右手がまったく動かず、左手で文字を打っているしまつ

3日たって痛みが収まると思いきや、夜中に激痛で目がさめるありさま。鎮痛剤が手放せない。こんなに体が痛むのはひさしぶり。

 

数年に一度は怪我をしているな。当然ながら思いがけずだ。というかあとで思うと仕組まれているんじゃないかと疑ってしまうくらい「なるべくしてなる」。

 

これは勝手な思い込みだが、僕の場合怪我をしたあとにいい方向に局面が変わる。怪我が大きいと変化 も大きい気がする。

 

今回これだけ痛いんだから、相当いいことがまってるわけだ(笑)

 

勤めて楽観的に。でも本当にそうなのだ。

 

この頃「直感」ということを考えている。理解を積み重ねて判断するんじゃなくて、理解の前の判断。一目見て「これはいい」って思うのは直感が働いているということだ。直感というと根拠レスというネガティブな意味合いを含んでいる場合もあるが、今の時代にはとても重要だと思う。

 

理解してから判断では遅い場合が多いから、パッと決める。

 

近頃写真を見ても「これはいい」と直感で判断できるようになった。背景やテキストを見なくてもいい。

 

この直感が養われた理由のひとつにプリントを買い続けたことが大きいように思える。生活になんの影響もないプリントを「これはいい」と決断して買うのは美意識を高めてくれる訓練になるんじゃないか。

 

お金がたくさんあるから買えるかというと、そういうものでもない。決断できなければ買えない。お金が少なくとも買えるものはある。損得を超えた行為でものを買う経験だ。

 

だから「これは数年後に価値が上がるか」という損得勘定を基準に買おうとすると買えなくなる。「これは自分にとっていいものだ」という自信がないと買えない。

 

でも体が痛いと直感力も弱まるのがよくわかる。体で感じるわけだから。まずはニュートラルの状態に戻さないと。

 

 

 

この痛みは3週間コースだろうなあ

右肩の可動範囲が狭いので病院で教えてもらったトレーニングをしていたら、肩に激痛が走るようになってしまった。

 

やり過ぎた。手加減が分からずやればやるほどいいと無理をしたのだった。よかれと思ってが、裏目に出るやつ。

 

 

上腕二頭筋の炎症と診断される。じっとしていてもズキズキするし、肘まで痛む気がしてくる。

 

痛いと食べ物が美味しくないことがわかった。それどころじゃないっていう感じだ。たかだか肩の痛みでも影響が大きいというのがわかる。

 

やり過ぎたということは、体のセンサーがうまく作動してないんだろうな。

 

右肩が痛いと箸が使えない。ためしに左手でやってみたらけっこう使えることがわかった。しばらく箸は左手を使おうと思う。というか使わざるを得ない状況だ。

 

今年のマイブームは身体だからちょうどいい。左手をもっと使おうという6月だ。

釣りたての鯵をたくさんもらったので酢でしめた刺身となめろうを作った

「Optimism is wil(オプティミズム イズ ウィル)」という言葉があるそうだ。オプティミズムは楽観で、この場合のウィルは未来形助動詞ではなくて名詞で意思という意味になる。

 

直訳すると「楽観は意思」。これには「Pessimism is nature(ペシミズム イズ ネイチャー)」という対義語がある。「悲観は生来のもの」だろうか。

 

「楽観は意思」というのはいいな。ほっとくと悲観的になるから勤めて楽観的になろうということだ。

 

働きだしてから給料という形でお金を稼いだのは3年しかない。あとはずっと定職につかず、その場その場で30年やってきた。フリーランスになって給料のありがたみがよくわかった。

 

サラリーマン時代より何倍も収入があった時期もあったし、さっぱりのときもあった。計画性を持って暮らしたことなどない。

 

フリーランスは悲観的になろうと思えばいくらでもなれる。一年後のことすらわからないし、体を壊したら即アウト。景気にも大きく左右される。

 

これまで生きてこれたのはラッキーとしか言いようがない。

 

冬青の高橋社長に会うと「渡部さんはいつも明るいですよねえ」とよく言われる。というか半ば呆れられている。僕の置かれている経済的状況がよくわかっているゆえの心配なのだが、僕からは一向にそれが見えないというのだ。

 

