忙しかった。話題はサンタフェで仕入れてきた「現代アートと写真」。びっくりするほど単純なキーワードで説明がついたことを話した。「考えることを共有するための仕組み」。そこにいたるまでの説明は長いのだが、結論は単純だった。というより頭で分かっていたことが体に入り込んだ感じだ。このキーワードを用いることで、今までモヤモヤしていたことが全部クリアになった。この話は求められれば何度でも話していこうと思う。数ヶ月前、母が亡くなったときに「ニュータイプ」宣言をしたが、それが形となって現れた感じ。冬青でニュータイプ宣言をしたら「えっ、作風変わっちゃうんですか?」と本気で心配された(笑)大丈夫です。意識は変わってもモノクロであることは変わりません。

カメラの話は楽しい

朝=新玉とベーコンとパプリカのパスタ/夜=ブロッコリーとカボチャの蒸し焼き、鶏肉と長ネギのサンバルチリ炒め、新玉とシラスの炒めご飯、とろろ芋のお汁

水曜日は2B Channnelライブの日。1時間話すネタを探すのがいつも大変なのだが、今回は発売されたばかりの雑誌『カメラホリックス』がライカ特集だったので、それを使わせてもらうことにした。紹介されている写真家が、55歳から70歳くらいで僕と同世代。だからいくらでも話ができる。ライカはそんなに使っている訳ではないが、折々に触らせてもらったりしているのでよく知っている。

僕は昔からライカよりもハッセルだったりローライだったりと正方形のフォーマットが好きだ。でもライカって不思議な魅力というかブランド力があって、他社と全く競合しない強みがある。今どきマニュアルフォーカスなのに100万円以上もするアポズミクロンの35mmなのに、バックオーダーが溜まりすぎて手に入れるのに数年待ちだそうだ。今回のライブは楽しかった。それが見ている人にも伝わったみたいだ。なんと言っても『旅するカメラ』の作者だからね(笑)。

2B Channnelの動画「こんなの写真じゃないと思う理由を説明してみます」が、2日間で6千回くらい視聴率されている。コメントも多くいただいたが、多くは内容に戸惑っているみたいだ。7分くらいの短い動画なので説明しきれてない面もあるので、金曜日に補足というか、再説明の動画を上げることにした。「なんで枠を考える必要があるのか」というもの。

 


<2011年6月11日の日記から>

今回は毎日ギャラリーにいくことにしている。こんなことは今まで初めてだ。本気で今年9月にアメリカに行こうとしていたので、昨年から少しづつ依頼撮影を減らして今年に備えていたのがあだになって、この不況とかさなり6月のスケジュールがぽっかりあいてしまった。それなら会場にいようと思ったのだ。来てくれた人は、平日に本人が座って待っているものだから驚いている(笑)。「結婚しました」と報告に来てくれた女性がいた。別人かと思うくらい表情が変わっている。口角が上がり、目じりが下がり、やわらかくてきれいになっている。女性にとって結婚って凄いんだなあと感じた。顔で笑っているんじゃなくて、全身で笑っているような、オーラとか自分には見えないけれど確実になんか出ている。彼のことを話すときの幸せそうな顔ったら。その彼のことも良く知っているので、今度結婚写真を撮ってあげることにした。場所はスタジオとかじゃなくて、新居のリビングがいい。それは今「消費」する写真じゃなくて、生まれてくるであろう彼等の子どもが結婚するときに見る写真。母親と父親が暮らし始めたときはこうだったと記憶をたどれる写にしたい。今回の僕の写真展で一番考えているのは「写真の消費時間」だ。それは今必要なのか、それとも何十年後なのか。「SilentShadow」は間違いなく後者だ。今は普通の東北の風景だから消費するのは今でなくていい。ずっと先のいつか、必要になってくる日が必ず来ると信じている。

 

フィルム現像

朝=あんかけ肉うどん/夜=キャベツとオクラの塩昆布和え、新玉と鶏団子の煮物、餃子、根菜の味噌汁、白米

半年ぶりに暗室へ。自宅から30分の場所だ。先週ゴールデン街のこどじで撮った6x10インチのネガを現像。未現像のフィルムがあると、宿題をやっていないような罪悪感がある。それに手持ちのエイトバイテンカメラで撮ったものがどう写っているか気になる。以前作った現像時間と温度の換算表のデータシートをiPadから探すが出てこない。紙にして暗室に貼っておけばよかった。しょうがないのでネットで検索して、23度5分に設定することにした。こんなに現像時間短かったかなとちょっと不安だったが、1枚目がいい感じに仕上がった。続けて4枚のシートを現像。

