里芋の煮物、世にも不思議な味のチンゲンサイの炒め物。

今年も夏はアルルのフェスティバルに行くつもりで昨年末には宿を予約していた。

バカンス期間中のアルルは、とにかく食事代がばかにならばい。ふたりで昼食を取ると平気で4000円になる。夜ならもっとする。そんな生活を1週間も続けるわけにはいかないので、キッチン付きの宿がいい。ワイン買ってチーズ買ってパスタでも作れば十分満足でみる。

そう思ってアルル駅近くのプール付きの豪華な一軒家を借りて10人くらいで行くつもりにしていた。ところが先週ホテル側から一方的なキャンセルを言い渡された。大手予約サイトからなのに、理由は明らかになっていない。

代替えホテルの提案はあったのだが、いずれもアルル中心部から離れている。残念ながら今年のアルルは見送りとなった。

でもあまりがっかりしていない。こういう展開の時は、たいてい次の行動が思いがけずうまくいくことが多いから。

さあ次の目的地をどこにしようかと考えていたら、ひとつだけ思い浮かんだ場所がある。

そうだ米沢に帰ろう。

というわけで来週帰ることにした。3年ぶりになるかな。

 

 

「すがきや」のインスタント麺がおいしい。

先週土曜日をもって「2Bとマンデリン」は無事終了。寒い中お越しいただいた皆様ありがとうございました。皆さんにプリントを買っていただいたおかげで、今年一年活動する資金ができました。とりあえずフィルムと印画紙仕入れないと。来年も1月にやることになっています。

3週間ずっと会場にいた。最初の1週間が大変で、半分を過ぎる頃に慣れてきて、あっという間に終わる感じ。平日の午後3時から5時はさっぱり人が来ないから会場が寒く感じる。

そんなときはインスタント味噌汁を作ってお弁当タイム。しみじみする。

数年前からよほどのことがないかぎり会場にいることにきめた。作者がいないほうが見やすいこともあるとは知ってはいるが、仕事だと思って朝からずっと座っているのだ。

冬青はメーカー系のギャラリーとは違って、見ず知らずのかたが来ることは少ない。ほとんどが顔見知り。もしくは何度か冬青に足を運んでくれているかただ。

なのでプリントを買ってくれるのも僕のことを知っている人ということになる。しかし毎回僕のことをまったく知らぬかたがプリントを買ってくださることがあって驚く。

今回も僕がいない土曜日の午前中に来てくれた、つまり僕と声も交わしていないかたが買ってくれた。しかも、初めて写真展なるものをを見にきて、写真が販売目的で展示されていることを知って、じゃあ買ってみようか、ということで購入されたとスタッフから聞いてちょっと驚いた。


今回の展示ではやはりノスタルジーのことが話題になった。どのようにノスタルジーを消化するかが数年来の問題となっているので、たくさんの人と話ができたのはありがたかった。

なんとなく次作の形が見えてきた。ノスタルジーを引っ張りながら今年も写真を撮っていくことになりそうだ。

 

 

ごっこ遊び

写真展を毎年やっているのだけれど、3年前くらいから「今回のわかんないです」と言われることがある。

昨日も「渡部さんの写真は安心してみていられない。ちょっと緊張する」と言われてしまった。緊張させるつもりは無いのだが、どうやら「da.gasita」的世界を期待されているところがあるみたいだ。

「da.gasita」と言えばモノクロで正方形でグラデーションがあるプリント。ところが近頃はどんどん素っ気なくなってきている。「渡部らしい」感じからは離れてきていることは承知しているんだけどね。

今年で57歳、身体がずっとそのままでいられないように、考え方や感じ方もまた同じというわけにはいかない。だから写真も変わってきて当然でしょ。「自分らしさ」などということはまったく考えていない。

「この間言ってたことと違うじゃないですかあ」
「そんな昔のことなんて覚えてない」

昔から言うことがコロコロ変わることで有名(笑)

近頃とみに「目的をしっかりもって」という考え方から積極的に離れようと思っている。なんとなくではなく、積極的にグズグズ。じゃないとすぐにかっちり考えてしまうから。自分らしさなんて中心に置かない、適当で曖昧。

