よもやの夏バテ。食欲はあるが下半身がだるい。
妻はこれを「足がズーズーする」と表現していたのだが、さっぱり意味がわからなかった。なるほど、確かにズーズーする。
暑さというより湿気にやられたか?10年前の日記を見たら「夏バテなんてしたことない」と書いていた。するんだなあ。
お盆ということで日曜日のワークショップはお休みにした。家にいてもズーズーするだけなので写真展を見に行く。写真をやっていてよかったなと思うのは写真を見る楽しみがあるということだ。
しかもその写真展というのが1961年生まれの写真家、いやカメラマンの写真展だから興味がある。http://photo1961.html.xdomain.jp/index.html
同級生では宮嶋茂樹と山下恒夫が出ている。他にも直接の面識はなくとも誌面でよく知る人達ばかりだ。円高不況からのバブル到来を経験し、フィルムからデジタルへの大きな変化に飲み込まれた世代だ。
自分のことを「写真家です」というのは気恥ずかしい世代だ。印刷メディアの中で生きて来た世代になる。
それぞれこの道30年のベテラン達である。それぞれの矜持を 持って写真を撮っている。
銀座から恵比寿へ。TOPミュージアム(トシャビです)の荒木経惟展へ。陽子さんの写真を集めたものだ。
若い頃の彼女は笑っていない。もちろん笑った写真はあったはずだが、一切セレクトされていない。共犯者のように荒木を睨みつけている。陽子さんは荒木だけを見ている。隣にいた若い女性が「なにこれ、こわーい」と言っていた。想像していた「愛溢れる写真」とは違ったのだろうな。
「冬の旅」の頃の陽子さんはちょっとはにかんだような表情を見せる。遺影となった写真も笑ってはいない。視線はカメラに向いているているのだが荒木を 見ているというより、もっと先を見ている。
荒木と陽子という背景を知らずとも見るものを引き付ける何かが確実にある。これは誰にも説明がつかないだろう。
3階のコレクション展も面白かった。「他者との関わり合い」という問題を視覚化したものを集めている。
相手の立場に立って考えるから、相手の立場は理解するが、自分たちとは違うという認識へと変化し、相手の立場が想像もつかない事態の発生へと変化しているという序文がこの企画をうまく説明していた。
ドキュメンタリーのジャンルなのだろうが、菊池智子と郡山総一郎の写真がよかった。