「いつか見た風景」 題字は北井さん本人が書いたそうだ。 

月曜日、朝から雨が降っている。小雨になることもなく、ずっと降り通しだった。

写真展が終わって気が抜けて、朝から家のコタツでゴロゴロしていた。

夕方からちょっと小降りになる。

夜は東京都写真美術館で「北井一夫 いつか見た風景」のオープニングレセプションだった。招待状をいただいていたので、ちょっとはマシな格好をして出かけた。

恵比寿ガーデンプレイスで妻と合流。数年前に高橋社長と北井さんとで台湾の印刷所視察に出かけた時に僕ら夫婦も御一緒させてもらったことがある。

その時妻は北井さんのことをよく知らず、どうもただのやさしいおじさんだと思っていたらしい。

1階で受付を済ませ、2階のレセプション会場に向かうと、すでに挨拶が始まっていた。最後に北井さんが壇上に上がり話し始めた。

いつもと何も変わらず、穏やかで、難しい言葉はひとつも使わず感謝の気持ちを述べられていた。「写真は僕にとって何なんだろうとずっと考えてきたのですが、結局僕にとって写真は宝物だったということです。こうやって展示をしてもらえて、続けてきてよかったなあというのが実感です」。

乾杯が済むと北井さんのところへ近づいていったのだが、たくさんの人たちに囲まれていてなかなか話ができない。雨だというのに会場にはたくさんの人が来ていた。

3階で北井さんの展示をゆっくり見ていった。最近の美術館係の展示に多い超大型プリントは一つもなく、ほとんどが半切サイズ。一人の写真家が50年かけて見てきた200数枚の写真が並んでいる。

20歳代に撮られていた学生運動三里塚の写真が強い。そして「村へ」と続き北井さんが徐々に形作られていく。2012年までの流れを見ていくと意外と折り目折り目での変遷が見えてくる。人が写っている写真が続くかと思うと振り子のように次のシリーズでは人がいなくなったりする。

展示を見ていて段々と胃が痛くなってきた。僕は本当に好きな写真に出会うと胃が痛くなる。なかなか表現としてはわかってもらえないと思うが、胃が痛くなるほど神経が刺激されるということだ。


北井さんは師もおらず、弟子も取らず、どのグループにも属さず、ずっとひとりで写真を続けてきている。かといってわざと世間に背を向けた、すねたような生き方をしていない。

そこへ8年前から伴走者として冬青社の高橋社長が現れた。ほぼ同い年のふたりの信頼関係は見ていて羨ましいものがある。北井さんの作品を受け止めて高橋社長が写真集を作り続けている。今回の写真美術館の図録もポスターもチケットもすべて高橋社長が手掛けた。

会場で北井さんとちょっとだけ話ができた。いつもと違ってなんだか緊張した。何を話したか覚えていない。

そういえば僕が中学3年生の時に初めて買った写真雑誌はアサヒカメラ。最初にパッと開いたページには「第一回木村伊兵衛賞受賞記念作品 北井一夫 そして村へ」とあった。写真とはこういうものなんだと何度も何度も見ていた。1976年の夏だった。北井さんの写真は僕の奥底に刷り込まれている。

会場を出ると雨が上がっていた。月がきれいに見える。ヱビスビールを飲みながら妻は「写真展すごかったねえ。北井さんってすごい人だったんだねえ」。ようやく分かってもらえたようだ。