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どんなに素晴らしい作品であろうとも「流通」していなければ価格はあいまいになる。画商が「作品」を「商品」として流通量をコントロールして購買意欲をかきたてなければならない。作家が勝手に値段をつけて売ってしまっては値段をコントロールすることは不可能だ。

写真は1枚のネガから複数枚のプリントを作ることができる。そのため1点のイメージが大量に流通することにもなる。ドアノーの「市庁舎前のキス」も大量に流通しているもののひとつだ。

そのため希少性を高めるために1枚のネガから何枚プリントを作るかをあらかじめ設定することも行われる、これは版画のエディション制からきているものだ。作品の端っこに23/75などと書かれているもので、これは75枚刷ったもののなかで23枚目のものだということをあらわしている。

写真を商品として考えるならば、画商(ギャラリー)の存在は重要になる。個人的な売買での最大の欠点は、リセールバリューにある。

画商を通して流通性のある作品(作家)であれば、数年後購入価格以上の値段で売れることも出てくる。20万円で買ったものが200万円になる夢も、作品と一緒に買うことができるのだ。

対して作家個人が販売している場合、流通性がないため、20万円で買った作品を、再び購入者が売ろうとしても値段がつかない。売る場所がないからだ。

作家個人から作品を購入するということは、「作家を買う」行為に近いと思う。パトロンと言ってもいい。微力ながら作家活動を応援するという気持ちがなければ「購入」という行為までにはいたらないものだ。ここ数年、作品を買う行為を続けての結論だ。

なかなか作品の魅力だけでは購入まではいたらない。作品の魅力プラス、画商が保証するリセールバリューなり、作家へのパトロン行為が購入決定には必要になると考える。