朝、バナナヨーグルトとトマトパスタ。夜、江古田で焼酎と焼き鳥。

蒼穹舎のブックストアを物色していると気になる表紙の写真集があった。作家名とタイトルを見ずに中をバラバラっとめくっていくと、何の目的も持たない写真が続いていた。ここはどこなのか、何のため作られているのか一切の説明がない。ノーテキスト。

でも作者が誰なのかはすぐに分かった。藤岡亜弥の新作写真集「川はゆく」(赤々舎)だ。

よくもこれだけ意図を排除して作れるものだ。何かを訴えるために編まれてはいない。こんなすごい写真集を作れるのは藤岡亜弥と赤々舎しかない。

ストーリーテリングの重要性、テキストの必要性、訴えるものの必然性が主流となっている現在、ノーテキスト、ノーストーリー、ノーコンセプト。潔いというか挑戦的というか、ずっと僕が考えていたことがそこにある気がした。

5400円を払って購入し、事務所でじっくり見る。以前見たニューヨーク時代の写真と撮影方法は似ているのだが、受ける印象がまったく違う。

ニューヨーク時代の彼女の写真は遠くに光がある。自分が冷たいところにいて、暖かな場所を探しているように見えた。

今回の地元の広島を撮ったものだ。そして全編に渡り彼女は暖かな場所にいる。

バラバラに思えるこの写真集に唯一通底しているものがある。この写真集は暖かい。ゆえに気持ちがいい。



実は最近ワークショップの撮影実習で繰り返し言っていることがある。「暖かいところを撮って」だ。

その場所で一番暖かいと思うところを探す。暖かいところには光のエネルギーがある。そしてそれは時間や状況によって刻々と変わっていく。例えば昼間の室内で一番暖かなところは窓辺になるし、夜は電灯の真下になる。被写体の顔が熱源に向っていれば暖かいし、反対側を向いていれば冷たい。

露出とかじゃなくて温度。暑過ぎてもいけないが、冷たいところではフィルムがうまく化学反応を起こさない。デジタルなら冷たいところでも写るには写るが訴求力は弱い。

「暖かい」は写真において重要だと僕は感じている、というか信じている。

長いこと曖昧な感覚としてはあるのだが、言葉で説明することができなかった。ワークショップを始めて14年、ようやく「暖かい」というキーワードにたどり着くことができたのだ。