箱から出して包みを開けた瞬間というのは、生まれた、という感じだった。

『demain デュマン』が出来上がった。

冬青に行くと、ちょうど宅配で特装版が届いたところだった。包みを開けると白い犬が表紙になっている写真集が出てきた。

特装版は肌理の細かい黒のクロス貼りで、それが日差しを受けて光っている。とてもいい形だ。

製本は完璧、予想以上。中をめくると黒い台紙に写真が貼り付けられたように並んでいる。印刷もこれ以上望むべくもない。

波製本のカバーは深い深い緑色で、マットコートがかぶせてあるため、一瞬黒に見える。タイトルと写真のバランスが、シンプルなのだが美しい。

5冊目になる写真集だが、これまでと まったく違うものができた。

『demain』は何か社会的問題を訴えているわけではない。本人にも説明が使いない部分も多い。でも今でなけてばできないものが作れた。

4歳のときに初めて撮った写真、6歳のときに初めて意図して撮った写真、19歳写真を本格的に始めた頃の写真、写真を理解し始めた35歳、そして昨年と今年の写真。人のアルバムから抜き出した写真もある。日本、アジア、ヨーロッパの写真が時代も場所も順不同で 並んでいる。並び順に特定の意図はない。

ところがそのバラバラと思われるものが、お互いに勝手にリンクを張り巡らし、ひとつの写真集の形を作り出している。

こういうとなんだが、僕が冷蔵庫にあった残り物を集めて、なんとなくの出来上がりの料理のイメージを腕のいい料理人(高橋社長)に渡す。それを調理するとレシピ通りに作ったものよりも予想以上の味わいが出てくるという感じだ。

最終イメージに合わせて写真を撮るのではなく、バラバラのものの組み合わせで作るということがしたかった。

実は最初の写真集『午後の最後の日射 ごごのさいごのひざし』も、『travetse トラバース』も同じことをしたかったのだが、その時は作れなかった。

今回ようやくそれができた気がする。間違いなく冬青以外では作れなかった。無茶なアイディアをひとつひとつ形にしてもらった。



写真集を見た人からは「いったい何がやりたいのかさっぱり分からない」と言われるだろうが、本人にも分かっていない。何がやりたいか、ではなく、何ができたのか。

内容よりも、構造を大事にしたかったのだ。