エプサイギャラリートーク

6月20日土曜日 新宿エプサイト 渡部さとるギャラリートーク

本日はお集まりいただきありがとうございます。半年前にエプサイトさんから声をかけていただいた時に、すぐに"traverse"をやりたいと伝えました。新作というのも頭をよぎったのですが「せっかくなので」7年前に出した写真集『traverse』をベースに、25年間の写真を展示することに決めました。
このスペースに100点以上のプリントが詰まっています。作品の下にはキャプションボードがありますが、ボードは手にとってご覧いただくことができます。合わせてお楽しみください。


まず最初によくある質問から。

⚫️「全部インクジェットプリントなんですか?」

今回はエプソンの新製品PX-3Vを使ってすべてのプリントを作っています。A2ノビまでプリントできるので、A4、A3、A3ノビ、A2のサイズを使い分けています。
近頃の展示では、特にエプサイトでは大型プリントでドーンというのが流行っているように見えます。なので僕は小さいものをたくさんやろうと考えました。
展示の並びも日本の写真展は額にいれて整然と並べるのがほとんどですが、それも崩して大小のリズムがつくように並べました。これは海外の自由な展示を見たり、向こうの人と話している時に「なぜ日本の写真展はいつも同じ構成なんだ?」と問われることがあったり、サイズと展示についてずっと気になっていたので、今回は色々やってみようと思ったんです
インクジェットプリントの最大のメリットはサイズ変更の自由さにあると思っています。銀塩プリントの時はマスターピースとなる基準プリントが存在し、それと同じプリントを作るには大変です。サイズ変更はほとんど行いません。せいぜい2種類くらいです。今回の展示では、色や階調の追求というよりサイズに徹底的にこだわりました。同じA3でもイメージサイズはそれぞれで変えています。膨大な量をサイズを変えて出力しました。

⚫️「使っている用紙とキャリブレーションは?」

3種類の紙を使っています。モノクロやモンゴルのピンホールはピクトランの「局紙」です。キラキラ光る紙質が特徴です。30センチ離れて見てもらうと写真が盛り上がるように見えてきます。モノクロと相性がよくて、昔からよく使っているとても好きな紙です。
カラーの写真は「エプソン純正紙絹目調」です。色々な紙を使ってきましたが、これが展示の際はいちばん色の再現性が良く、使いやすいと感じています。
額に入っている16枚のモノクロは「月光シルバーラベル」。コストパフォーマンスに優れ、海外の有名メーカーのものよりもモノクロのグラデーションが豊富に出ると感じています。局紙との違いは、目を近づけて見ると、どんどんデータが見えてくることです。
キャリブレーション(PCとプリンターのお約束)ですが、エプソンのプリンターPX-3Vが届いた時に、すぐにiMac(15万円)を買いました。これはモニターは新しければ新しいほどいいからです。キャリブレーションソフトは使わなかったのですが、今回使った3つの用紙で出力したところ、モニターとほとんど同じ濃度と色になりました。
印刷時は必ずフォトショップを使い、設定は「プリンターに依存」にしています。純正紙を中心に使う場合は、この方法がいちばん簡単で正確だと思います。長い間エプソンPX-5500と7500を使っていますので色再現に悩むことはありませんでした。

⚫️「フィルムで撮った写真は、どうやってスキャニングしたのですか?」
実は写真集を作ったときのデータを印刷所からいただいて、そこからインクジェットでプリントしています。印刷用のデータでうまくいくかわからなかったのですが、結果にはとても満足しています。銀塩でプリントしたものが、写真集を作ることでこうやってきちんとデジタルデータとして残せたのは僕にとって貴重な財産となりました。ネガは残っているけど現在の印画紙ではプリントが難しいものがたくさんあります。しかしデータからインクジェットプリントすることで初期イメージをそのまま伝えることができます。また展示の自由度も飛躍的に増え、屋外展示すら可能になるんです。


では写真を見ていきましょう。
僕は1984年に写真の大学を卒業してから新聞社に入社しました。いわゆる報道カメラマンですね。そこから退社後フリーランスのカメラマンとして広告や雑誌の仕事をするようになります。バブルの頃でした。決められたり望まれる写真を撮るのがフリーランスカメラマンの仕事です。

なりたて頃は旅行にいっても「この写真を撮っておけば雑誌に使ってもらえるんじゃないか、仕事につながるんじゃないか」という事ばかり考えて写真を撮っていました。好きな写真を撮りにいっているのにだんだんそうではなくなってしまう。当時は35ミリ一眼レフにズームレンズを付け雑誌印刷に向くようにポジフィルムで撮っていました。

この三人の少年が寄り添っている写真は、実は新婚旅行のときに撮ったんです。突然目の前で少年たちがより添ったので、慌てて傍にあった防水コンパクトカメラを片手で握り2枚続けてシャッターを押しました。3枚目を撮る頃には、もう彼らはバラバラになっていました。今見ても不思議な写真です。この時のフィルムもやはりポジでした。それをモノクロフィルムに焼き付けてネガを作りプリントしています。