あたらしく始めるワークショップHも同じように中心をおかず、小さい構造のものをたくさんやろうと思っている。

キーワードは「ごっこ遊び」本格的じゃなく、遊びがある構造。何かを中心に据えず、並列的に置く。小さいからうまくいかなかったらやめればいいし、うまくいったら形を少しづつ変えて続けていく。失敗できる可能性を残すことができるのは精神的にいいんじゃないかと思う。

次のワークショップは「ごっこ遊び」だと会う人ごとに説明している。「ごっこ」なら誰でも参加できるし、教えることもできるはず。「喫茶店ごっこ」「英会話ごっこ」「ウクレレごっこ」

もともと2Bも「ワークショップごっこ」からスタートしているようなものだ。やっているうちに形ができてきた。ちょっとそれが固まりかけていたので、解体して再びゆるく構築し直すのがHということになる。

そういえば昔遊ぶときは「◯◯したいの、この指とーまれ」って掛け声があったよなあ。誰でもよくて、何人でもいい。遊びのルールはその場その場で決めていく。小さい子もちゃんと仲間にいれてあげる。

あれって本質をついてる気がするんだよな。

 

本日水曜日は21時まで開いています。本にまつわるギャラリートークあり。予約不要。前回までと本の種類を変えます。

ブログ投稿2000日目なんだそうだ。

書き始めたのが2002年の12月からだから丸15年。その前に2年間サイト上でアップしていたから今年で18年目。

昔の投稿を見ると「若いなあ」という気がする。18年で随分と生活も考えかたも変わってきた。

東大の講座もほぼ終わり、昨夜終了論文(ほぼ読み物だが)を書き上げた。今日プリントアウトしたものを特定指定郵便で送れば、あとは来月にあるポスタープレゼンテーションで全て終了。修了証が頂けるそうだが何の役にたつかは不明(笑)

論文には丸々1か月かかったから開放感がある。10年後くらいに日記を見返すと「あのとき東大に通ってたなあ、若いなあ」となるんだろうな。

そろそろギャラリーに行かないと。今週土曜日までだ。始まった時は永遠と思えるものも半分を過ぎるとあっという間だ。

 

 

 

 

明日水曜日、ギャラリーは21時まで開いています。

靴はコンバットダナー、ゴアテックスのパンツ、ヴィクトリノックスのダウンを着てギャラリーへ歩いて向かう。

こんな雪の日は誰も来ないだろうと思っていたが、日差しに誘われたのか来客がいつもより多いくらいだ。

昨日は昼から大雪で、夜半まで降り続いた。ニュースを見ると帰宅困難者が駅に溢れていた。足元の革靴がいかにも滑りそうで気になってしまう。

幸いにも、まったく幸いにも月曜日はお休みだった。近くの友人宅に山形の漬物をもらい受けに行ったら雪見酒に。ちょっと後ろめたさがあって、それはとてもいいツマミとなった。

我が家は寒い。居間に置いてある石油ストーブ半径2メートルしか暖かい場所はない。トイレとかお風呂はとんでもなく冷える。まあ昔住んでた米沢の家もそんなものだった。でもヒートショックの話をやっているたびに気になりはするが。

石油ストーブ、ガスファンヒーター、電気ストーブを局所局所に配置してなんとかしのいでいる。


週末は通常のワークショップ以外に美術史の講座をやっている。僕が教えるのではなく、参加者に調べてもらいプレゼンしてもらうのだ。

僕は美術史の専門家ではないが、流れは知っているので何が重要なのかは察しがつく。先週は戦後現代アートの回だった。マークロスコ、アンディウォーホル、リキテンシュタイン、ヨゼフボイス、具体ともの派、アイウェイウェイなどだ。流れを見ていくうちにここで思わぬことに気がつくことになる。