「生活が苦しくて、なんて言ってたら誰もよりつかないでしょ。僕の仕事は人と会ってなんぼなんだから。いつも楽しいことだけ考えてますよ」と答えている。

 

もともと写真は楽しいからね。いい仕事だなと自分でも思う。

 

悲観というのは予測からおきる。まだ起こっていないことを先まりして心配してもしょうがない。フリーランスなんだから。2年前から先の心配はしないことにした。

 

意思を持って楽観的になることに決めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーグルをつけた観客がこちらを見ているのはSF的だった

金曜日に千葉桜洋写真展「指先の羅針盤」のギャラリートークのお相手に銀座ニコンサロンに向かった。

 

10人ちょっとくらいかな、などと思っていたら会場は超満員で、立ち見まで出てる。しかも前方には田中長徳さんが座っているではないか。ちょっと焦った。

 

千葉桜さんは耳が聞こえないので、手話通訳者が2名、バックヤードでは音声を文字起こしするかたがいて、その文字列は大型スクリーンにリアルタイムで映し出されるようになっていた。その他にも文字が映像としてゴールに映し出されるデバイスも希望者に配られていた。

 

いつものトークショーの雰囲気とは違う。初めてニコンサロンに足を運んだような方が多いような感じだった。

 

文字中継のおかげで千葉桜さんとの話はかなりスムーズにできた。始まる前に彼は「トークショーなんて初めてだから、渡部さんにしがみつきます」と言っていたが、なかなかどうして僕の質問に堂々と答えていた。

 

参加者の質問がよくて、トークショーは盛り上がりのうちに終わることができた。

 

僕が終始言っていたのが「耳の聞こえない人が撮った自閉症の息子さんの写真というフィルターで見ないでくださいね。そういったバイアスは写真を見るときにじゃまになります。作者の意図なんてわからなくていいんですよ」

 

障害者の写真という見かたをしなくていいのだ。

 

千葉桜さんもセレクトでは編集を手伝ってもらったカロタイプの森下さんと「うまく写っているもの、自意識が出過ぎているものははずした」と言っていた。

 

伝えたいものがあって、写真を使ってそれを表現していると思いがちだが、そうでない場合もあるし、むしろその方が面白かったりする。コントロール外の偶然を期待することが多い。

 

今回の写真展の中で時折風景写真が差し込まれているのだが、とても魅力的だ。それは息子と一緒に歩いているときに彼が立ち止まってじっと見ていた風景なのだ。何か特別なものは写っていない。なぜ立ち止まっているのか千葉桜さんにはわからない。

 

それを「彼は何を見ているのか」と同じ方向を向いて写真を撮る。つまり千葉桜さんは「わからない」ものを撮っていることになる。

 

わからないけれど、言葉にはできないけど面白いと思えるのは写真が持つ大きな魅力なのだと思う。

 

銀座ニコンサロンでの写真展は明日火曜日15時まで。

 

 

 

 

 

 

指先の羅針盤

ロラン・バルトの「明るい部屋」という本は写真関係者なら一度は聞いたことのあるはず。

 

そのバルトが言語についても別の本で熱心に書いていて、言葉にはラング、スティル、エクリチュールという3層があると言っている。

 

簡単に言うとラングは日本語や英語といった国語のこと。これを使うことで世界を認識し得る。スティルは発音の仕方や書きかたの癖と言った個人的な偏りのこと。

 

最後のエクリチュールは社会的に規定された言葉の使い方。少年が大きくなって、自分のことを「ボク」と言っていたのに「オレ」と言うようになると、それまで母親を「ママ」と呼んでいたのに「かーちゃん」とか「おふくろ」と「オレ」に合わせた言葉づかいになり、接しかたも変わる。甘えづらくなるのだ。

 

不良仲間に入り仲間内の言葉を使うようになると、思考も態度もそのようになる。言葉の運用は表情、感情表現、服装、髪型、身のこなし、生活習慣、さらには政治イデオロギー、信教、死生観、宇宙観にいたるまでが言葉に影響される。

 

バルトはそういったエクリチュールから離れた文章がいいと言っている。それを「白のエクリチュールまたは透明のエクリチュール」と呼び、最高の文章として芭蕉の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」をあげている。

 

この文章には作者の意図や意思は何も入っておらず、ただ目の前のものを写生しただけ。社会的運用から離れているゆえに、まったく古びることなく現代まで語り続けられている。

 