手持ちカメラのストロボ撮影は面白い。露出もバッチリなので、この設定で撮ればいいのがわかった。以前から思っていたが、やっぱり暗室作業の疲れは気持ちがいい。気持ちが軽くなる。暗室作業をするために写真を撮りに行こう。

 

<2017年6月15日の日記から>

もう梅雨になるんだろう、気圧が低いようなすっきりしない日が続いている。相変わらず2Bに通っている。ひとつには再来週から渋谷ルデコで始まるワークショップ2Bのグループ展の準備もある。平日も参加者がプリントや仕上げの相談にやってくる。毎回毎回変わったものがたくさん出てくる(笑)。ルデコは改装のため1年間休みだったが、今週から再オープンする。2Bのグループ展も京橋から渋谷へ戻ることになった。新しいルデコの下見に行ったら以前とは違った空間になっていて、使いやすそうだ。ルデコは12年間、毎年2回使っていたので、再オープンは楽しみだ。2Bの撮影やプリントに並行して時間があるときは『旅するカメラ』の続編というか新しいものを書き始めた。出版のあてはまだないが、良い機会だから30から40本ほど書いてみようと思う。『旅するカメラ』は4巻まで出たがすでに3までは版元にも在庫がない状態で、新品で買えるのは4だけになってしまった。もっとも最初に出たのが2003年だから随分と前の話なのだが。あのときから考えると、写真の世界は激変している。今なら続きが書けそうだと思って進めている。できたら久しぶりに売り込みだな。変わり目の年だから、うまくいってくれるといいな。明日のことを憂うることなかれ。なんとかなるでしょ。

 

「ブルースブラザース」

朝=卵パン/昼=アサリラーメン/夜=ゴーダチーズとフルーツのサラダ、枝豆オイル炒め、パン色々

疲れているみたいだ。具合が悪いわけではないけど、ぼーっとする。週末は詰め詰めのスケジュールだから。今日も午前中から打ち合わせ。というか対面での顔合わせがあった。以前お世話になった編集者から出版社を紹介していただいた。しかも依頼が「本を出しませんか」と。具体的なことは何も決まっていないが、喜んでお引き受けすることにした。今年は写真集を作ろうと思っていたところだったが、書籍まで話がやってきた。これまで計10冊の自著を出しているが、写真集が5冊と書籍が5冊と半々。どちらかが出ると、どちらかが追いかける感じ。今回もそうなった。

昼はどうしてもラーメンが食べたくなって、散歩がてら阿佐ヶ谷へ。体調的に濃い味のものは無理なので、あっさり味を選んだ。帰宅後にちょっと昼寝。今日は何もしないと決めていたけど、仕上げなくてはいけない大学での講義のための資料作り。これで大枠ができた。

夕飯を食べながらプロジェクターで「ブルースブラザース」を観た。僕が東京に住み始めてすぐに見た映画だ。サントラ盤も買った。こんなにすごいカーアクション映画だったんだと驚いた。

 

<2011年6月14日の日記から>

朝からプールで泳いで、11時からは冬青へ。昨日は開場の11時からお客さんがみえた。お昼過ぎに時間ができたので「旅するカメラ4」の新しい原稿を書き始める。が、すぐに挫折。一度は出版のための全ての原稿をそろえたのだが、つまらなかったり、饒舌なものはバッサリ捨てることにしたので新しく書き足すものがごっそり出てきた。冬青ギャラリーは、靴を脱いで上がるスタイルのため妙に落ち着くとよく言われる。話し込むと、ついつい1時間は過ぎる。5時過ぎに来てくれた写真家の荻野NAO之氏もおしまいまでいてくれて、結局一緒に中野でご飯を食べた。彼は独特の写真の見方をして驚かされることがよくある。話の中で僕の写真は「ハイライトを基準に全てを決めていて、シャドーの部分はフィルムに頑張ってもらっている。頑張りきれなかったカットは、無理をして焼かずに捨てている」ということを彼に言った。すると「そうですよね、白が基準ですよね。僕はSilentShadowじゃなくてSilent Lightに見えました」という。そういわれて「あれっ、当たってるかもしれない」と思う。