イメージとオブジェクトの関係性だ。イメージは実体で、オブジェクトは制作物だと考えてみて欲しい。

ダヴィンチ以降、遠近感と陰影法を使ってイメージとオブジェクトを限りなく近づけようと試みる。それが1870年くらいにおきる印象派あたりから揺らぎ始め、1900年のピカソ、ブラックからイメージとオブジェクトの再構成が起きた。これが分析的キュビズムと呼ばれるもので、オブジェクトの中にイメージは細分化して構成されることで喪失してしまう。

その後総合的キュビズムになると、コラージュを使うことで、オブジェクトに現物を貼り込み再びイメージを取り戻そうとする。

戦後抽象絵画はイメージとオブジェクトの完全分離であり、オブジェクト優先の結果なのだ。

写真も長い間イメージとオブジェクトをイコールで結ぼうとしていた。それが現代写真と呼ばれるものには見られない。だから昔から写真をやっていたものは戸惑うのだ。

これはとてもとても大事なポイントであることは間違いない。というか「そんなことも知らなかったの?」と言われてしまいそうだが。

僕らの時代に写真をやっていてそのことに気がついていたのはほんの一握り、いや、ひとつまみだろう。

実はこの問題は2007年にアルルで一緒にレビューを受けた川上休日郎が言われていたことなのだ。

あの時はふたりしてその真意が分からず首をひねっていた。10年経ってようやくレビュワーの言わんとするところがストンと腑に落ちた。

しかし知れば知るほど「それ、早く言ってよー」なのである。

 

 

 

 

今日は水曜日、ギャラリー冬青は21時まで開いています。ミニトークあり。予約不要です。

7月頭から通っている東大の講座もそろそろ終わりに近づいている。

正式名称はAMSEA。社会とアートの架け橋になる人材の育成が目的のプログラムだ。

文化庁後援のためー受講費が無料だったのはありがたかった。若手育成なので僕は当然最年長受講生。毎回一番前の席に座って講義を聞いていた。

講座のために東大に通っていると知人に言うと、教えているのだと思われて驚かれるのだが、それは無理です(笑)

AMSEAは2期目の募集があるようだ。1回目の受講者は自由に聴講できるそうなので今年も行ってみようと思っている。

先日は最終レポートの提出の説明会があった。論文か調査レポートか企画書の中からひとつ選ぶ。特定指定郵便で送らなければならないから本格的だな。

論文、調査レポート、企画書の中から選ぶと言ってもねえ。だいたい僕は論文の書き方を知らない。学生時代は卒業論文ではなく、卒業制作だったし、アカデミックなところとは縁がなかったので、まず書式がわからない。

「論文の書き方」で検索したり周りに聞いてみると、参考文献が重要だと言う。引用元がはっきりわかるようにしなければならないのだそうだ。今の自分の考えは当然外からやってきたものだ。しかしそれがどこからやってきたのかをはっきりさせるのは難しい。

どうしたものかと、とりあえず事前に配られていた資料から規定の文字数を見ると1500〜2000字とあった。なんだ、これなら楽勝だと思って年末から書き始めた。年明けに書きあがったので提出先を調べるために再度資料を見ると、、、

「字数の基準は15000~20000字。白色無地のA4版用紙を縦長に使い、横書きにする」

とあった。一桁見間違えていたのだ。仕事ならえらいことだった。漢字で書いといてよ。2千字を1万5千字以上にするなんてどうやっても無理だよ。

そりゃ論文だからそのくらいの字数が必要なのはわかる。でもこれから調べて書くには時間がなさすぎる。

もう終了しなくてもいいや、と半ば諦めていたのだが、お風呂に入っているときに閃めいた。日記に書き溜めてあるものをまとめればいいじゃないか。

ためしに「現代アート」で日記の中を検索してみたら結構な量の投稿が見つかった。サンタフェ以降、その折々に書いていたものを時系列で貼り合わせて字数を確認したら、見事2万字を超えていた。もはや論文とは到底呼べないが、この機会を使って考えを整理するのに使うことにした。

