ブックフェア参加のため香港なう。
携帯電話を忘れてしまったので、メールかメッセンジャーでないと連絡つきません。〜出がけに上着を着替えたのが敗因。
LCCに初めて乗ったのだが、椅子が薄くて硬くて狭いのはまいった。テレビがなかったり食事が有料なのは構わないのだが。モンゴルエアを思い出してしまった。
香港まで6時間、ヨーロッパだったら倒れてた。
白岡順さんが他界された。昨年ぐらいから体調が思わしくないと聞いていたが、連絡をうけて声にならなかった。
小淵沢に新居を構えられたと聞いていた矢先だけに、その急な訃報に驚くばかりだった。
「影響を受けた写真家は誰ですか?」と聞かれることがある。当然何人かいるわけだが、白岡さんからは間違いなく大きな影響を受けた。
焼き込みを駆使してして作っていた僕のプリントが、ストレート焼きに変わったのは、白岡さんの説明を聞きながら彼の多くのプリントを見てからだ。目から鱗が落ちるとはまさにあのことだった。以来僕のプリントに対する考えが変わってしまった。
20代のアメリカ生活からパリに渡り30年近くヨーロッパで活躍され、日本へ帰国後は造形大の教授、退官後は市ヶ谷で暗室とワークショップのカロタイプと、国内外の多くの写真家に影響を与え続けてこられた。
90年代まだネット社会ではない頃に「パリに白岡順という凄い写真家がいるらしい」という話にはなるのだが、どんな人なのか当時は調べようがなかった。
その後写真雑誌『déjà vu』で紹介され、横浜のパスとレイズで個展が開かれるとすぐに見に行った。旅を撮っているのに地名も国籍も分からない、無名の写真が並んでいた。
黒いプリントに酔ったようになってしまい、その後は当然のように僕のプリントは真っ黒になってしまった。
その後も白岡さんの写真を見たり本人と話していると、吸い込まれるように影響を受けてしまう。求心力の強さは飛び抜けていた。
よく僕の写真展を見に来てくれた。実はそれが僕にとって一番のプレッシャーだった。会場に座っていて白岡さんの姿が見えると「来た!」と身構える。緊張のひと時の始まりだ。
白岡さんは写真をやる人に「あなたは写真で何がやりたいんですか?」とお約束のように聞いてくる。
僕も何度か聞かれ、その時思っていることを伝えるのだが、答えはいつも「そうですか」とだけ。良いとか悪いとかは言わない。
あるとき僕は白岡さんに「白岡さんは写真で何がやりたいんですか?」と聞いてみた。
すると「そんなことは言葉にできるようなことではありませんよ」と返された。
そのときは「禅問答かよ!」と思ったが、以来僕はずっとそれを宿題のように考え続けている。思えば正しい答えを要求しているわけではなかったのかもしれない。
これからも自問自答していると、あのサンタクロースのような顔を思い浮かべてしまうことだろう。