飲み屋カメラ

朝=大根おろしオクラうどん/夜=駅前でお寿司/夜食=キンパとヤンニョムチキン少々

妻が早朝から出掛けたので、久しぶりに台所に立つ。と言ってもうどん作るだけだけど。以前はよく料理をしていたけど、最近は作ってもらってばかり。

午前中は来月アタマに母校で特別講座をするので、その資料作り。学生に何を話すか毎回悩む。連続講義なら順を追って話ができるのだけど、年2回だからなあ。午後はワークショップの補講がひとり。その後は、7月と8月に東北地方でやる予定のワークショップの打ち合わせ。

そして夜はゴーデン街「こどじ」へ。ハマチャンネルの浜田さんの展示をやっている。タイトルの「真夜中育ちの民」にすごく惹かれる。ストロボを正面から当てたスナップなんだけど、暴力性はない。しっとりしている。不思議な質感がある。先日、手持ち専用の8x10インチのカメラを貸してもらっていたので、いい機会なのでこどじに持ち込んで、数枚撮影してみた。ストロボをつけて撮影。露出はフル発光でf22。距離は1.5メートルくらい。どんな感じになっているか現像するまでわからない。「こどじ」は写真好きが集まるお店なのでみんな喜んでくれた。飲み屋カメラとしては最高かもしれない。

 

<2005年5月10日の日記から>

来週からモンゴルへ行く。面白いのは「モンゴルへ行ってくる」と言うと全員が「いいなあ!」と感嘆と憧れのまなざしを僕に向ける。でも「モンゴルってどんなところ?」と聞かれてもさっぱり分からない。今のところ僕がモンゴルで連想できるのは「馬と羊と朝青龍」だけだ。どんなところへ泊まって、どんなものを食べれるのかまったく想像がつかない。こんなことは、初めての海外でバリ島に行った時以来だ。あの時も情報がなくて「ココナッツミルクで炊いたご飯が出てくる」とおどかされて、ココナッツ嫌いの僕は本気で悩んだ。モンゴルは羊の肉を食べる、それは知っている。焼かないで塩味で煮て食べるのもテレビで見た。でもそれだけ? ご飯はたべないの? 野菜は? モンゴルを案内してくれる人に聞いたら「モンゴルで料理と言ったら肉料理のことです。野菜や穀物だけを調理したものはありません」と言う。ということはずっと羊肉だけ食べるのか? ラムは好きだがマトンはどうなんだ? 朝は何を食べるのだろうか? 泊まるところも初日と最終日はウランバートルのホテルだが、後は旅社と呼ばれるゲストハウスか、遊牧民の自宅のゲルだ。トイレはどうすんだ。案内人によれば、ヘッドライトとトイレットペーパーは必須らしい。さらに、夜はトイレに落ちないように注意が必要だとも言われる。草原は巨大なトイレでもあるそうだ。夜と昼との寒暖差が大きくて、服装は冬と夏の用意をしなくてはならない。「地球の歩き方」には寝袋はマストアイテムと書いてある。しかし一日の移動が悪路数百キロということもあるので荷物は最小限にしなくてはならない。毎日バックに荷物を出したり入れたりしている。妻には「大変だよ~」と言いつつ、実はすごく楽しかったりする。来週、分からないだらけのモンゴルへ行ってきます。

リヒター

朝=出汁野菜の玄米パスタ/昼=登亭の鰻丼/夜=豚肉辛味炒めでそうめん

竹橋の国立近代美術館に「ゲルハルト・リヒター展」を見にいく。90歳の現役作家にして、最も重要な現代アーティストと言われている。僕の美術史の講座で何度も説明しているのだが、実際に見たことのある作品は数点しかなかった。今回かなりの点数を見たことで、腑に落ちたことがたくさんあった。

描かれたイメージのことではなく、枠組みの話をしている。絵画とは何かという大きな話。知識として知っているのと、腑に落ちるのとでは、分かる度合いがまったく違っていた。ベッヒャーやグルスキー、ルフと言ったドイツのアーティストは、同じように「枠」の話をしている。

リヒター展を見た後は常設展へ。近代美術館は、現代作家の展示の中に写真家もたくさんいて楽しめる。いまは、村上隆の最初期の作品もあったし、合田誠の作品もあった。見終わった後は、身体の中から何かが抜けてしまったように、ぐったりしてしまった。

 

