3.11から一年、ニューヨークからジョンさんがやってきた。
彼とは一昨年一緒にモンゴルに行った仲だ。昨年4月にモンゴル展をやったときに来日するはずだったのだが、地震後の放射能の影響で断念していた。
彼は一年経った今、被災地を訪れたいとモンゴルで一緒だった漂流者と東北を回る旅を計画していた。どうすればいいか相談をうけたのだが、調べてみると鉄道路が分断されているところが多く、車でないと回れないことが分かった。
そこで地震直後から被災地の支援を行っている平島さんhttp://okuribito.exblog.jp/を頼って僕を含めて4人で行くことにした。
12日、仙台を出発して石巻⇒女川⇒雄勝⇒北上⇒南三陸と海沿いを上がり、翌13日 南三陸⇒気仙沼⇒陸前高田を回ってきた。
平島さんが運転する助手席に座り直後の様子や、現状を聞きながらの旅となった。彼は昨年12月からの変わりように驚いていた。随分と整理されてきたようだ。しかし暮らしぶりはまだまだで、これから仕事を含めて大変な時期になると言っていた。
僕は被災地には昨年4月の末に行ったきりで、1年経って女川の佐々木写真館に行くことができてよかった。
鈴木麻弓のブログに、佐々木写真館で迎えた3月11日の話がのっていた。http://monchiblog.exblog.jp/17313519/
石巻も女川も南三陸も高台から町を見下ろすことができる。ここに住んでいたら自慢したくなるような町だったことはよく分かる。でも今は何もない風景が広がっているだけ。
南三陸ではボランティアの事務局まで連れていってもらい、活動の様子をうかがった。外国から来ているボランティアも多いそうだ。
震災後赤十字を通して募金したお金はまだ回っていないという。この場合、一番大切なのはスピードであることは明白だ。集まったお金はどうするんだろう。
そして有事の際は個人の力がとても大きいということも分かった。リュックに食料を詰めてきてくれた人にどんなに救われたかと言っていた。
ジョンさんはニューヨークの雑誌に寄稿するために各地で写真を撮っていた。僕も昨年と同じくローライにトライXを詰めて6本撮った。
平島さんが「こういうの撮った後はどうするの?作品になるわけじゃないよね。発表とかするの?」と聞いてきた。
もちろん作品であるわけでもないし、発表するつもりで撮っているわけでもない。デジタルで撮らなかった理由は、プリントして取っておくためだと言っていい。それは20年30年後のためだともいえる。それに撮らずにはいられない。
僕は常々言っているが「見るために撮る」という気持ちが強い。写真を通して世の中を見ている。
被災地を巡る旅は重苦しくはあったが、写真が好きな4人の旅は楽しくもあった。最初は日本語がほとんど話せないジョンさんの通訳替わりのつもりだったのだが、車中では漂流者とジョンさんは日本語と英語でずっとカメラの話をしていた。
ジョンさんはニコン好きのライカ好き。今回もSWCやライカ、ニコンS3など5台のカメラ持参だ。漂流者はマミヤ7、平島さんはペンタックス645D、僕はローライ。
二人の会話は聞いていて吹き出すくらい珍妙なのだがちゃんと通じでいる。大判のカメラがどうだの、ガラス乾板が面白いだの、ライカのレンズがどうしただの話題は延々とカメラのことだけ。お互いうなづきあって笑っている。
カメラ人類は言語を超えるということがよ〜く分かった。
ジョンさんが持ってきたソニーのNEX7にライカエルマリート28ミリの組み合わせは恐ろしくよく写った。貸してもらって撮った1枚があまりにもよくて思わずfacebookに撮った写真をアップしてしまったほどだ。
最近GXRの新型24-85のズームユニットが届き、これまたとてもよく写るので、新しいボディを買ったばかりなのだが、NEX7の使いやすさと写りにちょっとクラッときた。
新発売のミラーレスAPS-Cなら十分仕事ができそうなクオリティだ。確実に2世代前のフラッグシップクラス以上のの写りをする。
宿に帰ってもふたりのカメラの話はつきない。
神妙で珍妙な3日間の旅だった。