お祝い事じゃなくても、お赤飯はおいしい

先週金曜日の夜は、ギャラリー冬青で現在行われている写真展の作家のトークイベントがあった。

 

パトリック・タベルナ写真展「夏の名残り-L'arriere saison」

http://www.tosei-sha.jp/TOSEI-NEW-HP/html/EXHIBITIONS/j_1810_taberna.html

 

彼を一言であらわせなら、旅先で家族を撮る写真家。

そんなの誰だって撮る。それを表現まで高めたひと。

パリでもっとも人気のあるギャラリーの作家で、世界中にファンがいる。

ITエンジニアとしての顔を持ち、休日を利用して自分の子供達を撮っている。カメラはローライも使うがメインはユビテルというトイカメラ。美しいスクエアのカラープリントとファンタジックな写真。

 

トークショーではいくつかの示唆的な言葉が語られ、とても面白いものだった。

 

 

家族を撮ったら まず最初に見せるのが約束

気にいってもらえなかったら箱に入れてしまって、時間が経つのを待つ

編集は撮影後時間がたってから行う。撮影時のイメージが消えてから

家族の中にある自分と外側の自分を往復する

セレクトによって家族写真という枠を外す

外部からの視点を持つ、だが外部からの視点にだけこだわるのは危険だと考えている

自伝的要素が強いもの

旅先であることの重要性

パリでの生活の中では写真を撮らない

プリントは専任のプリンターがいて週に一度はコミニュケーションをとっている

思春期のとき始めて撮ったのは彼女の写真

これは大成功だった

彼女は今の奥さんとなった

写真を専門的に習ったことはない

箱に入れてしまうことで撮ったときのイメージを一度忘れてしまう

コンテキストの分断

撮影と写真を分断する行為

 

そして一番響いたのが、今回の作品は彼がミドルエイジクライシス(中年の危機)に陥ったときのものだったことだ。はたから見れば幸せそのものの作家人生に見える。本人もとても幸せな人生だと思っていたそうだ。

 

ところが50歳を迎えたときに突然この幸せが消えてしまう不安に襲われたというのだ。写真も見たくないほどの落ち込みで、自分ではどうしようもない。そんな時でも作家として生きていかなければならない。

 

今はもう先回りして不安になるのをやめたのだと語っていた。終了後、彼に「実は僕もそうなんだよ。何年くらい落ち込んでいたの」と聞いたら「4年かかった」と言っていた、そして「時間だけが解決方法だった」とも。

 

そうか4年か。僕はまだ2年、まだまだだな。でも彼の話は同世代の写真をやるものとして響いた。聞く前と聞いた後では気持ちがちょっとだけ軽くなった。

 

来年1月はギャラリー冬青で僕の写真展が予定されている。準備をはじめないと。いい時も悪いときも写真で生きていく人生を選んだのだから。