<2011年6月9日の日記から>

自宅からギャラリーまで自転車で10分。2Bに行くより楽チン。木曜日はどういうわけか写真家の来場が多かった。次から次と来てくれた。海原修平さん、小林紀晴さん、小原孝博さん、山下恒夫さん、染谷学さん、関根虎洸さん、藤田満さんなどなど。これまでには横木安良夫さんやハービー山口さん、北井一夫さん、村越としやさん、稲垣徳文さんも。同業者に見られるのは緊張する。窓を向いて座っているから見ている姿は見えないのだけれど、背中にヒシヒシと伝わってくるものがある。上海在住の海原さんは、いつでも魅力的なアイテムを持ってやってくる。今回はバリアブルNDフィルターをレンズにつけていた。PLフィルターのように前枠をクルクル回すと最大8段まで明るさが可変する。これはシャッタースピードが変えられないムービー撮影には必需品になる。海原さんは日中絞りを開けて使うために使っていると言っていた。持っていた5DMark2にアダプターを介してつけていたレンズは、1970年代のキヤノンFD50mmF1.4。絞り開放でのにじみがいい。近頃のレンズは好きじゃないと、古くて収差が出るレンズを使っているという。海原さんのカメラで勝手に撮ってみると、NDフィルターの濁りと古いレンズの相性でまるでコダクロームのような渋い発色になった。彼の機材選びはいつも面白い。今回の僕の写真展は、毎日出勤するように会場に行こうと決めている。プリントを売ろうとしているわけだから、商品を説明する人が必要だと思ったのだ。カーディーラーにいるセールスマンと同じだと思っている。きちんと説明して、納得してもらって買ってもらう。ギャラリー冬青における僕の写真は商品なのだから。

「保存できませんでした」

朝=ホットカレーサンド、野菜スープ/夜=キュウリと茗荷のごまのサラダ、レバニラ炒め、玄米、塩ラーメン

「6月6日に雨ザーザー降ってきて」という歌があったな。朝から雨で外に出る気がしない。午前中は食堂のプロジェクターで動画を見ていたが、何もしないのも後ろめたいので動画を1本撮ることにした。セッテイングを新しくして量産できる形を作れている。まずは原稿を1500字ぐらい書いてから本番。編集を含めて2時間くらいで作ることができた。

このペースなら週に数本作れると思っていたら、何度やってもYoutubeにアップロードできない。3時間くらい設定を変え、保存設定を変え、パソコンを変え、いろいろ試したのだが受け付けてくれない。twitterで他にも同じことが起きていないか調べても出てこない。諦めきれずに夕食後に再チャレンジするが失敗。「保存できませんでした」と出てしまう。それでも繰り返していたら、ようやくアップロードに成功。何が悪かったのかは全く不明。次回もこうだと困ってしまう。半日以上Youtubeに振り回されてしまったが、作った動画が無駄にならずにすんでよかった。

 

<2018年6月7日の日記から>

昨夜は前々から予約していた映画「フジ子・ヘミングの時間」の上映会とミニコンサートを聴きに妻と読売ホールへ。数年前からクラシックが好きになった。きっかけは「のだめカンタービレ」だけど。映画はソール・ライターのドキュメンタリーと同じく、ストーリーや演出のない独白のみの構成になっていた。パリ、ベルリン、東京、京都に自宅を持っていて、インテリアのセンスがすごい。映画には14歳の時の絵日記が出てくる。絵もいいが、それよりも言葉の使い方に驚いた。才能のかたまりって感じ。父はスウェーデン人の建築家でイラストレーター、母は戦前にベルリンに留学していたピアニスト。ふたりはベルリンで結婚して、そこでフジコは生まれ戦後に日本に帰ってくる。弟は有名な役者さん大月ウルフだった。ちなみに本名。でも早くに才能は認められていたのに、さまざまな出来事がじゃまをして開花したのは60歳を過ぎてから。

1999年のNHKのドキュメンタリー「フジコ あるピアニストの軌跡」をきっかけにブレーク。85歳になる(年齢は不詳となっている)今でも、年間60本ものコンサートを世界中で開いている。フジ子・ヘミングは自らを「リストを弾くために生まれてきた」と言っている。その中でも「ラ・カンパネラ」。映画でもこの曲の重要性を語っている。 上映終了後、ご本人が登場しミニコンサート。当然「ラ・カンパネラ」が演奏された。ところが弾き出しから力がなく。ついには曲の前半で腕が止まってしまったのだ。会場に緊張がはしる。苦しげに一瞬空を見つめ、再び弾きだす。素人でもわかるくらいずれてる。でも、今まで見た様々な演奏の中で一番ブルっときた。終盤にかけてのフジ子・ヘミングの演奏は圧巻、まさに映画的だった。この曲を何千回、何万回と弾いてきたことは、映画を見ていればわかる。体に染み付いているはずだ。だからこそ揺れながら詰まりながらも必死で弾く姿にやられてしまった。愛おしいとしか言いようがない。千葉桜さんとのトークショーでは、バイアスを外して見ることを勧めたけれど、今回のフジ子・ヘミングの演奏は、映画で彼女の背景を知った上での感動だったというのもあるから、感じるということは一筋縄ではいかないね。僕にとっての伝説の一夜となった。

