気がつけば8月も終わるんだな

9月は京都で講演会があったり、25日からは渋谷るルデコでワークショップのグループ展があったり、いろいろ大変。

 

でもなんだかパッとしないというか、気力がわかないというか、しばらくウクレレも弾いていない。

 

2年前もそうだったが、どうも夏の終わりに気力が萎えるようだ。こればかりはいたしかたない。

 

日記も書いては消しての繰り返しで、しまいには書くのが億劫になってくる。

 

たまにはしょうがないか。

19

皮膚炎はひと段落。ようやく痒みが治まった。3週間以上かかってしまったが、落ち着いてくれてよかったよかった。

 

おかげで8月はプリントしたかったのだが延期になってしまった。

 

実は今、あるグループ展に参加している。国内でグループ展に参加するのは久しぶりだ。

 

「東京8x10組合連合会」

江東区文化センター 東西線東陽町駅が便利です

8月29日日曜日まで

 

東京8x10組合連合会とは大判カメラ、しかもエイトバイテンが基準という面白い集まりで、10年の歴史を持つ由緒ある団体だ。毎年見にいくのを楽しみにしていたので今回参加することにした。

 

今までエイトバイテン(B5サイズくらい)で撮影しても引き伸ばさずべた焼きばかりだったので今回はプリントするつもり満々だった。

 

しかし肩の不調、目の不調、皮膚炎はと立て続けに調子を崩し撮影もプリントもできずじまいだった。

 

しかたがないので5年前の夏に娘を撮った旧作を2枚だけ展示することにした。そのまま飾るのでは能がないのでキャプションをつけた。

 

他の方の作品は力作ぞろいですので暑い日が続きますが足をお運びください。

 

 

「19」

 

娘が19歳の夏、隣の家が壊された我が家のガレージには奇跡的な光が差し込んできた。

 

19歳の夏というのは学生であるならば、これまた奇跡的な時間だと言える。責任もなく義務もなく、好きなことをしていればいい。

 

僕の19歳の夏はといえば、エアコンもない安アパート暮らしで絵に描いたような貧乏学生生活。夏休みというのにバイトもせず、喫茶店とパチンコ屋を往復する毎日だった。

 

ついに仕送りも底をつき、食べるものもなく、友人はおらず、進退窮まった。実家に避難するしかない。とはいえ、山形に帰る旅費があるわけがない。

 

部屋の隅に大学のガレージセールで5000円で買ったトヨビュー4x5があった。それを質屋に持っていくと思いがけず5万円で引き取ってくれた。

 

思わぬ大金が手に入り、浮かれた僕は実家ではなく夜行列車で北海道に行った。そしてお金が尽きると山形に帰った。30年以上前の話だ。

  

写真を撮られるのを嫌がる娘にお小遣いを渡し、2度とはやってこない19歳の夏をディアドルフを使ってガレージの下で撮っておくことにした。

 

ディアドルフ810

コマーシャルエクター10インチ

トライX

アドックスMC111

 

 

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味噌に納豆、ヨーグルト、キムチ、発酵食品を毎日食べている

 

岩城文雄インタビューの評判がいい。彼の言葉を残すことができてよかった。写真を勉強している学生さんは必見だと思う。

 

 

 

手足に小さな水泡ができて、それが角質化するやっかいな症状が出てきた。痒みが一日中続いている状態。

 

お風呂に入ると大変なことになる。で、シャワーを浴びると痒さを通り越して顔楽物質が出てくる(笑)

 

 

今年は色々でてくる。しょうがない、そういう体だ。お医者さんには「身体から毒素が出てると思ってください」と言われたので、食事を正してアルコールもしばらくやめることにした。

 

すると夏の疲れがなくなった気がする。

 

先週米沢に帰った。友人にも連絡をとらず、駅前のビジネスホテルに一泊だけして、新潟へつながるローカル線の始発に乗って、終点坂町まで行ってそのまま米沢へ戻ってきた。往復4時間だが、何度乗っても飽きない。

 

最後尾の車窓からずっと写真をを撮った。ピントも設定がよく見えないから全部固定。借りていたフジGF670のワイドを使った。

 

カラーネガを詰め14本。ずっと流れる風景だけを撮っていた。

 

米沢に戻り墓参りをしてラーメンを食べると、そのまま東京に帰ることにした。本当は2泊くらいしようかと思っていたのだが、暑すぎた。お墓で倒れるんじゃないかと心配するくらいの炎天下だったから。

 

まあ、今週というか、金月はおとなしくしてよう。

岩城文雄『△』 2Bインタビュー

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写真集『△』(赤々舎) 