前置きが長くなったが、今週銀座ニコンサロンで行われている千葉桜洋「指先の羅針盤」にその「透明のエクリチュール」を感じたのだ。

 

「何も言わない、何も足さない、何も引かない」

 

静かなモノクロプリントが並んでいる。コンセプトもストーリーも作者の意図や被写体の背景とかも見る上でまったく必要がない。

 

ただ見るということだけでいい。ひとりで見て、その後にだれかに話したくなる写真だ。

 

今月29日まで。

 

写真集も同時発売している。

http://yo-chibazakura.com/wander-in-the-silence/

 

おいしかったのは屋久鹿のバルサミコソース焼きと鯖の燻製サラダ

3日間の合宿型写真ワークショップその名も「朝から晩まで」。

 

屋久島で文字通り朝から晩まで写真漬け。朝起きて午前中は撮影実習、昼ごはんを食べると午後からびっしり座学、夜ご飯が終わると深夜まで雑談。いきなり夜の撮影実習となる。

 

屋久島なのに屋久島らしいところを撮りにいくわけでもなく、ひたすら写真にまつわることを考え続ける。参加者は鹿児島の人限定で募集し19歳の学生からベテランのカメラマンまで5名が集まった。その他に屋久島の方や東京からの人も。

 

単発のワークショップで呼んでもらうことは多いが、合宿型は初めてだった。「同じ釜の飯を食う」というが、ご飯を一緒に食べていると、いつのまにか一体感が出てくるから不思議。

 

例の「右とは何か?」という答えのない問いを出しても、臆することなくどんどん会話が広がっていく。ゲームが好きな若者の話が、現代アートのロジックに似ていることがわかるし、医学療法師が教えてくれる認知の仕組みが写真を見ることにつながっていく。うまく話が回れば僕は黙って相槌をうって聞いていればいい。やっていて気持ちがよかった。

 

今回のキーワードは「コモディティ、シンギュラリティ、AI、面、点、具象、抽象、はがす、レイヤー、概念、ダイバーシティ」など。普通の写真のワークショップでは出てこないものばかりだと思う。

 

10年間をかけて蓄積したものすべてに近いものを伝えた。これは僕が10年前に聞きたかった話だ。これを消化するには年単位だと思うが、写真の接し方がより楽しい方向に変わっていくと思う。

 

使った資料はすべて自由にダウンロードして使えるようにとパワーポイントデータを公開することにした。ここに自分たちで新たなものを追加して近くの人に伝えてもらえればいい。

 

ベースは僕のものを使ってもらい、それがどんどん更新される。いつの日かそれが僕の手元に戻ってくるときは、より強固なものになっているはずだ。

 

屋久島を出る時間になって雨がやみ、晴れ間が見えた。そろそろ空港に行かないと。今回も内容てんこ盛りの1週間だった。

 

 

 

 

 

 

今日のお宿は2段ベッドのドミトリー

屋久島4日目。

 

初めての屋久島が2014年。それから6回も来ている。米沢に帰るよりもずっと多いくらいだ。

 

屋久島国際写真祭(YPF)に2度参加していることから島に知り合いができて、妻も娘もお世話になっている。

 

前回は娘と、今回は妻と来ている。メインは土曜日から始まる3泊4日の合宿ワークショップなのだが火曜日から前乗りして島をたのしむことにした。

 

屋久島はご飯がおいしい。移住者が多いせいか味に多様性があって、東京でも飲めないような自家焙煎コーヒーもあるしレストランも居酒屋も好きなお店がたくさんある。

 

それに山に行くのもおいしくお弁当を食べるため。山の中で食べる笹にまかれたおむすびは塩味がきいていて最高だ。で、そのあとは共同温泉へ。十分お腹が空いてから夜ご飯を食べに町に出る。なので宿は素泊まり。

 

妻は今日朝一の船で鹿児島の友人のところへ行ったので、僕は一日中なにも用事がない。海沿いのカフェに行ったら11時からであと40分くらいある。

 

なので横の小道のカジュマルの樹の下の石段に座ってこれを書いている。

 

それはそれで風が通りぬけて気持ちがいい。今日もいい天気のようだ。

 

笹巻きをいただく。初夏だなあ。

同世代の写真家と今年の木村伊兵衛賞の話になった。

 

