遺された写真

twitterを見ていたら、宮城県の震災で流された自宅の中から、以前買ってもらった僕のプリントが出てきたと、喜びのつぶやきがあった。http://twitpic.com/4orzku

3年前、コスモスの「売りましょ買いましょ」展のときのものだろう。僕のサイト(www.satorw.com)のトップページのイメージで、ちゃんと額に入れて大事にしてくれていた。

額は泥だらけで、写真も傷んでいるはず。持ち主は洗ってきれいにすることを望んでいたが、プリントがインクジェットであることから、油分がついている部分の画像が流れてしまう可能性が高いため、そのまま乾燥することを薦めた。

新しいプリントと交換するとも申し出たが「こうなったのも何かの縁、手元に置いておきます」ということだった。

僕は「汚れもいつかは味になるはず」と書いたが、本人にとっては写真の汚れを見るたびに辛い思いを呼び起こすことになるのかもしれない。いつか、10年先か、20年先か、その汚れが味として受け止められる日が来ることを願うばかりだ。

同じく宮城県で両親を津波で亡くした元アシスタントのSのことを書いた。「女川 佐々木写真館 三代目」遺された写真。日記では字数が足りず、段落の調整もできないのでブログのほうに上げておいた。http://blog.livedoor.jp/workshop2b/

この時、彼女は流された自宅から父親が使っていたカメラを拾い集めていた。トヨフィールドのシノゴや、マミヤのRB67、最新のフジGF670も見つかった。Sは「お父さん、内緒でこんなの買ってた」と泣き笑いしていた。

それは全て泥にまみれていて、再生は不可能だった。彼女は洗ってきれいにすることを考えていたが、そのままにしておくことを薦めた。この泥は伝えていく必要があると思ったのだ。

遺された写真は、今アメリカで展示することが考えられている。Sはそのために毎日奔走している。

父親が撮った写真が、彼女の人生を後押ししてくれているように見える。