                            <amazon  http://urx3.nu/LpPA

 

「この部屋の中だけで妻を撮ろうと決めて6年になる。彼女と向かい合って、私にはそうすることしかできなかった。あの頃の私は、自分の撮った写真すべてが嘘っぱちに見えて、何も撮ることができなくなっていた」(『△』あとがきより抜粋)

 

渡部さとるが主宰するワークショップ2Bの21期に参加してくれた岩城文雄さんは、2018年4月に赤々舎から『△』を出版した。赤々舎から出版された写真集は、木村伊兵衛賞をはじめ、毎年のように大きな賞をとっていて、いま世界中の写真関係者から最も注目されている。

 

 

渡部 『△』の出版おめでとうございます。岩城さんは関西の方ですよね。

岩城 神戸の出身です。大学が高松だったので、写真の仕事をしながらそのまま18年ほど暮らしていました。そのあと高知で1年過ごしてから東京に出てきました。

渡部 ワークショップ2Bに来たのは2007年でしたよね。その年の夏に一緒に東川のフォトフェスティバルにいったのを思い出しました。高松にいた頃からずっとカメラマンをしていたのですか?

岩城 在学中にアシスタントをしていたので、その流れで。高松は関西の会社の支店がたくさんあって、地方のわりには、商業的な仕事が多かったんですよ。当時はフィルムの時代でした。ポケベルが出てきた頃で、新機種が発売されるたびに撮影していました。本来なら中央からポジが配給されるのを待てばいいのでしょうが、地元でブツ撮りしたほうが早かったんでしょうね。雑誌でも広告でも、そういう類いの仕事が、いまから思えばけっこうあって、それで暮らせていました。今はそんな仕事はなくなっているでしょうね。

渡部 そうね、僕たちの時代のカメラマンは複写でも十分にお金を稼げていたからね。アナログだったね(笑)。どうして東京に出てきたの? 

岩城 このままでは面白くないというか……。うどんや携帯電話を撮りたくてカメラマンになったんじゃない、と思い始めて。それで、東京に出て売り込みをしたんですが、さっぱりどこも相手にしてくれなくって(笑)。どうしようと思案していた頃に、渡部さんのブログや『旅するカメラ』を読んで、ワークショップのことを知りました。

実は僕は、それまで写真雑誌といえば、『アサヒカメラ』などの類しか読んでなくて、いわゆるミーハーな写真の世界にいたんです。知っている写真家といえば、篠山紀信とか荒木経惟とか。

渡部 マスコミに出ている有名な方々ですね。

岩城 そうですね。でもそういうコマーシャル的な仕事をしているカメラマンではなくて、作品を撮っている写真家という人たちがいるんだって知って、そっちの道に進みたかったんです。

渡部 最初に見せてもらった写真は、野球のグランドで女の子を撮っているカットでしたね。

岩城 そうそう、そういう写真でした。

渡部 2Bのグループ展では、無理矢理4×5でスナップを撮った作品だった。

岩城 そんな感じでしたね(笑)。何を撮ればいいかわからなくてジタバタしただけで結局は消化不良に終わりましたが。

渡部 そのとき、4×5を手持ちで撮っていたけど、それはどうして? 大型カメラでスナップを撮るってことは、35mmとか、普通の中盤カメラのように、自分の狙い通りっていうわけにはいかないから、構図やピントも決めづらい。しかも手持ちだからかなり偶然的な要素もあるし。

岩城 めんどくさいことをしたかったんです。

渡部 どういうこと?

岩城 わざわざ4×5を使ってスナップ撮影するなんて、めんどくさいじゃないですか。でも、めんどうくさいことをやれば、何かをやったつもりにはなれる。

渡部 あー、それはあるね。フィルムの時代は、プロセスを簡単にするか難しくするかは選べたから、たとえば、めんどうなプロセスがよかったのは、それをひとつひとつ積み重ねていくと、何かできたような気がしていたね。結果的には、簡単なプロセスと一緒なのかもしれないけど自分自身のやった感はあるよね。

岩城 何を撮ればいいのかわからなかったから、何かをやっている感だけでも欲しかったんでしょうね。手を動かしていれば気が紛れたんです。

渡部 カメラマンだからという気持もあった?

岩城 何を撮ったらいいのかわからないという焦りの方が大きかったですね。自分はいったい何を撮りたいんだろう、って。

たとえば、本心では美しいと思っていなくても、仕事であればそれなりにきれいに撮ることはできたんです。でもそのうち、ああ、これは美しいな、ちゃんと撮っておきたいな、と感じたものまで“手癖”で撮って済ませていることに気がついてしまって。美しいと言われるような型に当てはめる撮り方しかできなくなっていたんですね。こうなると、自分がそれを本当に美しいと感じたのかさえ怪しくなってくるんです。使い分けなんて器用なことはできないんですよ。これはあかん、と。ここから抜け出さなあかんと思ったんです。

渡部 広告的な写真からって意味合い?

