マーボ豆腐、ぶたの三枚肉と大根の煮物。

帰り道、蝉の鳴き声を久しぶりに聞いた。月曜日には晴れると天気予報は言っていたが、それもどんどん後にずれている。

午前中から先週撮影した上がり数本を持って納品に都内を走る。納品というと近頃は宅配便かバイク便ばかりだった。たまには担当編集者以外にも忘れられないように編集部に顔を出しておく。

銀座に寄ってEOS1nの修理品を受け取る。ボディ2台、レンズ1本のオーバーホール料金は17,100円だった。シャッターユニット自体はまだ大丈夫だということだ。フィルム給装用のバネがいかれたらしい。代替品を返し、自分のものを受け取る。

意外と修理したてというのはトラブルが出やすいので慎重に動作をチェックする。まあ大丈夫なようだ。8月末発表の新しいデジカメのことをそれとなく聞いてみるが、予想通り反応無し。この頃のプロサービスは少々愛想にかけるな。

先週書いた姉妹のポートレートの話では数人からメールがあった。「撮影自体に楽しみを見出すのもあり」という意見には、なるほどと思う。彼女たちからは、それぞれお小遣いから5千円をもらっている。親が出すお金ではなく、あくまでお小遣いから出すことを求めたのだ。

彼女たちの5千円は大金だろう。5千円分のパフォーマンスをしてしかるべきだったのかもしれない。その折り合いの中で接点を見つける手もあったのかなと反省する。「撮ってやる」という気持ちがあったことは否めない。不安な気持ちを取り除くことをしてあげてもよかったのかも。

でも… 16、18歳の緊張を含んだ顔というのは美しいと感じたのだ。無理にリラックスさせずに撮影することでそのままを写したかった。これはカメラマンのエゴだよなあ。彼女らにとってはとんでもないことだと思う。

僕はポートレートの撮影では相手にほとんど話しかけない。カメラをはさんでお互い緊張状態になることもある。でもあえて話しかけない。話した途端になにかが崩れてしまいそうになるからだ。撮る枚数もなるだけ少なくしたい。たくさん撮ると薄まってしまいそうなのだ。

毎度無言で撮っていると、後にいる編集者は不安そうな顔でこちらを見ている。目は決まって「本当にダイジョウブですか」と訴えかけているのだ。