今週ギャラリーに詰めながら終日文章の手直しをしている。写真を30年以上やってきたものが考える「現代アートとは何か」という論文じゃなくて読み物だ。

この最終提出物は7名の先生方の審査があり、優秀者2名はシドニービエンナーレ視察旅行の権利が与えられる。

現地の美術館巡りをアテンドしてもらえるそうなので、自費でいいから参加できないものかな。

早速ネットでエアチケットを調べてみたらジェットスターで往復7万円弱。しかしシドニーまで16時間もかかることが判明。

あの硬い座席で16時間は、、、シンドイぞ。

 

 

 

カツオの生節のパスタを久しぶりに作ってみた。

日曜日と月曜日は、多くのコマーシャルギャラリーがおやすみだ。なので今日は僕もお休み。

10年くらい前に「お客さんが多い日曜日に、なぜコマーシャルギャラリーはやらないのか?」とあるギャラリストに尋ねたら「平日ギャラリーにやってこれるような人じゃないと作品は買わないから」と言われたことがある。ああ、そういうことか、見せるんじゃなくて売ることが優先されるわけだと気がついた。

コマーシャルギャラリーの目的は、もちろん作品の販売である。ある有名なギャラリーで人気作家の作品を展示したとき、来場者は多いのに作品がさっぱり売れない。人が多いせいでゆっくり見ることもできず、顧客も怒って帰ってしまう。ついには入り口に「作品を買わざるもの、入るべからず」と貼り紙をしたそうだ。

別のギャラリーオーナー曰く「八百屋に入って大根を褒めて帰ってもしょうがないだろうよ」。確かに(笑)

日本でギャラリーというとメーカー系やレンタルギャラリーが多く、見せる場所として機能してきた。ところがヨーロッパやアメリカでギャラリーといえば、ギャラリストが作品を集めて販売しているセレクトショップのようなもの、という認識がある。あちらではレンタルギャラリーという発想はないのだそうだ。

日本でいうなら、骨董屋さんは買う場所であり見に行く場所ではない、というと分かりやすいか。骨董屋さんもまた、店主のセレクトショップである。

つまりギャラリー冬青はオーナー兼ギャラリストの高橋国博のセレクトショップだということができる。1月の売り物が渡部さとるのモノクロプリントということだ。 

と、ここまで書いて、買わないと見ちゃいけないのかと言われそうなので。ギャラリー冬青はそんなことはないです。その気がなくてもどうぞお越しください。来て貰えるのはとても嬉しいですから。プリントだけではなく、写真集も置いてあります。 

さてギャラリー冬青ができて12年、近頃は海外とのネットワークが広がっている。現在ニューヨークでは青木弘さんが個展を開いている。高橋社長と3人の作家は展示打ち合わせのためにパリ、ミュンヘンバーゼルのギャラリーを回る2週間の旅に出ている。ミュンヘンではプレスカンファレンスが用意され、パリでは最も有名な写真ギャラリーにも行くことになっているそうだ。

珍道中は間違いないな(笑)

 

 

 

 

 

 

そろそろお弁当タイム。

13時、本日はまだお客さんひとり。

来てくれたのは海外のブランドバイクを修理をしている職人さんで、細かい話が噛みあって面白かった。

「初めて10年くらいはマニュアルに書いてある数字を追っていたけれど、ある時から体でわかってきた」と言っていたのだが、これが自分にも経験がある。

あるとき「あっ、焼けた」と思う瞬間があった。今回の展示の最後に掛けてある煙突と雲の写真だ。それまでと同じことをやっていたのに、明らかに違った。以来その感覚は消えることはない。


昨日の夜は「作家の本棚」のイベントだった。冬青若手作家の北桂樹さんが企画して毎月やっている。当月の写真家が自宅の本棚から本を持ってきて皆で見るというものだ。

予定人数より多く集まって、本の量が少なかく感じた。本来は少人数でディスカッション形式になるのだが、人数が多かったので質疑応答形式になった。

僕が持ち込んだ本を皆が読んでいる最中に大判の模造紙に自分の読書遍歴を書き込んでみた。

中学生になって初めて買ったのは北杜夫「船乗りクプクプの冒険」。図書券を入学祝いにもらって生まれて初めて文庫本を買った。中学生だから文庫本を読まないと、と思ったのだ。