岩城 そういう意味でいうなら「こうであってほしい」を絵にするような撮り方からですね。

渡部 職業カメラマンとしては、訓練されたものだから当然。それでお金をいただいていたからね。

岩城 でも、「こうであってほしい」という考えは、すぐに「こうでなくてはならない」になるんです。それはとても怖いことだと感じて。自分に都合のいい解釈を被写体に押し付けているだけじゃなくって、自分自身もその虚像に縛られていることに気がついて、それがとても嫌になったんです。

以前、2Bで評論家の竹内万里子さんが来られて、写真を見てもらう集まりがありましたよね。たしか2008年の暮れだったと思います。持参した作品を見た竹内さんが、困ったような苦笑いをしてるような表情で「うまいって怖いな〜」って言ったんです。その時はまったく理解できなかったんですが、最近になってようやくわかりました。撮れた気になっていただけで、何も写ってなかったんです。

 そうでしたね。うまくはなれるけど、そのうまさからは、次が生まれないっていうことだと思う。職業写真家としては、うまくなることを目指さなくてはいけないけど、「表現としての何かはないですよ」という、ある種、残酷な批評でしたね。

岩城 「こうであってほしい」を絵にしているだけだと、写真が本来持っている問答無用の強さが出てこないんですね。『△』のシリーズは、どうすればそこから抜け出せるかを試行錯誤した作品だと言えます。

 

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渡部 実際には、どんなことにこだわって撮影していたのですか?

岩城 写真集には撮影した時系列のまま掲載していますが、まず、ずっと使っていた6×6で撮ることをやめました。これは、対象を真ん中に置くことで収まりがよくなる正方形故の絵づくりで、デザイン的に美しく仕上げてしまう癖をなくすためです。長辺が微妙に広がることで生じる不安定さといったものが欲しかったのかもしれません。

もうひとつは、対象から距離をとって撮るようにしたかったのですが、正方形だと天井と床や畳ばかりが入ってどうにも締まらなくなった、という理由もあります。

古いレンズの味なんかもどうでもよくなりました。6×7で撮るようになってからは、三脚を使うようにしました。

渡部 え、これ三脚を使っていたの?

岩城 ええ、ほとんどのカットで三脚を使っています。自由に動き回れないように。絞り込んでいたので手振れを防ぎたかったのと、水平垂直を正確にとるという目的ももちろんあったんですが。

渡部 水平垂直をとることで構図が決定されるから、自分のルールでは撮れなくなるからね。大型カメラを使うときと同じようなことを考えたんですね。

岩城 自分の中では、これを“大リーグボール養成ギブス”に例えていました(笑)。あのギブスは、もちろん負荷をかけて筋肉を鍛える役目もあったんでしょうが、最低限の動きで最大の効果を出すことを体に覚えこませるものだったと思うんです。

渡部 岩城さんも強制的に三脚を使うことで、どんな効果があった?

岩城 思考のショートカットが起きました。目の前の状況を投網でざっくり獲るような感じです。対象をひと塊に捉えるようになって、要素の散らばり具合を線でつないだ抽象画のように見ていました。「こうであってほしい」ではなく、そこにあるものをそこにあるように撮る、という意識へと変わってきたのはこの頃からだったと思います。

渡部 画角を正方形から横長に変えたことで、とらえ方がすいぶん変わってくるね。 

岩城 思い浮かべていたのは、星空なんです。夜空にはたくさんの星が見えますよね。昔の人は自分なりにこれだと思う星を線でつないで、様々なイメージを描いていろんなものに擬えたりしたのでしょうね。それは本人の記憶や体験からの連想なんでしょうが、写真にも通じるなと思ったんです。見る人によって星と星のつなぎ方が変わるように、たくさん情報がある中で、どの要素を拾ってつなぎ合わせるか、なんです。

だから僕も、このシリーズを撮っている中盤あたりからイメージしてきたのが、点々と散らばっている星をつないでいくような感覚でした。6×6の頃は、対象は常に真ん中だったんですが、洗濯物が写っているカットあたりから、視界に入ってくる要素の散らばり具合を見ていました。

最初は対象を形として捉えていたのが、構図というか、その配置を見るようになってきました。ばらまき加減というか、バラバラなまま、まとめないんです。写真集のいちばん最後のカットは僕の中では満点の星空なんです。

 

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渡部 岩城さんは、『△』のシリーズとして、この写真集の前にも、自家製本で『01』を出していますが、僕はこれを最初に見たとき、いままでの岩城さんの写真とずいぶん変わっていたんで、激賞した覚えがあります。何年頃からこれを撮っていたのですか? 

