ワークショップ53期の募集中です。

冬に戻ったような寒さ、とはいえ1月頃の寒さから比べたら寒さの質が違う。数字的には一緒でも感じ方はまるで別。

写真の場合も同じで、似たようなことをやっているのに、ある人のものには」あっ」と心が動く。分析不可能な揺れを感じさせるものが確かにある。

現代アートが美しさからどんどん離れていって、むしろ美しいということを疎んでいるかのように見える。けれど、どんなに離れようとしても不思議と美しさって残る。消そうとしても消えないのが美しさということか。

むしろ「ほら、これって美しいでしょう」と自信満々に提示されると「そうでぅね、美しいですね」と鼻白む。素直じゃないから(笑)

昨日はモノクロバライタプリントをしていた。最後の方に母の遺品にあったネガから気になっていたものを焼いてみた。

ベタ焼き上では露出オーバーのため真っ白になっていて、何が写っているか分からない。ネガを直接ルーペで覗くと、どうやら実家の前の風景だ。水たまりと、その向こうに建物が見える。ピントは1メートルあたりにセットされているようで、全体がぼやけている。

他のネガは全て人物が写っているし、露出もピントもあっている。写真を撮ることが珍しかった頃は、写されているものはほぼポートレート。風景や風俗が写っているのは珍しい。そのため古写真のジャンルではポートレートと風景風俗では10倍以上も値段の差がある。

人が写っていない、露出もピントも合っていない、しかも用のないものが写っている。つまり、これは僕が撮ったんじゃないかと思ったのだ。

フィルムサイズは645、「旅するカメラ3」にも出てくる母方の祖父が持っていたツアイスのスーパーイコンタだ。

なぜこれを撮ろうとしたのか分からないが、怒られるのを覚悟でわざわざ黙ってカメラを持ち出すほどの何かを感じたのだろう。

50年たって初めてプリントされたぼやけた画像には、単なるノスタルジーでは片付けられない不思議な美しさがあるのだ。