「H +」スタート

朝=蕎麦/夜=鶏胸肉とジャガイモのソテー、玄米トマトリゾット

2年ぶりに対面式の、つまり通常のワークショップを再開する日がやって来た。朝からあちこち掃除。2020年3月、「H」の7期を始める直前にコロナの感染が広がって、ずっと続けていたワークショップを中止せざるを得なくなり、そこからは一切やっていなかった。

ワークショップ「H」改め、「H+」。土曜日の参加者は5名。初回は各自、持ってきてもらった写真をみんなで見ていきながら、お互いのパーソナリティを確認していく。オンラインだと常に講師と参加者という一対一の関係性でしかなくて、横(参加者)同士の話がしづらい。対面の面白さは横の関係性にあると思っている。13時からスタートして2時間半がすぎたところで一旦終了。その後はお茶を飲みながら雑談となった。あれやこれや話が続いて気がついたら17時になっていた。久しぶりに忘れていた感覚を取り戻した感じがした。日曜日も5名がやって来る。

 

<2018年6月5日の日記から>

右手がまったく動かず、左手で文字を打っているしまつ。3日たって痛みが収まると思いきや、夜中に激痛で目がさめるありさま。鎮痛剤が手放せない。こんなに体が痛むのはひさしぶり。数年に一度は怪我をしているな。当然ながら思いがけずだ。というかあとで思うと仕組まれているんじゃないかと疑ってしまうくらい「なるべくしてなる」。これは勝手な思い込みだが、僕の場合怪我をしたあとにいい方向に局面が変わる。怪我が大きいと変化 も大きい気がする。今回これだけ痛いんだから、相当いいことがまってるわけだ(笑)。努めて楽観的に。でも本当にそうなのだ。

この頃「直感」ということを考えている。理解を積み重ねて判断するんじゃなくて、理解の前の判断。一目見て「これはいい」って思うのは直感が働いているということだ。直感というと根拠レスというネガティブな意味合いを含んでいる場合もあるが、今の時代にはとても重要だと思う。理解してから判断では遅い場合が多いから、パッと決める。近頃写真を見ても「これはいい」と直感で判断できるようになった。背景やテキストを見なくてもいい。この直感が養われた理由のひとつに、プリントを買い続けたことが大きいように思える。生活になんのメリットもないプリントを「これはいい」と決断して買うのは、美意識を高めてくれる訓練になるんじゃないか。お金がたくさんあるから買えるかというと、そういうものでもない。決断できなければ買えない。

お金が少なくとも買えるものはある。損得を超えた行為でものを買う経験だ。だから「これは数年後に価値が上がるか」という損得勘定を基準に買おうとすると買えなくなる。「これは自分にとっていいものだ」という自信がないと買えない。でも体が痛いと直感力も弱まるのがよくわかる。体で感じるわけだから。まずはニュートラルの状態に戻さないと。

HALさんの写真は聖母子像に見えた

朝=あんかけ肉うどん、茹で卵/夜=ゴーヤとエノキの煮物、鰹と野菜のオイル炒め、玄米鮭炒飯、もずくのお汁

久しぶりにカメラマン仕事。一番大事なのは遅れずに現場に行くこと。今日はハッセルジャなくてソニーα7Ⅳを使う。ソニーを仕事で使っていて一番いいのがiPadのアプリに瞬時に転送してくれること。100枚くらいの転送ならあっという間。なんでこんなに早いんだろうか? iPadの大きな画面で細部をチェックできるから安心だし、バックアップにもなる。転送という面ではソニーのカメラは本当に使いやすい。

撮影終了後、水道橋から総武線に乗ったら、中野駅終点の電車だった。なのでそのまま下車してフジやカメラへ。別に買うものはないが、パトロールというやつ。最近は動画フロアから始まって2階の用品館へ行って、時間があればカメラ館へ寄る。半年前にあった物欲は消えてしまった。とりあえずいまある機材でやりくりできる。またしばらくしたら疼くのだろうけど。