でも難しそうなタイトルは避けて読みやすいであろうものを選んだのだ。これが面白くて面白くて。

それから「ドクトルマンボウ航海記」「楡家の人々」まで読んだ。その頃は星新一筒井康隆のほぼ全シリーズ読んだ記憶がある。

高校生になるともれなく太宰治にはまる。初めて読んだのは「トンテンカン」だったかな。五木寛之の「青春の門」もまだリアリティがあった時代だった。

洋書は翻訳文があまり好きになれず読みはするがはまるまでにはいかなかった。だいたい日本の作家が多かった。

東京に出てきて一番最初に買ったのは田中康夫「なんとなくクリスタル」。あれは今思うと地方出身者にとっての情報誌だったのだ。

村上春樹「風の歌を聞け」以降の3部作は、初めて同時代の小説が出てきたと衝撃的だった。村上龍も好きだった。

僕は今でもこうして文を書き続けているし、雑誌の寄稿や本も出したことがある。何の訓練も受けずに書けたのは読んでいたからだと思う。僕の文章に大きな影響を受けたのは開高健椎名誠伊集院静なのだが、一番は東海林さだお。漫画家のエッセイだ。

僕は東海林さだおが書くものがとにかく大好き。こんな書き手になりたいと思わせる唯一の人。

影響力と言えば沢木耕太郎藤原新也。長い間ここの中から抜けられなかった気がする。あちこちに行っているのも間違いなくこのふたりの影響だろう。

マンガも好きだが、持ってきたのは狩撫麻礼原作の「ボーダー」。本当は他の作品で好きなものが多いのだが本棚にあったのはそれだけだった。初期作品がいいんだよな。これはチャンドラーやハメットのハードボイルドからきている。

そして手塚治虫ブッダ」は現在の僕のベースだったりする。

写真集で持ち込んだのはザ・ファミリーオブマン、北井一夫、清家富雄、上田義彦杉本博司、サラムーンなど。それぞれ自分の考え方や意識を変えてくれた人たちだ。

写真集は別だが本は読んだら処分してしまうのでほとんど残っていない。なので何を読んだかはもう覚えていない。

それでも覚えている本は、人生に影響を与えているんだろうな。

来週17日水曜日と再来週18日水曜日は21時までギャラリーを開けてもらうことにしている。そこでも本にまつわる話をしようと思います。

仕事帰りにどうぞお越しください。予約不要です。

 

 

 

 

 

写真展オープン。昼ごはんのタイミングが問題だ。どうしてもおにぎりがメインになる。

5日金曜日は写真展の初日だった。11時前から写真に背を向けた定位置にスタンバイ。

いつもの座布団、膝掛け、コーヒーカップを持ち込む。1月のギャラリーは人が来てくれないと色んな意味で冷え込む。特に金曜日は足元がジンジンくる寒さだった。耐えきれずに家に電話して小型のヒーターを持ってきてもらう。

オープンと同時にたくさんの人が、、、なんてわけもなく、じっと来客を待ち続ける。ちょっと身の置き所がない。

30分くらいしてひとり目がやってきた。よかった。あとは数人づつ途切れることなくお客さんが来てくれた。

来てくれた人と話をする。今回なぜこの展示になったのか同じ話を何度も何度もする。すると次第に今年やることが決まってくるのだ。モヤモヤがスッキリしてくる。

僕の展示には「モヤモヤ期」と「スッキリ期」が交互にやってきて、「スッキリ期」の時に写真集を作っている。今年は「モヤモヤ期」。スッキリさせて来年は本を作りたい。

話を聞いてもらえるのは本当にありがたい。ひとりで唸っていては5冊も写真集は作れなかっただろうな。

月曜日はギャラリーはお休みです。火曜日からまたギャラリーに座っていまづ。

冬青のこと

明日5日からギャラリー冬青で写真展「2Bとマンデリン」。

最初の冬青での展示が2006年の2月だった。以来12年で9回目。写真集も4冊出してもらった。ここ数年は毎年1月に個展をやらせてもらっている。新年早々に展示ができるなんて、本当に恵まれている。