「SilentShadow」というタイトルは2000年くらいから使っている。冬のダイレクトな光が作る真っ黒な影には、何も情報が残らず深い黒が生まれる。そこからとったものだ。青森の最初は黒を見ていたのだが、次第にそれは光の部分に変わっていった。タイトルを決めた時点と意識のズレが生まれてきたのかもしれない。今回最後に撮ったのは5月の連休だから、撮ってからプリントし展示するまで時間がなかった。編集を重ねてというより、撮って出しに近い。「Silent Light」と簡単に言い切れそうにないが、今回の写真をくくるキーワードが「Silent Shadow」以外に存在するのかもしれないと思えてきた。

 

自宅暗室を夢見る

朝=新玉葱のあんかけパスタ/夜=ルーロー飯、ポテト、フルーツサラダ/夜食=チーズとパンと白ワイン

週末は対面のワークショップとオンライ講座。午前中にYoutube動画を1本撮影して編集する。1時間くらいで完成。それを聞き返してみると、ちょっと声にハリがない。でも多くの人から「渡部さんは他のYoutuberと違って声を張らないので聞きやすい」と言われているので、このまま月曜日にアップすることにした。

バウハウスの展示を見てから暗室に入りたくてしょうがない。好きなときにできる自宅暗室も頭をよぎる。いま、知り合いにお借りしているところは完璧な暗室なので、ちゃんと使わせて貰えばいいのだが。昨年は水曜日だったかを暗室の日と決めて通っていたのだが、夏を過ぎる頃から忙しくなって足が遠のいてしまった。いつも自宅暗室を夢見るが、ネコが2匹いるので薬品を使う作業は難しいという結論になってしまう。まず今週中に一度暗室に入る。先日撮影した8x10のネガを現像しないと。

 

<2005年6月13日の日記から>

先日焼き上げたプリントを、購入してくれたHさんに引き渡す。「米沢」のシリーズの中の、全体的に黒が基調のお雛様の写真が希望だったのだが、大きく伸ばした真っ白な雪の壁の写真を見せたら、そちらに大きく心が動いたようだ。しばし悩んだ後、「雪の壁の写真にします」ということになった。実は雪の写真のほうが僕自身も気にいっていたので、あえて両方見せたのだった。このところ写真の売買について資料をあたっていたのだが、そこでHさんが有名な写真コレクターだということを知った。彼のコレクションの中に僕の「雪の米沢」が加わることになった。

写真集の出版を手がけている「冬青社」に売り込みに行く。「TOKYO LANDSCAPE」と「米沢」だ。写真を見てもらっている時は、いつも背中が強張るように痛む。いいのか悪いのか、写真集を出版するのに値するのかどうか、全てをゆだねることになる。社長の高橋さんに見てもらったのだが、とりあえずは気にいってもらえたようだ。どういった写真集を作りたいかを伝えることはできた。1時間半、丁寧にじっくりと話を聞いてもらえた。今、出版社に写真集の担当者というのは存在しない。つまり売り込みのしようがないのだ。そんな中で写真を見てもらえるところがあるだけでありがたい。

結論のないお題を考える

朝=へぎ蕎麦/夜=親子丼、トウモロコシ、野菜味噌汁

対面ワークショップ「H +」の2回目。宿題の「右」について話してもらう。位置としての右、方向としての右、二元論からの右、脳科学からの右、いろいろ出てきて面白い。誰にも結論が出せないお題を考えると「正解はこうでした」という落ちにならないので話が盛り上がる。右脳が損傷すると、そこにあるものが何であるか認識できなくなるそうだ。100年前の人が携帯電話を見ても「すべすべしたもの」という感触でしか語れないのと同じようなことだろう。事物は認識がないと存在しないのと同じ。なので今回のお題は新しい枠組み得るためのもの。これをやると、どんな人かわかって仲良くなれるという副産物もある。