ギャラリーに置きっぱなしのものがあることを思い出して、そのまま冬青へ。ちょうど今日からPHOTOGRAPHERHALさんの展示が始まった。先日、HALさんが僕の展示に来てくれたときに、今回の展示のことを聞いていたが、実際に観るとやっぱりすごい。HALさんの代表作のひとつになるのは間違いない。日本ヨーロッパで評価を受ける作品だと思う。HALさんは、ギャラリー冬青の看板作家で海外から多くのオファーがある。今月もノルウエーのフェスティバルに招待されている。何がすごいのかは展示を観てほしい。この感覚だけはネットで見てもわからない。突然雷雨になったが、ギャラリーでのんびりしているうちに雨雲は通りすぎた。

 

<2004年6月4日の日記から>

今日、17年ぶりに日刊スポーツへ行った。『旅するカメラ2』に使う、新聞社時代に撮った写真を借りるためだ。編集者が同行してくれるはずだったが、仕事が抜けられず、僕一人で行くことになってしまった。車で新聞社の前を通るだけで体が痺れてしまうのに… 昨夜から心配だった。
新富町で降りて築地へ歩く。数年間通った道だ。周りはあんまり変わっていなかった。社の隣には「女王ラーメン」がまだあった。編集部がある旧社屋も変わっていなかった。フォトサービスという、新聞で使った写真を貸し出す係に行くと資料室に通される。昭和60年日航機墜落事故の写真を探す。ベタ焼きのスクラップには懐かしい写真が並んでいた。当時このベタ焼きを貼っていたのは、一昨年急逝したスポーツライター岩田暁美だ。長島監督の横にいつも張り付いていたあの女性である。その頃はまだ写真部でアルバイトをしながらラジオ局の仕事をしていた。そんなことを思い出しながら写真を探す。三浦和義の写真、神宮花火大会の写真の後に日航機墜落の写真はあった。

ヘタクソで見るに耐えないものばかりだ。もうちょっと何とかならんのかと思う。当時デスクはそんな気持ちで見ていただろうなと初めて気がついた。本当にヘタクソだ。でも、上手くなったいまは、もう御巣鷹山に1日で2度も登れない。そんな体力があるわけがない。ヘタクソだったが体力はあったのだ。上手くなったかわりに失ったものも大きい。縦横2枚の写真を選び、プリントをお願いした。暗室はもうすでになく、スキャナーで読み込んで出力するということだった。

写真部に顔を出してみる。懐かしい顔を見つけた。もう昔の写真部ではなくコンピューターの林立する、デジタルルームだった。「これになってから劇的に変わったよ」とニコンD1Hを指差した。次の撮影のため15分しかいることができなかった。でも会えてよかった。帰り際、昔暗室のあった場所に行ってみた。そこはもう会議室になっていた。地下鉄の駅に戻ると放心状態になった。張り詰めていたものが切れた。「トラウマ」という言葉がよぎる。こういうことを言うんだろうなあと思えた。もし、もしあのまま会社勤めを続けていたら… 歩むことのなかった違う人生を想像してみる。

壁とノイズとベトナム料理

朝=オクラと胡瓜と大葉の和物、納豆、サーモン焼き、玄米、卵の味噌汁/夜=高円寺「チョップスティック」のベトナム料理

事務所部屋の壁を塗る。これでしばらく続いた模様替えは全て完了。いい感じになった。2B Channnelのライブ配信で、ノイズが入る問題をなんとかしようといろいろ調べて試してみるが、解決策が見つからず。音量を下げればノイズは消えるが、そうなると「音が小さい」と言われてしまうし。かといってノイズキャンセルを入れると音が変になるし。Amazonでケーブルを1本注文。

20年前にアシスタントをしてもらっていた鈴木麻弓さんが母校の准教授に今年から就任したのでお祝い。いま何かとニュースで話題の日大芸術学部だ。林真理子さんが次期の日大理事長になることがほぼ決まっているみたいだ。林真理子さんは芸術学部文芸学科の出身。これで日大も何かと変わるだろうし、鈴木さんはいい時期に先生になったと思う。話を聞いていると、教えるのが向いてる。これは才能かもしれない。学生時代、作品制作を続けている先生のことを尊敬していた。彼女も新作を今年リリースしているから、学生にとっては話を聞くのが面白いだろう。

 