ギャラリー冬青の大きな特徴はモノクロ、しかも銀塩プリントの展示が多いことだろう。作家年齢は40代から50代が中心。土田ヒロミ、須田一政北井一夫、渡邊博とビッグネームも多い。

「TOSEI」写真集のクオリティはもはや世界的で、あの「シュタイデル」からもコンタクトがあったそうだ。


冬青の高橋社長との最初の出会いは2005年になる。それまで一般書を出す出版社だった冬青が、写真集専門に特化するという記事を写真雑誌で読んだ。写真集を出したくて奔走していた僕はすぐさま連絡して会いにいった。

しかし売り込みは失敗。モノクロ中心でいこうとしている冬青に持っていったのはカラー作品。他にも当時撮っていた米沢のプリントも見せたが、あくまで作りたいのはカラーだと主張した。「モノクロ写真集を作る気がないか?」と言われても「その気はない」。そりゃうまくいくわけがない。

冬青とは縁がないと思っていた。

ところが冬青でやっていた北井さんの写真展のことを何度か日記に書いたり2Bで話したりすることで、それまで新規参入のギャラリーで客足に悩んでいた冬青に多くの人が訪れるようになったとスタッフから感謝のメールがあった。そこには「いつも日記を拝見しています」ともあった。

しばらくして、2年間撮りためた「da.gasita」の原型を展示したくてコニカミノルタに応募した。自信満々だったのだが見事に落選してしまう。そのことを日記に書いた。

「普通はそういうことは書かないものですよ」とたしなめられたが、いいことばかり書いてるのでは日記とは言えない。悪いことがあったらそれも正直に書こうと思っていた。

落選したプリントを引き取りに新宿にあったコニカミノルタにいき、帰り道駅に向かって歩いていると電話がなった。

「冬青の高橋です。日記で落選したことを知りました。以前見せてもらったものですよね。来年2月にうちでやりませんか」というものだった。その連絡を受け新宿から中野のギャラリーにプリントをもっていき、展示が決まったのだった。コマーシャルギャラリーで展示ができるなんて想像もしていなかった。

2月は寒いからギャラリーを閉めようか迷っていたそうだ。今では2年後のスケジュールまでいっぱいだが、当時は作家を集めるのも大変だったのだろう。そこへ日記を読んだスタッフが進言してくれたのだ。

コニカミノルタに落選した「da.gasita」は、その後写真集になり、海外で展示をしたり美術館にコレクションされたりしている。

あの時、もしコニカミノルタでやれていたら、いや落選したことを恥ずかしがって日記に書かなかったとしたら。おそらく冬青との繋がりはなかっただろう。そうすると僕の人生は明らかに違ったものになっていたことだろう。

不運だと思っていたことが大きな幸運につながった。そう思うと縁とは不思議なものだな。

明日は11時の口開けからギャラリーにおります。土曜日はワークショップがあるので15時くらいから。日曜日と月曜日はお休みですのでご注意ください。

10日水曜日19時からのイベントもよろしくお願いします。要予約だそうです。ギャラリー冬青まで。

1月10日午水曜日後19時~21時
『作家の頭の中見せます』
●先着10名様まで会費、無料。
※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い致します。

 

 

 

黒豆と珈琲

2000年にサイトで写真にまつわるコラムを週一回のペースで書き始め、幸運にも2003年にはそれが『旅するカメラ』(エイ出版)となった。それまで文章を書いたことなんてなかったけれど、カメラの話ならいくらでも書けた。
http://www.satorw.com/webworks.html

2002年に「さるさる日記」で「写真生活」を始めて以来ずっと続け、投稿数は2000になる。2007年に「さるさる日記」サービス終了のため「はてなダイアリー」に移行。今回「はてなブログ」に引っ越しすることにした。

「写真生活」と言ってるのに写真じゃなくて文章中心。もともと「さるさる日記」に写真をアップできる機能がなかったからだ。SNSも使っているが、結局この日記がちょうどいいみたいだ。

たまーに、この日記を読んでもらって「久しぶりに見たけれど、なんだか懐かしいな」と思ってもらえれば嬉しいです。