同じように数人で行う「対話型美術鑑賞」というものも、絵画を見るときに全体をまとまりよく捉えるのではなくて、細部から突っ込んでみていく。すると今まで感じていた「こういうものだよね」を外すことができる。これにも答えがないので正解探しをせずに済むから話が広がる。広がりっぱなしでいいのだ。撮影するという行為は、基本的に対象物を見るころから始まるので、その幅が狭いと、同じものしか見えないから同じものしか撮れなくなる。しかし同じようなものを撮っているようでも、小さな差異を見出せる人は飽きることがない。

夜はオンライン「美術史講座」(全13回)の最終回で「音楽、建築、映像の歴史」。美術も音楽も建築も、全部の繋がりを知ると、今まで気がつかなかったことが見えてくるから、楽しくなるはず。そして日曜日の夜からは「写真史」の講座が始まる。

 

<2013年6月12日の日記から>

レビューサンタフェが終わった。最後のレビューが終わってクロージングパーティーになると外の芝生にビール片手に座って話をしたり、テーブルのところで写真を見せあったり、そこへ夕陽が差し込んで、それはそれはまるで映画のワンシーンのような素晴らしい光景だった。出発数日前から、ずっとレビューが楽しみでワクワクしていた。こんな気持ちに なったのは初めてかもしれない。現地についたら、それは緊張のドキドキに変わっていった。レビューを受けるのは2007年のアルル以来6年ぶりで、今回は通訳をお願いしたので言葉の面での不安はなかったが、人に写真を見せるという行為はいつまでたっても慣れるものではない。いざ本番が始まると2日間9名のレビューはあっという間だった。6人の美術館キュレーター、ふたつの出版社、ひとりのコーディネーターに見てもらった。

初日は3名の美術館キュレーター。ひとり目から評価は非常に高く、特に写真集のクオリティの高さに驚かれた。ふたり目は一番会いたかったマサチューセッツグリフィン写真美術館の女性キュレーター。ここではオンラインの個展を開き、写真を収蔵してもらっているが、実際にキュレーターに会ったことはなかった。彼女は僕の写真をよく覚えていてくれていた。美術館を紹介してくれたギャラリーオーナーに、あなたに会っということを知らせたいと、僕が写真を持っているところを写真に撮ってくれた。非常にフレンドリーな対応で写真の評価も写真集の評価もとてもよかった。3人目もほぼ判を押したように、同じ感触。まるで裏で相談していたかのように、同じところで写真を見る手が止まり、ほぼ同じ意見を言う。ちょっと怖いくらいだった。

初日のレビューが済むと、夕方からオープンポートフォリオレビューといって、体育館くらいの大きさの場所に参加者100人がそれぞれの作品をテーブルに並べて見てもらうイベントが始まった。夕方5時から8時まで作者は3時間立ち通しで見に来る人の対応に追われる。100人の参加者に対し44人のレビュワーがいるのだが、実際にセッションができるのは9人だけ。しかしオープンレビューなら他のレビュワーに注目してもらえる可能性がある。一般の人も会場に入ることができ、品のいい年配の夫婦が楽しそうに見ている。サンタフェは小さな街にも関わらず100を越すギャラリーが存在し、写真に対する意識も高い。見てくれる人に対応しながらも、その隙を縫って自分も他の作品を見て回る。ここには多くの中から選ばれた100人がいるわけだから、どの作品もクオリティが異常に高い。

レビューサンタフェは新人作家の登竜門的な存在かと思っていたら、主催者側はきっぱりと「新人作家のためのものではない。ここはキャリアのある優れた写真家のために用意されている」と言っていた。これは聞いていてちょっと痺れた。それを裏付けるように年齢層も高めで、中には60歳はゆうに超えている人も見かけられた。中には大学で教えていたり、写真集を何冊も出したり完成されたキャリアの人もいる。そして関係性を維持するために何度もやってきている人も多い。ここでも僕の写真は好評で、ある出版社の人は長い間写真集を見た後「めくっていて鳥肌がたった(It gave me goose bumps)」と言ってもらえた。午後8時に終了すると、時差ぼけも合わさって立っているのもしんどいくらいになる。