<2016年6月3日の日記から>

高円寺KYOYAでステーキ300グラム。もうちょっと食べたい。6月になったらすっかり季節が変わってしまって夏のようだが、これから梅雨入りなんだよな。パリではセーヌ川が氾濫してルーブルやオルセーが大変なことになっているらしいが大丈夫か? 7月は米沢とアルルで写真を展示するということになった。米沢は市民文化会館の新規オープンイベントで、アルルはフェスティバル中にY.P.Fのブースで。どちらもda.gasitaの写真を展示する。昨年の屋久島とパリフォトフォトドックでのYPFの展示はインクジェットだったが、今回は銀塩プリントを展示することになった。米沢でも同じサイズの銀塩プリントを展示する。なんだか不思議な感じだ。これが写真の面白いところで、一点ものの絵画だとありえない。写真は複製可能でそれぞれがオリジナルだという不思議な媒体だ。モナリザのオリジナルは1点のみだが、グルスキーのライン川は6点のオリジナルが存在する。ルーブルの持っているモナリザを手に入れることは実質上不可能だが、MOMAやテートモダンが所有するライン川は複数枚存在するため一般の人も所有するチャンスがある。写真プリントにおける複製可能という特質は、長らく市場ではネガティブに捉えられてきたが、近頃はむしろメリットとして捉えられているのが面白い。

今日の仕事

朝=キャベツとイワシのフィットチーネ/夜=山芋と大葉と豆腐、オクラの肉巻き、へぎ蕎麦

珍しく朝ごはんを残した。食べられないこともないけど、あんまりいらないという感じ。体調が悪いわけではないがパッとしない。水曜日は2B Channnelのライブの日だけど、配信じゃなくて収録にしようと準備して始めたのだが、うまく話せない。喉も枯れた感じで元気が出ない。2時間くらいあれこれやったけど上手くまとまらず、結局ライブをやることにした。慣れてしまうとライブの方が話しやすい。収録だと完璧にやろうとしてしまうから、ちょっとでもつまづくと止めてしまう。しかしライブはライブで音声の確認がしづらい。今回もノイズが入っているという指摘があった。出力ボリュームを下げるとノイズは無くなるのだが、その代わり配信の音声が小さくなってしまう。73回もやっているのに落とし所が見つからない。Macbook Proのファンの音が原因なのは分かっているので、本体を離して配信するしかないか。

1時間のライブは上手く話せたと思う時もあれば、そうでもない時もある。とにかく今週も1本アップできた。内容は「モノクローム」について。取りとめもない話になってしまったけど、セイケさんやケルテスの写真集を紹介したり、プリントのイメージサイズの話をした。フィルムはいま最終コーナーを回ってしまったのは間違いない。現在、いちばん種類が豊富で最安値。そう思って使って行く。

 

<2005年6月2日の日記から>

写真集は売れない、と出版社はなかなか写真集を出してくれない。そんな中、写真集を専門に扱う出版社ができた。しかもギャラリーまで新設したのだものだから、この頃写真界一番の話題になっている。今月号の写真雑誌にも大きく取り上げられている。「冬青社」という出版社だ。http://www.tosei-sha.jp/     そのギャラリーオープニングに知り合いに誘われて行ってみた。こけら落としは土田ヒロミ「新砂を数える」だ。同時に写真集も出版される。会場で売っていたので買ってみた。上製本で定価8000円だった。オリジナルプリントが1枚ついたものは5万円だ。写真集にオリジナルプリントがつくといのはこれから流行るかもしれない。やはり冬青社から出ている北井一夫「北京」もそうだった。僕は昨年北井さんのプリント付写真集を購入している。会場には、大御所写真家が大勢見える。北井一夫さんやハービー山口さんも来ていた。ふたりの横にいるといろんな人が挨拶に来るので便乗して紹介してもらう。これはいい手だ。一時はギャラリーが人であふれんばかりになっていた。注目度の高さがうかがえる。帰りがてら北井さんら数人と近くのお店に入る。隣に座っていたのは写真家の中里和人さんだった。北井さんの写真集も今年出るそうだ。これから出る写真集のラインアップは60歳前後の写真家のものが多い。40、50の作家はどうなんだ?

 

アーティゾンへ

昼=オムハヤシライス、フルーツ/夜=ワカメとオクラと茗荷の黒ポン酢和え、小松菜と厚揚げの炒め煮、唐揚げと長ネギ炒め、納豆、白米、豆腐のお汁

アーティゾン美術館に「柴田敏雄と鈴木理策」展を見にいく。アーティゾンに行くのは今年1月の「森村泰昌」展以来。ここはいつも見応えがある。常設展も素晴らしいのでお得感がある。柴田敏雄と鈴木理策、共通点をセザンヌとした視点が面白かった。モネやセザンヌ、モンドリアンなどの1900年あたりの画家の作品も同時に展示してあって類似性を探す楽しみがある。雪舟と並べての展示はアーティゾンならでは。図録には絵画と写真が見開きで並べてある。プリントサイズは明らかに美術館ピースを意識している。200年後、ふたりの写真はどのように見られるのだろう。

 