岩城 『01』は2013年10月に出しているので、撮りはじめたのは2012年の6月ぐらいからでしょうか。『△』の表紙はこの部屋に越してきた最初の日に撮ったものです。6×6で撮っていたのは1年と少しぐらいで、2年目の半ばぐらいからは横長のフォーマットに変わっていきます。

渡部 僕は、この写真を見るたびに、奥さんが岩城さんの共犯者のような印象をうけるのだけど。だってこっちをにらんでいるじゃない(笑)。これって普通はできないよ。荒木経惟の『センチメンタルの旅』もそうで、陽子さんも歯を食いしばっているように、常にこっちを見ている。それとすごく似ていて、これは確実に岩城さんの写真を信じているというか、旦那がカメラマンだからもう仕方ないと覚悟を決めているというか、あきらめているというか……。『01』を初めて見たときにそれを感じて、これはすごいなと思った。

彼女や奥さんを撮った写真ってたくさんあるんだけど、だいたいはモデルとして存在しているケースが多くて、撮られることを諒承して、ある程度「よい私を撮ってね」という意識があるけど、これはそうじゃない。もう覚悟して撮られている様子が伝わってくる。撮影のタイミングなどはどうしていたの? 文句は出なかったの?

岩城 三脚をセットして水平をとっている間にどっかに行ってしまうこともあるし、文句を言いながらその場に居てくれるときもありました。確かに笑顔というのは撮っていても見ていても心地のよいものなんですが、被写体は私を心地よくするためにいるわけではないし、自分にとって都合のよい場面ばかりを残すことは、やっぱりエゴだと思ったんです。だから、彼女が笑顔でいるかどうかは、あるいはその逆も含めて、そういうことがシャッターを切るきっかけにならなくなりました。

 

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渡部 赤々舎から出版された経緯を教えてください。

岩城 2015年の4月に京都グラフィーでポートフォリオレビューを受けたんですが、僕が選んだ3人のレビュアーのひとりが赤々舎の姫野希美さんでした。まだ撮り続けていることを伝えたら、まとまったら、また見せてくださいと言われたので、翌年の秋に、あらためて見せに行きました。

それでその場で「本にしましょう」と言われて。即断だったので、驚きました。姫野さんが写真を見ながら「やっぱり出してしまうんだろうなー」と独り言のように呟いていたのは今でも覚えています。

渡部 赤々舎から出版されている写真集は、近年大きな賞をとっていますよね。これはすごいことだけど、姫野さんからはどんな感想を? 

岩城 実は感想らしい感想は編集をしている間にも二言ぐらいしか言われなかったんです。ひとつは「私はこの写真を見て気持ちが安らかになったことがない」と「表情がなんとも言えない」、あ、それから「強い」とも言われました。

渡部 姫野さんとしては、写真集をつくるということは、それが売れなかったら会社の大きな負債になるわけだから、そこを踏まえて出版することを決意したと思えば、それが最大の評価になるんだろうね。△というタイトルはどう決まったのですか? 

岩城 いろいろ姫野さんに提案したんですが、ことごとく却下されました。詩的すぎたり写真に比べて強さが足りない、と言われて。確かにどれもしっくりこなかったんです。言葉にすると固定されてしまうというか、わかったつもりになってしまうというか。あるとき、夜行バスに乗っていてふっと思いついたのが「三角」という単語でした。「三角形」じゃなくて「三角」。硬質で抽象的なのに塊感があって。これいいかもしれないなと思って、その場ですぐに姫野さんにメールしたんですけど、姫野さんの反応はあまり良くなかった(笑)。

それからさらに「三角」を「△」という形を表す記号にしたいと言い出した時は、さすがにそれは……っていう反応でした。「△」の方が言葉になる前のその形自体が頭の中に飛び込んでくるんです。やっぱり言葉を使いたくなかったんでしょうね。

編集作業は基本的に姫野さんを信頼してお任せしていたんですが、このタイトルについては粘りました。最終的には、出版前に決まったエプサイトの写真展のDMにレイアウトされた△を見て姫野さんもようやく納得してくれたようでした。

渡部 そうか、エプサイトの展示も2018年の4月でしたね。まだ写真集はできていないけど、DMはつくらなくちゃいけないわけだ。

岩城 そう、あの時点では、もしかしたらタイトルが変わっていた可能性もあったんです(笑)。

 

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渡部 いまは写真集もひとりで思い通りのものがいくらでもつくれるいい時代になっているけど、誰かと一緒につくるということは、それ以上に魅力がある作業ですよね。それが写真集をつくり続けている姫野さんのような方の手を経るというのは、とても大きな経験だったと思います。森山大道さんに献本したら、手紙をいただいたそうですね。

岩城 ええ、まさか返事が来るとは思っていませんでした。

渡部 どんなことが書いてあったの?

