ゴーヤチャンプル、肉じゃが、ダシ。

エプサイトに行く前に新宿駅を挟んで反対側、東口駅前にあるコニカミノルタプラザでやっている齋藤亮一さんの写真展「ふるさとは晴れの日」に寄ってきた。

齋藤さんの写真展は1996年からほぼ全てを見ている。最初はロシアを撮ったシリーズで、まだ30歳前半のエネルギー溢れた写真に魅了された。

独特のモノクロプリントは「齋藤調」とも呼べるもので、他の誰にも真似のできないトーンだった。過酷な環境で暮らしている人々を撮った強くて激しい写真なのに、写っているものから伝わってくるものは穏やか。齋藤さんの性格そのものといってもいい。1999年の写真集『バルカン』は齋藤亮一がぎっしり詰まった写真集だった。

ところが2007年インドを撮ったシリーズになると、あろうことかモノクロプリントを捨て、デジタルのカラーになってしまった。一時的なものかと思っていたが、結局モノクロプリントに戻ることはなかった。(2013年にモノクロの写真集「SLがいたふるさとー北海道1973〜1980ー」を冬青社から出しているが、齋藤さんが高校生の頃の写真だ)

「齋藤調」のプリントのファンは多く、落胆の声も大きかった。もうあのプリントが見れないなんて。

世界地図を塗りつぶすように撮影してきた齋藤さんはインド以降、対象を日本に移す。APS-Cデジタルカメラに広角から望遠までカバーするごく「普通」の機材で、ごく「普通」に撮るようになる。

そう、まるで月例コンテストの入選」に出てくるようなような写真。昔の齋藤さんを知る人からは好まれないであろう普通の写真。

その面白さが、今回よくわかった。見ていて体がジンジンしてくる。ここに写っている人のような人生を送りたかった。冒頭に出てくる雪のなか笑っている青年であり、紋付袴で微笑む老人のように。

大伸ばしされてそっけなくビンで止められたプリントは「ここを見なさい」という恣意はまるでなく、レンズの描写に頼るでもなく、ただそのまま写っている。目は写真の隅々を追いかける。

大学の同級生である山下恒夫が撮る沖縄の写真を思いだした。ふたりともなんであんなに普通に撮れるんだろう。全てを理解した上での普通ほど強いものはない。

エフェクトが強くかかった写真はインパクトはあるがすぐにあきる。齋藤さんや山下の写真はいつまでも見ていられる。

齋藤さんの写真を見ると、いつでも自分のやっていることを見透かされているようで恥ずかしくなる。

いいものを見た。