2日目は午前午後で6人に会う。ひとり20分のセッション。基本は写真を見てもらって質疑応答していく。今回は12枚のブックマットにいれたオリジナルプリントと写真集を持っていったのだが、これはとても有効だった。質問として聞かれたのは極めて単純なことばかりだった。どこで撮ったのか、タイトルの意味は何か、自分でプリントしているのか、写真だけで食べているのか、このシリーズで展示をしたことはあるか、写真集の文章は自分で書いたのか、出版はセルフなのか企画なのか。9今回は質問に答える以外には、こちらからは銀塩プリントであるというアナウンスしかせず、細かい説明はなしでずっと黙っていた。プリントを見てもらって十分引きつけておいて写真集を渡すと、文中のキャプションから最後のショートエッセイまでじっくり見てくれる人がほとんどだった。キャプションの「da.gasita」の説明のところでは、必ず笑顔になりこちらを見て微笑んでくれる。午前に3人が終わってすべて好感触なのだが、具体的な提案は出てこない。

本来、レビューは直接的なやりとりよりも、これからの関係性を築くものだとされているが、アメリカに住んでいない自分としては何かしらの直接的な結果をレビューに求めてしまう。それとあまりにも褒め言葉が続き、しかも昨日とまったく同じ反応なため少々イライラしてきた。これはもしかして「褒めごろしではないのか?」

昼食後、最後の3人に会う。ひとり目はコーディネーターとかオーガナイザーをやっている女性。プリントを見せると1枚目から、かなりぞんざいな見方になっているのがはっきりわかる。具体的には写真と顔の距離が、見るごとにどんどん離れていくのだ。最後にはそっくりかえるような感じになる。これは以前アルルで何度も経験している、あきらかに興味がない時の態度だ。

写真集を見せるとついに怒り出した。

「なんで日本人って、どいつもこいつもノスタルジーばかりなの? もうたくさん! ノーモアノスタルジー!」

ちょっと腹がたってiPadにあらかじめいれておいたTOKO LNDSCPEを見せてノスタルジーだけではないことをアピールしようとしたがこれも興味なし。

何か質問は? と聞かれたので「あなたは日本の写真家の作品をたくさん見ているというが、その中で求めているものを日本人で表現しているのは誰か?」と聞いて見た。すると大笑いして「そんなの誰もいないわ」。もっと違う新しいアプローチを探すべきだと言われたが「僕はもう52歳だからこのまま自分の道を行くよ」と答えた。すると「別に怒らせたいわけじゃないの。もっと違うこともしてもいいかなと思って」。というところでちょうどよく時間終了。握手をするも名刺交換は無し。このネームカードをもらえるかどうかは、気に入ってもらえたかの判断にもなる。実はレビュワーはわざと名刺を持ってこない人もいるようだ。気に入ったら連絡先のメモを渡し、そうでなければ「あいにく名刺を切らしているから何かあったらこちらから連絡する」と言うのだ。

「ノーモアノスタルジー」これはズシンと響いた。痛いところをついてくる。これは自分の持ち味であり、反面大きな弱点でもあるのは気づいていた。しかしなぜノスタルジーがいけないかは実ははっきり分かっていない部分でもあった。しかし思いっきり否定されてスッキリした気持ちになった。気に入らないならはっきり言うスタイルはいっそ気持ちがいい。否定を受けたことで他がお世辞ではないといことも確認できた。午後のふたり目は出版社。前のことがあってちょっと緊張気味だったが、プリントを見せるとレビュワーの顔がほころんだ。そして写真集については「印刷、構成、デザインすべてにおいて素晴らしい。欲しいのだがこれはどこかで買えるのか?」と最大級の賛辞を送ってくれた。「多めに持ってきているので差し上げます」というと、満面の笑顔で喜んでくれた。「da.gasita」は全部で6冊持ってきていて、今までで3冊を本当に気に入ってくれたと思える人に渡していた。本当はもっとたくさん持ってきたかったのだが、荷物の重量で諦めざるをえなかった。

「 モノクロが素晴らしいのはわかったが、カラーは撮っていないのか」と聞かれたので2007年に出した写真集「traverse」を見せてみた。するとページを開くなり「これはアメリカではなくて、パリでうけるはずだ」と言い出した。驚いて「実はこの本がアルルで評価されてパリのビエンナーレに招待された」と言うと

「やっぱりね。私にはパリの写真関係者のほとんどを知っている人がいるからこの本を紹介したい」と言ってくれた。「最後にもうひとりレビューが残っているのですべて終わったら差し上げます」と言って別れた。

