牛丼とカップ麺と缶ビール。

一週間たってようやく落ち着いてきた。メンタルが弱いっていうのが家族に露呈してしまった。

いなくなった喪失感ばかりが全身にとりつくが、そんなとき脳機能の話を思い出した。

人間はふたつの感情を同時に持ち得ない。笑いながら怒れないというやつだ。二重人格であってもそれは交互に出現し、同時に起こることはない。脳はそういう点で単機能だ。

これに従えば悪感情がもたげてきたときに、そこへ別感情を放り込んでやれば悪感情は出てこれないことになる。

そしてもうひとつ、言葉のすり替えをしてみる。

これに気がついたのは友人と英語習得の話になったときだ。海外経験もあり、長年英語のレッスンをやっているはずなのに「渡部さんと違って私は英語が話せない」と言い張る。僕も流暢に話すことはできないが、今は気後れして黙りこむことはない。なにかしら話し続けることはできる。

友人はTOEICのテストであれば僕よりはるかに点数がいいはずなのになぜか、ということになった。話しているうちにわかったのは、友人の話そうとしていることが複雑すぎるのだ。

たとえば相手に断りの意思を示すのに、予算もないし最近別件のことで時間を取られていて来月のスケジュールが一杯になっている等々、とやたらと説明が長い。

「スケジュールいっぱいだからできない」でいいんじゃない?」というと「えっ、それってなんて言えばいいの?I can not,,えーとschedule full???」

「ちがうよ来月は忙しいって言えばいいんだよI will be busy next month.」

「そうか、それでいいんだ!」と友人はいたく感心していた。

日本語を単純にすれば大抵のことは言うことができるというのを僕は割と早い段階で知ることができ、4年前くらいから自分の中にジェネレーターができあがってきた。ひとつのことを多くても3通りのルートで説明すれば言いたいことはほとんど通じる。

要は英語のスキルではなくて日本語の言い換えの技術なのだ。細かい日本語の機微など伝わるわけがない。はなからそこは諦めて、情報をたくさん提供することだけを考える。ジェスチャーもとても有効だ。

そのことをメンタル面でも試してみた。喪失感に襲われると、まず言い換えを始める。「風太郎がいなくなって辛い」から「風太郎は14年間幸せを与えてくれていた」に言い換える。この2つは同じことなので何の矛盾もない。

すると失ったことよりも、与えてもらっていたということになるので気持ちは明らかによくなる。何パターンも言い換えているうちに悪感情はいつの間にか消えていった。