江古田で40年近く続くお好み焼きのお店で「明太モチもんじゃ」

552期のワークショップ最終回が終わってから、53歳で亡くなった編集者を偲ぶ会に参加した。

27歳でフリーカメラマンになって、師匠もいなくてどうやって生きていけばまったくわからなくて、でもなぜか自信だけは満々のときに出会った編集者だった。

その編集部は若い人ばかりでまるでサークル活動のような、そして作り出すのは普通の雑誌ではありえない企画ばかりだった。

打ち合わせと撮影と納品で毎週のように編集部に顔を出していた。彼は変な人ばかりが集まっている編集部を代表するような人で、会うたびに笑っていた。

新雑誌の立ち上げにはいつも中心となり、僕もそのたびに呼ばれて仕事をしていた。27歳から10年近く「食べさせてくれた」恩人だ。今思えば30代の一番カメラマンとして楽しい時代だった。

彼は数社の編集部を渡り歩いたが、最初の編集部が声をかけて盛大な偲ぶ会になった。

集まってきたのは当時一緒に仕事をしていた、編集者、カメラマン、ライター、デザイナー達で、彼のいた時代を懐かしんだ。皆25年前とあまり変わっていないのに驚いた。

53歳で癌でなくなったそうだ。波乱万丈ともいえる人生を送っていたのだと知った。こうやって集まれるのは、おめでたい席よりも悲しい席が多い。

今月で55歳になる。30歳のときに思い描いた55歳とはまったく違っている。あと25年たつと80歳なわけだが、まったくイメージできない。

つくづくキリギリスのような人生だと思う。 来た道、行く道、あれこれ考える誕生月の3月だ。