一旦落とされた後の救いだったので初めて通訳の人と「いい感触だった」と笑顔になれた。そして大トリがSFMOMA。アメリカ西海岸で初めての20世紀の芸術作品のみを展示する美術館「サンフランシスコ美術館(San Francisco Museum of Art)」として1935年にオープンしている。当然希望リストの上位に入れておいた。SFMOMAの人に見てもれる機会など、こういった場所でなければありえない。いったい僕の写真をどう感じてくれるのか? 男性だと思っていたら女性のキュレーターだった。とても優しそうな人に見える。なにせ「ノーモアノスタルジー」が頭に響いているから顔色が気になる。プリントを見ている彼女の表情を伺うと、唇の端が上がり、目尻が下がり微笑んでいるように見える。どうやら第一印象はいいようだ。「これはどこで撮ったのか」程度の質問以外はずっとプリントを見ている。そして今まで美術館キュレーターに見てもらった時とまったく同じことを話す。6人中6人すべてが同じプリントで目が止まるのには驚いた。コンポジションの正確さ、プリント技術の確かさ、構成力を評価してくれた。そして写真集を差し出すと1枚目からすべてのページをゆっくり見て、プリントにもある雪の写真を見て「私はこれが一番好き」と言ってくれた。そして写真集の中のキャプションで「da.gasita」の意味を説明するくだりでは納得するように笑い、「da.gasitaっていってみて」とリクエストしてきた。

まさかサンタフェで「んだがした」と言うことになるとは夢にも思っていなかった。笑顔で写真集を見てくれているのがSFMOMAの人かと思うと、ザワザワと鳥肌が立つような気持ちになった。これは2007年のアルルのレビューでまったく同じ体験をしている。彼女は最後のショートエッセイまで全て見て、プロフィールに目を通すと「珍しい経歴ね。ケブランリー美術館に作品がコレクションされるなんて」。「ケブランリー主催の展示に参加したので収蔵してもらいました」というと大きく頷き、そして「SFMOMAでも日本人の写真家を多く集めています。モリヤマ、アラキ、ハタケヤマもいます。そこにあなたの写真も加えるよう、そのセクションの同僚と協議してみます」。頭の中でドーンと音がするようだった。最後の最後で超特大ホームランが出た。資料として必要なものを聞くと「この写真集があれば十分」

協議の上とはいえ、彼女が気に入ってくれたことは間違いない。可能性は高いと言っていい。もし、もし、SFMOMAに収蔵が決まったら、、、アルルの時と同じように両手で握手を交わして別れた。日本に帰ったらギャラリー冬青にもバックアップメールを送ってもらわなければ。夢見心地で先ほどの出版社の人に「traverse」を手渡すと、「昨日オープンポートフォリオレビューであなたの写真を見た人と、さっきあなたことを話していて、何か形にできないか相談しようということになっているの」と言ってくれた。それは昨日の「鳥肌がたったよ」と言ってくれた人だった。会場を出た時は晴れ晴れとした気持ちだった。結果的には9人中8人にプリントと写真集を高く評価してもらうことができ、次に繋がる話も出た。この上ない成果だったと言える。そして終わってみれば本当に楽しい時間を過ごすことができた。今回はプリントもさることながら、写真集「da.gasita」の存在はとても大きかった。以前も感じたが、写真集が出版されていることは作家の信用になる。そして8人全員が印刷クオリティに驚いていた。つまり冬青で出版されてる写真集の印刷レベルは世界レベルということになる。帰国後に報告に行くのが楽しみだ。

MASTE RPIECE

朝=新玉の玄米トマトリゾット/夜=ナスとキュウリのゴマポンあえ、おぼろ豆腐のあんかけ煮、オクラの豚巻と新玉炒め、月山筍の炊き込みご飯、卵味噌汁

近頃、朝起きるたびに「今日はラーメン食うぞ」と思うのだけど、朝ごはんが10時で夜ご飯が18時という生活をしていると、外でラーメンを食べる隙間がない。8月の頭に東北に行くから、その時は毎日ラーメン食べてやる。