岩城 「世界のすべてが謎だということ」や「最終的に愛が透けてうつる」といったことが書いてありました。今も現役で撮り続けている人の言葉ですよね。かっこいい。

先日、中平卓馬の「決闘写真論」を読む機会があって、この人たちは、もうあの時代から同じようなことを考えて撮れなくなっていったのか、とか、やっぱり行き着くところは図鑑になってしまうのかな、なんて思ったりしました。

渡部 森山さんは不条理までも受け入れるという態度の方だよね。わからないから、謎だからこれは面白くないんだというのではなくて、謎というものが、写真の中で大きなキーワードになるってことだろうね。

岩城 わからないから続けられる、というのはありますね。わからないものはわからないままにしておくんです。なんだかよくわからない何かが向こうからやってきて、それに気がつくかどうか、なんです。それが写真の強さになる。この先そういうのが撮れればいいなーとは思うんですが……。

渡部 そう、やっぱり聞かれちゃうよね。次のことを。何か考えていますか?

岩城 △のシリーズを撮り終えた後は、もうあんな切実さをもって撮ることなんてできないだろうと思っていましたから。振り返ってみると、「こうであってほしい」から抜け出す一連の流れは、心地よさを手放すことでもあったのかな、と。“心地よさを手放す”、という考えが、現代美術でいうところの美しさを目的としない部分に通じるのであれば、いまはとても腑に落ちます。

いまある居心地の良い状態を手放して新しいところへ進むんです。で、次は何が撮れるんだろうなーって考えている。 なんだかぐるりと一回りして、また同じところに戻ってきてるなあ。アルルから帰ってきた時も考えてましたから。いったい何を撮ったらいいんだろうって。

渡部 そうでした。岩城さんがアルルでレビューを受けたのは2008年の夏だから、もう10年も前になりますね。

岩城 今回はあの時よりはマシかもしれない。

渡部 積み重ねができているからね。

岩城 写真集の後書きに、「これを撮らなければどこにも行けはしない」って書いたんですが、迷ったらまた戻ってこれる、そういう足場を作っておきたかったんです。『△』を撮り切った今は、“ここにとどまるな”という声が聞こえます。

部屋の中だけで撮ったのは、珍しい場所に行って撮るだけが写真じゃない、っていうか、そういう物語に寄りかかるような写真にはしたくなかったというのもあるんですが、とにかく縛りが欲しかった。それが解けたんです。

もう今はモノクロであることもフイルムを使うことにも縛られてないんですよ。この4月に東京から神戸に引っ越すことになったのも偶然ではなかったのかもしれません。

渡部 必然的だったということだね。

岩城 あのまま続けていたら、また悪い癖が出てたでしょうね。今も妻を撮らせてもらってるんですが、油断するとダメですね。マンネリは続ける意思がないと続かない。だからまた一からやり直しです。

渡部 最後に、具体的な目標などがあったら教えてください。
岩城 いまは「次の作品を作ろう」とはっきりと考えているところです。実は、こんなふうに考えるようになったのは、書店さんへの挨拶回りをしたからなんです。書店さんも、やはり売れるあてのないものは取り扱ってくれなくて、それは個人書店さんの方がシビアです。どちらかといえば大きな系列店の方が赤々舎の名前だけで取り扱ってくれたりしますし、最初は表紙が見えるように棚を用意してくれます。でも売れなければすぐに別の新刊にとって代わられてしまいます。

渡部 写真集を売るということは、本当にたいへんですから。

岩城 それでわかったのは、写真集を売るためには、書店さんに働きかけるよりも前に写真集を欲しがるお客さんを増やしておかないと、ということでした。何をいまさら、と我ながら呆れています。

渡部 自分だけ満足しているわけにはいかない。

岩城 はい、写真集をつくってくれた姫野さんや、取り扱ってくれる書店さんに報いるために一冊でも多く売れればいいのですが、そのために自分にできることは、やっぱり新しい作品をつくって広く知ってもらう機会を増やすしかないのかなと。なんだかすごく遠回りのような気もしますが、撮ることならなんとかできると思うので、ぼちぼちとやっていきます。