<2015年6月1日の日記から>

去年の6月、勢い余ってライカM2のブラックペイント後塗りを買ってしまった。あれから1年、M2はずっと棚の上からこちらを見てる。「今年の夏はこれでいく」と高らかに宣言したはいいものの、買ってしばらくして、借りていたライカレンズを返してからは、手元に35ミリがなくなってしまった。なのでM2を手にするのは空シャッターを切るときだけ。ライカの35ミリレンズなんて近頃手に出せる値段ではなくなってしまった。以前は7万円も出せばいくらでも見つかったが、今では20万近くする。ソニーのα7が出たあたりから急激に値が上がってきている。ボディがあってもレンズがなければ話にならない。なんぞいい国産レンズはないものかと探していたところに、コニカヘキサーLマウント35ミリf2を安く譲ってもらうことができた。このレンズ、コンパクトカメラのコニカヘキサーについていたものを、ライカマウントにして売っていたものだ。確か藤沢商会という中古カメラ屋さんが1000本限定で作って、当時話題になった。ヘキサーは一時ずっと使っていた。1度目のモンゴルでは大活躍してくれたから2005年頃だ。その写りの良さに一時周囲でヘキサーブームが起きた。薄い光の下でもプリントしやすく、ローキーのプリントを量産していた。その後、ヘキサーの修理期間が終了してしまい、その前にオーバーホールしたものの使わずじまいで、結局2Bの新年会の景品に出してしまった。なぜかオーバーホールにだすと使わなくなってしまう。あらためてヘキサーを使うことになった。M2の黒ボディにつや消し銀のヘキサーレンズの見た目はいい。今年の夏こそこの組み合わせで行く。

 

ああ、もう眠い、、

朝=おろし蕎麦/昼=コンビニおにぎり1個/夜=肉じゃが、ヨンニャムチキン、ゴボウとササミのサラダ、玄米チャーハン

写真展は残すところ金曜日と土曜日の2日になった。今日からまた、販売済みのプリントを外して、用意してあった他のプリントを展示。27点のうち10点が変わったので雰囲気がかわる。今日もたくさんの方が来てくれて、写真集も買っていただいた。ありがとうございます。

ああ、もう、眠い。これ以上書けない、、、すいません、、

 

<2005年5月27日の日記から>

事務所には写真家のオリジナルプリントが飾ってある。NYをモチーフとしたウィリアム・クライン、森山大道、田中長徳、中藤毅彦の作品と、北京を撮った北井一夫のものだ。その中に小林紀晴の写真が加わることになった。やはりNYのもので、エンパイヤから撮られたNY全景だ。以前ディズフォトギャラリーの事務所スペースに大全紙サイズで飾られていて、とても魅かれていた。彼の著書は以前からずっと読んでいた。文章と写真の間を行ったり来たりできる稀有な存在だと思っている。アジアのものも好きだが、故郷諏訪を撮った「盆地」が一番かもしれない。昨年のワークショップで小林氏を直接知ることができ、プリントの購入を決めた。なんのシリーズにするか悩んだが、結局NYにした。ギャラリーでのイメージが強かったせいだ。本人自ら2Bに写真を持ってきてくれた。実は彼の自宅が意外と御近所なのだ。暗室を案内する。ちょっと自慢である。1時間ほどいろんな話を聞く。写真を撮られた時の話を聞けるのは、本人から購入する最大のメリットだ。僕の写真もこの1ヶ月で4枚売れた。中には自分への就職祝いというものもあった。自分の写真が誰かの人生の節目になるのはとても嬉しい。

 

合言葉は「いつも2B Channnel見てます」

朝=鳥うどん/おやつ=煎餅、クルミ/夜=晩柑サラダ、ポテト、野菜とほたるイカのオリーブ炒め、餃子、シュウマイ、ヒジキごはん、トマトと卵のスープ

ギャラリーに入ってくるお客さんの中には、最初からなんとなく緊張している人がいる。僕を見つけるとソワソワしているのが伝わってくる。twitterに「今日のお客さんのカメラ」というのを毎日上げているせいか「あの、これ」と言ってカメラを差し出される。午前中はペンタックス645Zとハッセルブラッド907X、午後にはフィルムライカが3台集結した。カメラを前に話し込んでいると、2B時代を追い出す。毎週毎週、買ったばかりのカメラを持ち寄っては大騒ぎをしていた。ギャラリー内でも露出の話とか、撮影の仕方とかミニミニワークショップが始まってしまう。