7月に行われるトークイベントの打ち合わせがあって新宿へ。当日は、同時に2B Channnelから配信することになった。少しづつメディアとして認識されてきた。2019年の6月にYoutubeをやろうと決めて準備を始めてから3年が経つ。一体何本投稿したんだろう? 少なくとも週に1本から2本は欠かさずアップしている。機材はほぼ揃ったような気になっていたが、最近、メインのMacbook Proから動画がアップできなくなっている。ファンの音がうるさいという大問題もあるので、今度発売されるMacbook Airを買おうか悩んでいる。半年前のMac Studioは見送ったが、 Airで再度思案中。メリットは30万円以下に抑えることができるので経費として楽。ということを自分の中で買うことの言い訳にしている。

打ち合わせの後、お茶の水のギャラリーバウハウスに「広川泰士/小瀧達郎 MASTER PIECE」を見に行く。タイトル通りの内容。すごいモノクロプリントばかり。小瀧さんの最近焼いたというプリントは黒がちゃんと締まっている。「最近の印画紙は銀の量が少なくて」というのは、ただの言い訳なんだな。ここにちゃんと実例がある。広川さんのマイルス・ディビスとTIMESCAPEの4枚もすごいとしか言いようがない。まさにMASTE RPIECE(傑作、名作)だ。こういうプリントを見ていると自宅に暗室を作りたくなる。Macbook Airどころじゃないかも。

 

<2018年6月18日の日記から>

Facebookのワークショップ「H」(現在は募集していません)のページに投稿したものをここにもあげておきます。

 「わからない」ということを考えるのに写真はとても便利なメディアだと思います。インスタレーションもそうですね。動画は向きません。わからない動画は苦痛ですから。仕事でずっと「わかるように」に撮ってきたので、気がつけませんでした。近頃ようやく「わからない」ことを楽しめるようになってきました。「H」では、写真の撮り方と同じくらいか、むしろそれ以上に写真をどう考えるかということを行なっています。これは渡部さとるが近頃考えている見る態度ですし、作る態度も同じだと思っています。

 ①出会う ②違う考えがあることを知る ③違う意見を理解するように努める ④違いが理解できないことを知る ⑤違いをわからないままにする ⑥結論を出さない

①は、とにかく出会わないと、ものごとははじまりませんよね。出会い方はさまざまです。絵画の始まりは壁画でした。それが板に書いた絵(タブロー)になり移動して他の場所で見ることができるようになり、複製可能な写真や映画が生まれたことで離れた場所でも同じものが共有可能になりました。そしてインターネットの普及は出会いかたを大きく変えてしまいました。②は、出会うことによって、よくもわるくも「自分じゃ考えもつかない」ってことが起こります。違いがある、その差異を認識します。違いの容認です。これがダイバーシティ(多様化)ということです。同じ方向だけを向かない。 ③は、その差異は何なのか、自分の経験や作者のテキストがあれば、それをもとに考えます。考えるには言語化が必要になります。言葉なしに考えることはできません。考えることは見る(作る)行為においてとても重要になります。 ④は、どんなに考えても他者を(自分を)理解できない場合があることを知っておく必要があります。日本語で考えているのなら、日本語にないことは考えても理解できないことになります。 ⑤は、わからないものを無理に自分のものさしで計ろうとしたり、わからないからといって排除することなく、わからないことが世の中にあることを認める。そしてそれを)ほっておく態度が必要です。日本語には白黒つけないという言葉がありますね。 近頃では態度を明らかにするということが良いとされていますが、曖昧くらいでいいんです。態度の保留です。 ⑥は、わかったとか、わからないとか、簡単に結論を出さない。作者が何を考えているかなんて答え合わせをせず、モヤモヤは、モヤモヤのまま。大事なのは正解を出すことではなくて、問いを考えることであって、スッキリしなくてもいいんです。良いものを見ると「誰かにに話たくてしょうがない」という衝動が生まれると僕は思っています。「受け取っちゃったから、返さずにはいられない。作者に直接返せないから、とりあえずこの気持ちを他の人へ」って感じです。見ていて作者の「そうせざるを得ない」が伝わってくるときがあります。そういうものに出会えると「あれ、よかった」と人にいいたくなるんです。そういうもの作りたいですね。見ることと作ることは背中合わせなので、「H」では写真を見ることとを積極的に行っています。