                                  (取材:2018年7月12日)

 

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岩城文雄

1966年生まれ 神戸市出身。

大学中退後はカメラマンとして高松、高知で活動したのち東京へ。

2007年 ワークショップ2B21期参加。

2018年4月 エプソンイメージングギャラリー エプサイトにて「△」写真展開催。

2018年4月より神戸に住まいを移し活動中。

 

 

 

毎週ちょっと風変わりな写真の話をしているが、変になりすぎないように気をつけないと

H2期の2回目は「解像度と抽象度」について。

 
このことは以前日記にもちょっと書いた。
 
絵画における解像度の時代変化、音楽の解像度、西洋と日本の解像度の認識の違いなど。
グルスキーとルフの違いは解像度の考え方の違いとも見える。ふたりの先生であるベッヒャーは「機能によって作られた形」というものを集めて分節化している。
ジョンケージの「4分33秒」はもっとも解像度の低い音楽。これがなぜ音楽と呼べるのか?オペラは解像度というより情報量が多い。能は情報量が少ない。ジョンレノンの「イマジン」は解像度を低くして抽象度を上げようという歌詞。
 
写真における解像度神話は崩れはじめている。70年代に多くの写真家が荒れた表現をしていたのは既存の写真への抵抗もあるが、雑誌印刷のクオリティの低さにも要因があるかもしれない。
 
現代の写真家は解像度をどこに設定するかを考えなくてはならない。ということを写真や動画を見ながら説明していく。
 
その後は宿題に出しておいた「右」の写真。もっとも定義が難しいという右を写真で考える。これがひとりひとり違っていて面白い。
 
次週は実際にカメラを使っての撮影実習。「物が物らしく見える」とはどんな状態なのか?光とアングルで物の形を捉える。

H 夜の講座

今週28日土曜日と8月4日土曜日の17時から連続美術史講座の1回目「ルネサンスの時代」です。両日とも同じ内容です。

 

場所 

阿佐ヶ谷H  メールにて住所と地図を送ります

 

講師

渡部さとる

 

日時 

A 7月28日土曜日  17時から19時

B 8月4日 土曜日 17時から19時

 

講座料 

単発参加 4000円

全8回前払いの場合は27000円

 

19時から食事会に参加の場合はプラス2000円の計6000円になります。

 

申し込み

workshop2b10th@yahoo.co.jp

もしくはFacebookメッセージ

希望のかたはA日程かB日程か、食事希望の方は、アレルギーのある食べ物や苦手なものをお知らせください。

 

初回内容

ルネサンスは時代をわける大きな転換点で、中世と近世をつなぐエキサイティングな出来事です。ルネサンスを知ることは経済、宗教、美術を知る上でとても重要です。ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロと華やかでとにかく面白い時代です。なぜそんなにルネサンスは華やかになったのか?そこに時代を変えた何かが存在します。

 

全講座予定

1回目 「A」7月28日(土)/「B」8月4日(土)

ルネサンスってなんだ?

商業の発展とキリスト教の世界観

 

2回目 「A」8月11日(土)/「B」8月18日(土)

フランス革命が変えた世界観

産業革命とブルジョワの誕生が生んだ絵画の変革

 

3回目 「A」8月25日(土)都合によりおやすみ/「B」9月1日(土)

世界大戦がすべてを変えた

ダダイズムがもたらしたもの

 

4回目 「A」9月8日(土)/「B」9月15日(土)

アメリカファーストの時代へ

なぜアートはパリからニューヨークへ移ったぼか

 

5回目 「A」9月22日(土)/「B」10月6日(土)

1950弁台から日本にだって現代アートはあった

独自の進化をつぃていく日本のアート

 

6回目 「A」10月13日(土)/「B」10月20日(土)

コンセプチュアルアートってなんだ?

社会とつながりをもつ現在のアート事情

 

7回目 「A」10月27日(土)/「B」11月3日(土)

思想と哲学 

難しいとおもってりいる人が多いけれど、かなり楽しい思想と哲学の世界

 

8回目 「A」11月10日(土)/「B」11月17日(土)

宗教

宗教とアートは密接に繋がっています

39度、外は経験したことのない暑さだ

週末からHの2期が始まった。

 

ワークショップを始めて15年がたつ。

一番大変なのは何かというと間違いなく人集め。

 

来てもらえないと成立できない。僕ひとりでがんばりますというわけにはいかない。H2期の募集を初めて1週間、ひとりもエントリーがなかった。

 