最初の個展は仕事で撮ったポートレートを集めたものでした。1993年32歳の時です。それが終わってしまったら腑抜けになってしまって、次に何をやっていいのかわからなくなってしまったんです。
そんな時にこの写真を思い出し、もう一度同じところに行ってみました。そして撮ったのがこの少年と牛の写真です。それがきっかけとなり南の島を撮ろうと決めました。
インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア、シンガポールを回り小さな島旅を続けました。選んだカメラはローライフレックス。モノクロフィルムを詰めました。モノクロなら仕事にはならないから好きに撮れると思ったんです。
雑誌掲載も写真展も考えていませんでした。旅に出て写真を撮るということだけでしたが、徐々に写真集にして残したいと思い始めます。紆余曲折の末、39歳の時に自分で260万円出して最初の写真集『午後の最後の日射(ごごのさいごのひざし)』を出版します。
2000年ですから今から15年前ですね。誰も買ってくれないかもしれないと思っていたのに、思いのほか反響があり、新聞や雑誌も大きくとりあげていただきました。これがきっかけで職業カメラマンだった僕の意識が徐々に変わり始めます。

その後ヨーロッパやアメリカにも行きますが、やっぱりアジアが好きでモンゴル、ネパール、ミャンマーなどに行くことになります。特にモンゴルは面白くて3回行きました。
書籍『旅するカメラ』が出て仕事も順調だった2003年の暮れに突然両目を悪くしてしまいます。1年ほどマニュアルフォーカスのカメラが使えなくなりました。好きだったライカも体の一部だったローライもピントがわかりません。ショックでした。
この9枚のモノクロは生まれ育った米沢を撮っているのですが、オートフォーカスの一眼レフキヤノンEOS1nに35ミリレンズで撮っています。それまで故郷を撮るのは照れ臭いしかっこ悪いと思っていたのですが、病院のベッドの上で今まで撮っていなかった米沢をきちんと撮ることを決心しました。
そうこうしているうちに今度は母親の具合が悪くなります。いわゆる認知症です。少なくとも月に一度は様子を見に帰らなくてはいけないのですが、徐々に変わっていく母を見るのが辛くて嫌で、写真を撮る目的で帰るんだと自分に言い聞かせて米沢へ行っていました。その頃から徐々にローライフレックスを使うことができるようになりました。不思議なことにローライだけピントが合うんです。

仕事も再開し、2006年から2008年にかけては海外に行くことも多く、年8回のペースで海外、帰ってきてすぐに米沢、東京でワークショップや仕事をしていたかと思うとまた海外へという生活でした。
そのときに出した写真集が"『raverse(トラバース)』です。バラバラで分かりづらい構成ですが、東京と海外と米沢を「行ったり来たり」という生活から生まれたものなんです。この写真集を出したことでアルルフォトフェスティバルへ行き、それがきっかけでパリのフォトビエンナーレに参加したり、パリフォトに行ってアメリカのギャラリーとの付き合いが始まったりと、国内しか知らなかった僕の視線が突然開けることになりました。
米沢の撮影はその後も続き東北の風景を加え、8年がかりで2012年に写真集『da.gasita(ダガシタ)』にまとめることができました。この写真集は高い印刷クオリティと相まって現在は完売状態です。
『da.gasita』を作ってからは日本を撮ることに興味がでてきて、昨年の『prana(プラーナ)』へと続いていきます。日本を撮るうちに神話や宗教に興味が湧いてきて色々調べました。この遷宮の様子を撮ったのもその流れです。

2006年からギャラリー冬青で写真展や写真集を作るようになって自分のスタンスが職業カメラマンからどんどん離れていって、ようするに儲からないほうへ、写真作家へと変わっていきました(笑)
写真集は作るたびに僕を違うところへつれていってくれます。自分で決めた道というより、大きな波にのって流れているという感じです。

さて、プリンターPX-3Vのお話もしなければなりませんね。
A3ノビ対応のPX-5VⅡは、もはやプリンターのスタンダードといっても過言ではありません。A2ノビ対応の3Vは5VⅡの流れを汲んでいる上位機種なわけですから、性能的にはなんの問題もないと考えていいでしょう。実は両者の躯体の大きさの差はわずかです。3Vは意外とコンパクトなんです。
使ってみて何が違ったか。一番の違いはインクタンクの大きさです。3Vはインクタンクが大きいせいでインクの交換頻度が5VⅡに比べてはるかに少ない。これは枚数が多くなった今回のような場合には、計り知れないメリットでした。インク交換による作業の中断ほどイライラするものはありません。
また通常の展示ではA2ノビサイズがあれば十分だということが、この展示でわかると思います。初期コストは5VⅡよりかかりますが、プリントを本格的に考えている方には、迷わず3Vをお勧めします。

ここにある16枚のモノクロは、白っぽいのが『da.gasita』から、黒っぽいのが『prana』から選んでいます。一度こういう展示をやってみたかったんです。バライタプリントでは細かな調整はきかず、ここまでトーンを揃えるのは不可能です。もっともバライタプリントはそこが味なんですけどね。
インクジェットプリントは、特に黒がメインの絵柄には強いですね。プリント調整では白レベル、黒レベルを数字でコントロールしています。実をいうと、ここまでモノクロのトーンが出るとは思っていませんでした。

この歳で回顧展めいたことをやるのは気が引けますが、僕の全体像を知ってもらういい機会なったと思います。土曜日は夕方からしかこれませんが、平日はできるだけ在廊するようにします、またお越しください。本日は本当にありがとうございました。