「受賞展見に行ったんだけどさ、床に敷いてある写真踏めなくて。ありゃどうかと思うよ。いただけないね。あんなの写真じゃないよ」

 

バライタ印画紙を踏むことはできないというので「じゃあRCペーパーは?」と聞いたら「バライタよりもいいかも」

 

「インクジェットだったら?」と聞いたら「ちょっと抵抗感は減る」という。どっちも変わりはないだろうと言うと「バライタは踐めない。いや踏んじゃいけないんだ」。

 

そういえば昨年のロバート・フランク展では、展示していたものを最後に全て廃棄するというパフォーマンスをやっていたな。あの時も廃棄することに抵抗感があるっていう同世代がいた。

 

この感覚ってなんだろうと考えてみた。我々の世代特有の「写真におけるアウラ性への信仰」みたいなものがあるんじゃないかと思えてくる。

 

アウラっていうのは「いまここにあるもの」という意味で、存在の絶対性を指す。「あの人にはオーラがある」っていう時のオーラも、もともと発音は一緒らしいから意味も似ているんだろう。

 

つまりプリントに「オリジナルプリント」という名前をつけて複製可能なメディアなのにユニーク性を持たせたのだ。

 

ここで言うユニークとはお面白いという意味じゃなくて「単一の」という意味。ネガ(データ)lからプリントは物理的には無限に近く作れてしまうわけだが、そこに1枚であることの意味づけをするのだ。

 

70年代の写真のありかたは、複製可能であることをいかに利用するかであり、プリントにユニーク性をつけて販売しようなんて考えられていなかった。

 

当時の自主ギャラリーの展示ではプリントは壁に無造作にピンで止められていて、床にもばらまかれていたそうだ。「写真なんていくらでも焼き直しが可能なんだから」ということだ。

 

それがバブル期の前後に「プリントは売れるもの」になった。丹念にプリントされたものは数百年保存が可能だとギャラリーが写真に商品価値をつけ扱うようになる。

 

そんな中を生きてきた我々の世代は「バライタプリントは神聖なもの」っていう思い込みが出来上がっている。

 

僕も同じイメージならインクジェットプリントよりもバライタプリントのほうを買ってしまう。自分のプリントもインクジェットは簡単に捨てられるがバライタプリントは捨てるのをかなり躊躇する。

 

バライタプリントは神聖なもの、それはただの思い込み。

 

でも我々の世代は人生の多くをその思い込みで生きてきたわけだから、時代が変わったからといって、はいそうですかと変えることは難しいんだろう。

 

 「こんなの写真じゃない」って言葉を繰り返しながら写真は新しくなっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妙に消化がいいというか、腹がへる

今までは「2Bに行ってくる」と江古田に行けば、ちょっとは集中して何かができたり、気分転換ができたのだが、引っ越してからは家にいることが多くなった。

 

積極的に外に出ないと、ずっとソファでウクレレを弾いてしまうことになる。昨日はふたつの展示に行って有楽町で映画を見た。

 

「ザ・スクエア」。現代アートミュージアムのキュレーターが主人公のフランス映画。カンヌ映画祭のグランプリだというので見たのだがちょっと苦手な部類だった。ずっと居心地が悪い感じで見ていた。

 

ただ現代アートが抱えている矛盾のようなものが垣間見えて、そこは面白いというか、そうだよね、というのはあった。

 

今日は海外作家の写真展を企画している友人がプリントの相談にやってきた。彼女は「近頃の海外の写真家ってテキストつけない人が増えてきて説明文がつけられなくて困る」と言っていた。

 

ちょっと前まではストーリーがあって、説明しやすいものがほとんどだったのに、最近はそっけないほどストーリーやテキストがないと言うのだ。

 

そこで「写真にストーリーは必要か?」という話になった。

 

ストーリーがあるとわかりやすい、共感が得られやすいというのは作家には明確な意図があるという前提があるわけだが、その前提が崩れているとするとどうなるだろうか。

 

実際に最近の作家のインタビューを見ていると「明確な意図はない」というのが増えている。ストーリーをつけることに対して積極的に離れようとしているかのようだ。

 

ちょっと前まで「作家は作品を発表する場合、伝えたいことが明確になっていなければならない」と言われてきたけれど「わからない」ことを認めようという動きになってきたように見える。

 

確かに伝えたいことが明確にあるならテキストだけでもいいわけだ。そのほうがむしろ誤解は少ないだろう。

 