ああ、もう誰も来ないかもしれない。思えば15年続いたというのも奇跡だったんだな、道半ばではあるが、需要がないのであればいたしかたない。

 

もともと教えて欲しいという需要があって始めたわけではなく「こうやって考えると露出計がなくとも写真を撮ることができますよ。ライカやローライだって使えるようになるから」というおせっかいから始まったのだ。

 

それが回数を重ねるうちに徐々に内容も変わっていき、ついに今年ビルの建て壊しにより、暗室がなくなり、4月からは、まったく新しいことを始めることにした。

Hでは写真にまつわる色々な経験をしてもらいたい。だから撮ることと考えることが同じくらいの比重になっている。

 

そんなこと誰も求めていないかもしれないけど、僕がやりたくてしょうがないのだ。マーケティングというものをまったく無視して募集しているのだから、人が集まるわけがないか。

 

でも募集後10日目くらいから、ひとり、ふたり、と応募があって驚いたことに最終的には初回お試しのかたも含めて15人も集まった。

 

ひとりでも、ふたりでもやるつもりではいたが、こういうものはある程度人がいた方が面白くなる。暑い中、多くのひとに来てもらえて嬉しかった。

 

講座が終わったあと皆で昼ごはんを食べた。そこでは今日の講義の内容についておしゃべりを続けた。

 

おしゃべりとは、会話を続けることが一番大事で、そのためには結論を出さないことが肝要だ。結論を出さない限り延々と会話は続けることができる。写真の話は音楽との関係性になり、経済へと移る。それがまた写真の話に戻る堂々巡りの会話。皆が馴染んでくれば僕がいなくても話すことができるようになる。

 

性別も職業も年齢も経験も異なった人の間で会話をすることはとても刺激的だ。

 

僕は写真にまつわる話をしている時が一番幸せなのだとつくづく思う。

 

 

 

 

 

根が生えたようにソファに座っている

用がなければ外には出ないと固く決意するほどの猛暑。

 

これはいつまで続くんだろうと皆思っているはず。

 

昨年も7月は猛烈な暑さだったが、8月に入って急に失速するように涼しくなった。桜も早く咲くようになったし季節が前倒しでやってくる。

 

新しい本の準備として、先週編集者が常々疑問に思っていることを僕に質問する機会があった。3時間休みなしで質問に答えていくと、もう自分が何を言っているのか制御できないというか、勝手に口が動いている。イタコ状態、インタビューハイだ(笑)

 

それを編集者が全部文字起こしをしてくれた。3万5千文字あった。それを音声読み上げソフトにかけて聞く。合成音が流れてくるから自分が話したとは思えない。

 

これを月に2回やれば3ヶ月でまとまった分量になる。最初に決めて書き出すというより、話した内容からまとまりを見つけるスタイルは僕が写真をまとめるときと同じ。何が出来上がるかはできてみないとわからない。

 

同じように先月銀座ニコンサロンで千葉桜さんのトークショーのお相手をしたのだが、その文字起こしが届いた。

http://yo-chibazakura.com/home/wp-content/uploads/2018/03/watanabe-chibazakura-talk.pdf

 

これも音声読み上げソフトにかけて聞いてみた。読むとへんな感じがするところも音声だと気にならない。これも初めて聞く話に思えてくる。彼の言ったことは覚えているが、自分の部分は「へー、そうなんだ」と他人の話のようだ。機械の合成音のため「僕が」という部分が消えてなくなるのだ。

 

読み上げソフトというテクノロジーのおかげで、読んでいたときとテキストの捉え方が変わってくるのは面白い。

 

 

 

朝、稲庭うどんとゆで卵

H1期は無事終了。来週から2期が始まる。1回目お試しだけでもどうぞ。写真の考えかたが変わりますよ。

 

1期最終回の宿題は動画。カメラに動画機能がついてひさしいのに、ほとんどの人がちゃんと使ったことがない。

 

動画と静止画の違いはな、動画には始点と終点があるけれど写真にはない。これが一番の違いだと思う。

 

 

 

『旅するカメラ』(エイ出版社社)はシリーズとして、これまで4冊出している。4が出たのは2011年だからずいぶんと前になる。

 

昨年ついに1から4まで、すべて売りきってしまって出版社からも在庫がなくなってしまった。出版社から文庫本のカテゴリーがなくなってしまったので、増刷はない。

 

売り切れたのはありがたいけど売るものがなくなるのは困る。

 

昨年もう一度本を出したくて続編を20本ほど書いてみたのだが、自分で読んでも面白くない。40代までのカメラや写真への無邪気さがすでに自分の中になかったのだ。

 

