珈琲のこと

月曜日、今日は何も用事がない。ベッドの中でグズグズしていると階下で掃除機の音がして妻と娘が慌ただしくしている様子が聞こえてくる。バタンと玄関の扉が閉まる音がすると途端に静かになり、また寝入ってしまった。

寝ているのにも疲れたころ、猫が寝室に入ってきて大声で呼ぶ。布団をかぶって返事をしないと、ますます鳴き声が大きくなる。思わず「うるさい!」と怒鳴ると静かになった。布団をずらすと猫が真上から僕を見下ろしていた。どうやら生存確認のつもりのようだ。

時計を見るとすでに11時を回っていた。下に降りて石油ストーブをつけ、簡単な朝食をとってから珈琲を淹れた。お湯はストーブの上にポットをかけてあるものを使う。カルディで買った200グラムで500円もしないリッチブレンドのフレンチローストの豆を電動ミルでひき、一杯分だけドリップした。NHKBSを見ながらベルギーで買ったチョコレートをふたつ食べる。甘いものはあまり好きではないが、珈琲とチョコレートの組み合わせは好きだ。つぶあんの和菓子もいい。

昼過ぎに妻が戻ってきた。病院に父親の見舞いに行っていたようだ。透析レベルまで悪くなっていて食事制限が必要だと言う。昼食を食べている妻に珈琲を飲むかと聞いて、今度はニ杯分作った。豆の種類には無頓着だが、豆の量とお湯の温度だけは気をつけている。お湯は電気ポットで沸かすと美味しくないことが分かった。一番いいのは火鉢に鉄瓶。これで出すと驚くほどおいしくなるのだが、限りなく面倒くさい。なので妥協案としての石油ストーブなのだ。いつのまにか家事の中で珈琲を淹れるのは僕の仕事になっている。

コーヒーに砂糖を入れずに飲むようになったのは高校生の頃だ。ちょっと背伸びして友達と行った喫茶店には、ラウンドしたカウンターにコーヒーサイフォンがずらりと並んでいて、一杯づつ淹れてくれる専門店だった。アイスコーヒーにいたっては水出しコーヒー(ダッチコーヒー)の装置が奥に鎮座していた。そこでコーヒーに砂糖を入れるのはちょっと恥ずかしく、我慢してストレートで飲むようになった。子供だと思われたくない一心だったのだ。

高校生の僕らにマスターは優しく、いつしか通い詰めるようになった。苦かった珈琲も慣れるにつれて美味しさがわかるようになってきた。高校を卒業する頃には砂糖入りの珈琲は甘くて飲めなくなってしまっていた。

東京に出てからは江古田が生活の場所となった。1980年の江古田は喫茶店密集率が日本一だと言われるほど町中に溢れていた。コンビニのない時代、喫茶店は間違いなく僕らの生活の一部で、誰しも行きつけと呼べるお店があり、ガロの「学生街の喫茶店」そのものだった。

その頃のお店はタバコの煙がモウモウとしていた。それが普通の光景だった。セブンスターが180円、珈琲は260円、アルバイトの時給は450円だった。お金がないと食事とタバコ、どちらを優先するか真剣に考えた。好き嫌いではなく、タバコを吸うことは当たり前。そんな時代がかつてあったのだ。

いつしかタバコは吸わなくなったが、珈琲だけは日に数杯習慣のように飲んでいる。考えてみればお酒を飲まない日があっても珈琲を飲まないという日はないな。

これを書いているうちに目の前の珈琲はすっかり冷えてしまった。でも冷えた珈琲も、それはそれで結構おいしいものだ。