とりあえず肉じゃがを作って、あとは刺身でも買ってくるか。

ワークショップ43期が終わり、44期が始まるまでの間を利用して僕の30年分の写真を振り返る「ビューイング」をやってみた。

初期ものとしては高校時代は1枚しかなかったが、大学時代の1年生と3年生の時の提出物のプリントや、新聞社時代のものもあった。

30年ぶりに広げたのだが、ほぼすべての撮影状況を覚えていた。どんなカメラを使って何のフィルムだったのかも。

その中で19歳の時に撮った米沢の写真は、驚くほど今と同じだった。35ミリで撮ったものも、ブロニカS2で初めて撮った正方形の写真もアプローチは今とまったく変わりがない。もちろんすべてモノクロ。

ほんの少しの進歩というか変化に30年をかけたことになる。小説の世界で「すべてのエッセンスは処女作にある」と言われるが、人はそう簡単には変われないということか。

ただ、変わらずに生きてこれたというのは幸せだったということにもなる。

30歳前半の初めて個展をやった時のプリントや、その後の仕事で撮ったポートレートの写真、同時期にライカを買って撮り始めた東京の写真やローライで撮った南の島、ニューヨークやパリを撮ったものもある。自分で見ていても写真を撮ることが好きでたまらないという感じが出ている。

それがあきらかに変化を見せるのは2004年から撮り始めた米沢の写真。前年に目を悪くしてライカやローライといったマニュアルフォーカスのカメラが使えなくなってオートフォーカスキヤノンEOS-1で1年間撮影していた。最初の「da.gasita」の展示は66ではなく35ミリがメインだったのだ。

初めて好きだけじゃなくて「撮らなければいけない」という妙な責任感のようなものを感じていた。それまではずっと故郷を撮るなんてかっこ悪いと思っていたのに。

徐々に視力が回復してローライを使うようになると、また昔のような撮り方になってくる。それが昨年あたりから意識が少しづつ変わり始め、写真も少し変化を見せる。

全部で300枚近くを見てもらった。そして最後はサンタフェに持っていったポートフォリオを見せて、どのようにプレゼンしたかを話した。

30年分を振り返るなんて普通はなかなかできない。今回は見せながら、その時々を解説していいたのでなおさら自分が進んできたっ道のようなものが見えた。

初期作から全部見せるというのは、見る側だけではなく、見せる側にも大きなメリットになることがよくわかった。