写真の存在価値を「言葉の外にで出よう」と考えたとする。

 

そうなると言語では説明のつかないことになる。

 

写真はもう情報を伝えるものから「わからない」ものを扱うものへと変わってきてるのかもしれない。

 

帰り際彼女は「ちょっとすっきりした。ずっとモヤモヤしてたから」と言っていたが、僕はずっとモヤモヤしっぱなしなのだよ。

 

 

 

 

 

 

毎日カレーを食べ続けている

いい天気。風も気持ちよくてガレージに机を出してご飯を食べる。

 

この時期だけの楽しみで、そのために車をうっぱらってしまったほどだ。車よりご飯優先。まだカメラマンなんだけどね。

 

GW中ずっとウクレレを弾いていて、ときどきネコをかまって、合間に仕事して、またウクレレ弾いてをくり返してている。

 

「お前はキリギリスか!」としかられそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

高ければいいってもんでもないし、低けりゃいいってもんでもない

GW前半の目玉は、グラム1600円の牛肉ですき焼きをして、暖炉の前でウクレレを弾くことだった。

 

暖炉っていい。究極の欲しいものだ。違うな、暖炉が欲しいのじゃなくて、暖炉がある暮らしが欲しいってことだ。

 

 

 

しばらく前から、考えるときに「レイヤー」というキーワードを使っている。

 

ものごとを、より細かく分解して把握しようとする行為を解像度を上げると言い、より曖昧にしていくことを抽象度を上げると言う。

 

個人を認識するには解像度を上げていくと、ひとりひとりが別物であることが分かる。性別、国籍、年齢、名前、職業といった具合により細かい情報の集積が個人を特定するには便利だ。

 

これには必ず言語がともない論理化という手順を踏むことになる。西洋が追求してきた考えかただ。

 

反対に抽象度を上げると性別、国籍、年齢、名前、職業といった情報が徐々に曖昧になり、認識は人間となり、生物となり、地球の構成物となり、宇宙になって、最終的には存在となる。

 

ジョン・レノンの「イマジン」は抽象度を上げて考えましょうという歌だと思うし、ブッダの思想も同じだ。ということで東洋思想は抽象度を上げるということで説明できると思う。

 

解像度の問題は写真をやる全ての人にとっての大問題だ。僕はある時期まで解像度は高い方が「優れている」と思っていた。フィルム時代はフォーマットを大きくすることや、解像度の高いレンズを使うことが自分にとっての正義だった。35ミリより、中判、シノゴ、バイテンのほうがよくて、ツアイスやシュナイダーを好んでつかっていた。

 

最初に買った富士フィルムのデジタルカメの画素数は200万画素だった。次にキヤノンの600万画素一眼レフを買い、それが800万、1200万、2200万と買うたびに解像度は上がっていった。

 

その頃はより細かく描写することで、より本質に近づける気がしていたのだと思うし、商業的には必要な行為だった。

 

しかし、2000万画素を超えたあたりで急速に高画質への欲求は薄れてきた。4000万画素のカメラが発売されてもまったく興味がわかない。商業的にはもはや必要のない画素数の時代となったし、僕の思考も解像度を上げるほうから抽象度を上げるほうに向かってきた。

 

世の中でもチェキが流行り、「写ルンです」を使う人が増えてきた。デジタルカメラのエフェクトも解像度を下げる行為だ。ボケもそう。

 

ドイツのアンドレアス・グルスキーはレイヤーを平面的に並べるステッチング技術で解像度を大きく高める表現をしてきた。同世代のトーマス・ルフはレイヤーを積み重ねることで解像度を下げて世界を表現できないか考えているように思う。

 

2000年代はグルスキーが好きだったが、今はルフのほうががいい。ルフの解像度の捉え方が時代にあっているような気がしている。

 

もっとも高額で落札された写真作品はグルスキーの「ライン川2」だが、あの写真はそれまでの彼の作品よりも解像度は低く、抽象度が高いことからも世の中の動きが見えてくる気がする。

 

僕はものごとを考えるときに(写真を撮るときも同じ)どの解像度にするかということから始めている。解像度は高め過ぎると生きづらくなるし、抽象度はあげすぎるとわけがわからなくなる。どこの階層にするか、どの階層で生きていくか、ということに今の僕の興味がある。