写真集を買ってくれた人には、その写真集について、簡単な説明をしている。たとえば『demain』の場合。「過去や未来は単に記憶の問題だけで、記憶をなくしてしまったら、過去と同時に未来も考えられなくなるんじゃないか」ということがこの写真集のベースにある。これは、僕の母親が徐々に記憶をなくしていき、ついには何も覚えられなくなったときから、「今度いつ来るの?」といった未来の話をすることがなくなり、目が合った瞬間に微笑むという「今」だけを生きている存在になった。その時の母には時間という存在もない。ただ一瞬を生きていた。僕はそのことに大きな衝撃を受け、そうした経験から『demain』が出来上がってた。

ほかにも、写真集を作る際の話をしますので、ギャラリーに来たら気軽に声をかけてください。合言葉は「いつも2B Channnel見てます」です(笑)。

 

<2010年5月20日の日記から>

お土産は米沢名物駅弁「牛肉ど真ん中」。米沢の町から車で15分のところに小野川温泉がある。どこかに泊まらなくても、公共の露天風呂や内風呂があり、宿でも300円で入浴できる。米沢に帰って友人に会うと「じゃあ、風呂でも」ということになる(笑)小野川温泉は源泉かけ流しの湯量豊富な温泉で肌がツルツルになる。久しぶりに米沢へ帰った。去年のお盆以来だから9ヶ月ぶりか。ずっと「冬になる前に帰ろう」「雪の時期に帰ろう」「春休みに帰ろう」「GWには帰ろう」と思っているうちに9ヶ月が過ぎた。帰ろうと思えば帰れないスケジュールじゃなかった。でもグズグズと延ばし延ばしにしてきた。怖かったのだ。もしかしたら母が自分を分からなくなっているんじゃないか? 母は一人暮らしができなくなり、昨年から介護アパートに入居している。昨日あったことはきれいさっぱり忘れるようになった。一瞬前のことすら思い出せない。デイサービスで外出する以外は一日部屋にこもるような生活を送っている。米沢に帰り、おそるおそる母の部屋のドアを開けた。ベッドに座っていた母が驚いたようにこっちを見ている。「あれ、まあ」。笑顔だった。「ずっと顔見せれなくて悪かったねえ」と謝ると「ほんと、いつ来るかいつ来るかと思ってたよ」。話は家族のことになった。母は孫のことだけはクリアに記憶している。そしてその心配ばかりしている。「元気に学校に行っているよ。もう高校2年生だよ」というとこぼれるような笑顔を見せた。そして何度も「皆は? 何で一緒じゃなかったの?」と繰り返す。翌日、上杉公園の中にある旧伯爵邸のレストランにお昼ご飯を食べにいった。母は食欲もあり、おいしそうにほぼすべての料理をたいらげた。「おいしかった、こんないいところがあったのねえ。初めて来た」と喜んでくれた。でもそこは毎回米沢に帰るたびに行っているレストランだった。「そうだね、おいしかったね。8月は皆で来よう」というとまた笑顔になった。母は記憶をなくしてから笑顔が増えたような気がする。記憶が抜け落ちてきた最初の頃は、母は自分のことを責めてばかりいた。それを見ているのは辛かった。今回、母の写真をたくさん撮った。その中には笑っている写真も入っている。帰り際、母は無口になった。エレベーターまで見送ってくれた母と握手をして別れた。その手の感触は、まるで自分の手を握っているようだった。

今週と来週水曜は、夜9時まで冬青開いてます

朝=おろしうどん/昼=お稲荷さん、カップ味噌汁/夜=レンコンとゴボウと厚揚げのきんぴら、白身魚と野菜のクミン焼き、菜葉といぶりがっこの炒め煮、卵のお汁

会期8日目。地方からわざわざ来てくれた方々がとても多かった。それも関西から。皆さん「いつも2BChannelを見ています」と言っていただけて、とてもうれしい。ちょっと前までは、写真展に来てもらえるきっかけは「『旅するカメラ』を読みました」だったけれど、最近はYoutube。メディアが変わったのを実感する。

そしてフィルムカメラ率が高い。モノクロプリントの写真展に足を運ぶくらいだから熱が入っている。ローライフレックスが2台。ハッセルブラッドはデジタルとフィルムも。写ルンですもあった。最近はフィルムカメラも人気機種は暴騰しているそうで、ペンタックス67Ⅱは30万円、マキナ67は40万円するものもあるそうだ。ローライフレックスの二眼レフも結構な値段になっているそうだ。フィルム高いのにね。

さっきも「フィルムカメラ買うなら何がいいですか?」って友人から連絡がきた。今までデジタルオンリーだったが興味が出たらしい。実は「おすすめは何?」と聞かれると意外と悩む。ニコンf3、ニコンFM3、コンタックスAria、コンタックスS2、コンタックスG2、ライカM6、コニカヘキサーRF、、、