『旅するカメラ』は「私」が経験したということにもとづいているから、単純に経験の質が面白さに直結する。心が動けば動くほど書くもののも面白くなる。

 

残念ながらそれが少なくなってきた。もうカメラ屋さんに入って興奮できなくなったのだ。

 

もちろん今でも心が動くことはあるけれど『旅するカメラ』の世界ではなくなった。あれは40代だから書けたのだというのがわかった。もう本を出すのは難しいかと思えてきた。

 

ところがある編集者から「渡部さんの写真の話は面白いからずっと本を書いてもらいたいと思っているんですが」と言われた。

 

それ、早く言ってよー

 

年内出版をめどに今月から作業が始まった。渡部がここ10年で経験した写真の話に基づく。「旅するカメラ』と基本は同じ。

 

こんなことがあった、こんなことをあそこではやっていた、それはこんなことが元になってkるようだ。

 

あくまで主観。全体を見渡して書かずに局地局地のつながりを見つけていく写真の話。今は編集者が疑問に思う思っていることに僕が答えていくのだが、やっていて面白い。編集者も面白いと感じているようだ。

 

いったいどんな本になるかはまだわからない。今回は編集者の力に頼るところが大きい。

 

そうだ、タイトルをなんにしようか。

 

今年の後半戦もいろいろあるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年前半はいろいろあったな。

これは書くべきかちょっとなやんだんだけれど。

 

最近、とくに肩を痛めて治ったあたりから、視力が低下してしまった。眼科で診てもらったら網膜の問題だった。

 

手術もできないし、現時点でではどうしようもない。将来どうなるかはあえて聞かなかった。聞いても仕方がないから。

 

いい薬とか最新医療とか期待してたんだけどね。

 

印刷物は拡大鏡なしではほとんど読めない。パソコンの文字もかなり大きくないと認識しづらい。そのため誤字脱字が多くなってしまい、迷惑をかけることも多くなってきた。

 

まだ生活は問題なくできているし、まったく文字が読めないわけではない。でも本好きで、本屋さんの上か図書館の隣に住むことが夢だった自分としては文字が読めないのはもどかしい。

 

幸いiPadには読み上げアプリやKindleにも音声サービスがあるからありがたい。

 

 

昨日書いた理不尽ろはそういうこと。43歳に突然両目に問題がおきてから15年。右目はもう視力は出ていないが、左目は小康状態が続いていただけに、がっかりしたのだ。

 

でも同世代ならだれでも理不尽を抱えて生きてるわけだ。なんでもできることと、幸せに生きることとは同じじゃない。

 

大きなものをひとつ手放し、別なものを手に入れる。行って来いだ。

 

 

 

来週からH2期は始まります。初回のみのお試しも歓迎します。お問い合わせください。workshop2b10th@yahoo.co.jp

理不尽だなあ、と思うことがある。我が身のことなのに、なすすべもないし非があるわけでもなかったりすると、どうしようもない。

 

神話や民話の中には結構理不尽な物語が多い。旧約聖書のカインとアベルやヨブ記とかを読んだときも釈然としなかった。なんで神様はこんなことをするんだろ。

 

でもあるとき「あれ、これって世の中は理不尽なことがおきるんだよ」と教えているんじゃないかと気がついた。

 

創世記から世の中には理不尽なことがうずまいていたのだ、自分だけおきるわけではない。昔の人はそれを物語として語り継いできたのだ。

 

なんて想えるようになってからは「まあ、いろいろあるよね」と思えてきた。

 

考えてみればうまくいっている時を基準にしていたのだな。

 

 

東京は雨

 

Facebookのタイムラインに屋久島での合宿ワークショップに参加してくれたかたのアルルフォトフェスティバル挑戦日記が上がってくる。

 

11年前の記憶が蘇ってくきて、ついつい熱がはいる。2007年にデジカメウォッチに書いたアルルのレポートはその後アルルのポートフォリオレビューを受ける人に読んでもらえた。今では情報も古くなってきたけれど、あの浮かれた感じは変わることはない。

https://dc.watch.impress.co.jp/cda/special/2007/07/17/6654.html

 

アルル行ったからといってどうなるわけでもないが、行ったことのある人は、あの日差しの強さを思い出す。アルルに行く理由はそれで十分なのだ。

 

ポートフォリオレビューを受けたときの期待感と緊張感と挫折感。運というものがあるんじゃないかとかと思えたり、嫉妬心やら劣等感、そそして受け入れてもらえたときの幸福感。アルルでは感情全部が出てくる。不思議な場所だ。

 

東京は雨。アルルの日差しが懐かしい。