中版ならローライフレックス2.8F、ローライコードⅣ 、ハッセルブラッド503、、、

いちばん大事なのはスペックじゃなくて、見た目。実際に見て「かっこいいな」と思うもの。あとはカメラに自分を合わせていけばいいのだ。

 

<2017年5月18日の日記から>

明日はどっちだ。2Bの事務所として借りてる部屋の大家さんから電話があった。「ちょっと建物のことで話しがあるので来てください」。ということで、すぐ裏手にある家へ。中に通されると、そこには建設会社の方もいて、「このビルは老朽化のため、来年3月をもって取り壊しになります」と言われた。

ああ、ついにきたか。事務所として借りること22年、2Bを始めて13年、いつかはここを出る日が来るだろうと思っていたが、ついにきてしまった。来年3月以降どうしようか。暗室を再び作ることは不可能だろうし、このままワークショップを存続するのも難しい。なにせ暗室ありきのワークショップだからね。でもまあ、なんとかなるだろ。今までもなんとかなったし。あちこち頼み込んで次の展開を考えることにしよう。今年は変化の年になると年頭に書いたが的中したな。ということは感覚は鈍っていない。大丈夫だ。僕は昔から座右の銘をもっている。「結果オーライ」ちょっとゾクゾクする展開だぞ。

 

本日も在廊します

朝=あんかけ玄米フィットチーネ/おやつ=うさぎやの団子/夜=親子丼、春菊の和物、味噌汁/夜食=シーフードヌードル

動画編集をしようと収録部屋に入ったが、居心地が良くてウクレレを弾いてしまう。

午後にオランダから帰国中のトモコスガさんが遊びにきた。オランダに行く前は阿佐ヶ谷に住んでいてご近所だったそうだ。トモさんとは初対面なのだが、お互いいつもYoutube越しに見ているから、すでに旧知の仲のような感じだった。今回、オランダから日本に着くまでに32時間かかったそうだ。ロシア・ウクライナ問題が尾を引いている。ヨーロッパが遠くなった。そしてエアチケットも高騰しているそうだ。今年は無理だが、来年はアルルに行くつもりだ。

夜、ゴールデン街の「こどじ」に長谷川諭子さんの展示を見に行くというか飲みに行く。しばらくは知り合いの展示が続くので、これを機会にまた行こうと思っている。

この日記にも書いたが写真展のお土産にいただいたコンパクトデジカメ「Kodak easyshare M552」が気になって検索している人が多いみたいだ。「こどじ」でも長谷川さんとお客さんが探していたし、写真展の会場でも「渡部さんが持っている機種を探しているけど見つからない」という話を聞いた。結構レアらしい。倒産直前のモデルなのでそんなに流通もなかっただろうし、コンパクトデジカメは中古で流通するものではないから。でも、ないと分かると欲しくなる。「コダクローム」のカラーモードが付いているのは限られているようだ。ストロボを使って撮るといい色が出る。そういうこと書くからみんな欲しくなるわけだw

 

<2007年5月17日の日記から>

ちょっとだけダイエット中。今日は事務所内で商品撮影。香水の壜を白バックで撮る。壜は透明で表面にデザインが彫りこんである。ちょっとやっかいな撮影だ。バックに直に壜を置かず、透明アクリルの円柱を立て、その上に壜をセットする。そうすることで輪郭がきれいに出る。じゃまな台は後で消してしまう。シャッターを切ってはパソコンに転送し、フォトショップ上で拡大して不要な映り込みがないか確認する。後で処理をすることを前提にしているが、撮影時で詰めるところはできるだけ詰めておきたい。
昼食後、『旅するカメラ3』の表紙を撮影。『旅するカメラ』『旅するカメラ2』ともにカメラが表紙だ。3も当然そうなる。決してかっこよくなんてしないのだ。『旅するカメラ3』の表紙に登場するものは悩まずに決まった。妻に「なんだと思う?」と聞いたら「分かるわよ。フォコマート2cでしょ」と軽く言い当てられた。図星である。暗室からフォコマート2cを運び出し撮影。切抜きで使うつもりだ。撮影してフォトショップで印刷したら、ダミーでカバーを作ってみたくなった。アシFがスイスイとスキャナーで取り込んだ『旅するカメラ』のカバーの上にフォコマート2cの写真を張り込んでいく。あっというまに『旅するカメラ3』のカバーができあがった。もう完璧! 堂々としたフォコマート2cがドーンと真ん中にある表紙だ。知らない人は絶対手に手にしそうにない。非常にハードルの高い表紙になった(笑)「俺についてこい」と言っているようなもんだ。メールで編集者に送ったら笑いながらOKと言ってくれたが販売がOKするかなあ。